『よかった』とはどういう意味なのか。
水瓶座の黄金聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に嫌われていることが『仕方がない』『当然のことだ』ではなく、『よかった』とは。
どういう考えでカミュがそんなことを言ったのかが、瞬には理解できなかった。
翌晩、再び自分の前に現われたカミュに、瞬は その発言の真意を尋ねてみたのである。
しかし、カミュはまた瞬の質問に答えなかった。

「私は愚かな黄金聖闘士だった。氷河を生かすことを考えず、死んで楽になることを あの子に強要した。君がいなかったら、氷河は、自分が この世に命を受けた意味も知らぬまま、何を成し遂げることもないまま、その命を終えてしまっていただろう――君が あの子の命を生者の世界に呼び戻してくれなかったら、あの子の生は無意味なままで終わってしまっていただろう」
「僕は何も……。あなたが氷河に、その――ああいうことをしたのも、氷河に苦しんでほしくないと思ったからで……それはあなたが氷河を愛していたからでしょう」

それは 瞬にもわかっていた。
だからこそ、氷河も、自分の命を奪おうとした男を憎んでいない。
瞬とて、それはわかっているのだ。
ただ、『愛しているなら、どんな愚行も許される』という考えに賛同できないだけで。
意外なことに、その点に関しては、カミュも瞬と同意見らしかった。
彼は、瞬の ほとんど無意味な慰撫の言葉に頷くことはしなかった。

「私が あの子を正しく愛していたなら、あの子に生きていてほしいと思っていたはずだ。私は、氷河には幸福になる可能性がないのだと、勝手に決めつけた。あの子の力を信じてやることができなかった。あの子が黄金聖闘士たちに勝てるとは思えなかったのだ。私は本当に愚かだった」
「カミュ……」
それが わかっているのなら苦しいだろう――と思う。
彼は苦しんでいないだろうと思っていたから、瞬は彼の為したことを許せずにいたのだ。
だが――。

「天秤宮、宝瓶宮、チャンスは2度もあった。そのたび氷河は私に訴えた。自分の考えに固執せず、世界を虚心に見てくれと。そして、真実のアテナのために戦うべきだと。私は氷河の言葉を信じなかった。氷河が私と戦い私の命を奪ったことによって不幸になったというのなら、私が氷河を不幸にしたのだ」
「そんなことはありません」
だが、彼が苦しんでいるのなら――自分の過ちと罪を自覚し、ちゃんと・・・・苦しんでいるというのなら――瞬は彼をこれ以上苦しめようとは思わなかった。
むしろ、苦しんでほしくないと思う。
瞬はただ、過ちを犯したカミュが自らの死によって苦しみから逃れ、正しいことをして生き残った氷河だけが苦しんでいることを理不尽だと感じていただけだったのだ。

「いっそ、氷河が、不肖の師として 私を憎んでくれたら、どんなに私は楽になれることか」
「氷河は、あなたが、氷河のためにそうしたのだとわかっています。あなたを憎むなんて、そんなことが氷河にできるわけがない。忘れることも、氷河にはできない。そんなことができない氷河だから、僕は――」
氷河の分も、氷河の代わりに、あなたを憎むのだ――憎んでいた。
氷河が大切だから、大切な仲間を傷付けた黄金聖闘士を。
氷河を苦しめることしかできないくせに、彼に愛されている黄金聖闘士を。

「君は?」
「あ、いえ……」
言える訳がない。
氷河を苦しめ続けてきた あなたを たった今まで僕は憎んでいたのだと、たった今 氷河のために苦しんでいる人に。
瞬は微かに首を横に振って、カミュの問い掛けから逃げようとした。
彼は なぜか、ひどく瞬の答えを聞きたそうな目をして――実際、瞬の答えを待つ素振りを見せた。
だが、やがて、瞬が“言わずにいた方がいいと思うことは言わずにいることができる”人間だということを思い出したのか、彼は瞬の答えを待つのをやめてくれた。

「つい、愚痴になってしまった」
きまり悪そうに笑って、カミュが瞬に言う。
黄金聖衣を まとっていなかったなら――彼はごく普通の若い未熟な父親のようだった。
彼のそんな様子を見て、瞬は初めて気付いた――理解したのである。
彼は黄金の聖衣をまとっているだけの、ただの不完全な過ち多き一人の人間にすぎなかったのだということを。
ただ 彼が黄金の聖衣をまとっているから、自分は彼に完璧であることを求めていた。
その期待を裏切られたから、自分は彼を憎んでしまったのだと。
瞬は、自分の一人よがりな期待を、今は悔いていた。
その償いのためにも――彼が氷河に“本当に伝えたいこと”を知り、彼の願いを叶えてやりたいと思う。

「僕は、あなたが氷河に“本当に伝えたいこと”が まだわかりません。あなたは氷河に謝りたいの? それとも、愛していたから、あんなことをしたのだと訴えたいんですか?」
「言ったろう。本当に伝えたいことを言葉にすることが、私には許されていないのだ」
「――」
カミュが そう言って、悲しそうな目を瞬に向けてくる。
瞬は一度 唇をきつく引き結んで、不完全な人間という枷の他に、死者のルールという鎖で縛られている不幸な男を見詰め返した。
「でも、どうにかして それを僕に伝えてください。僕も気付けるように努力します。あなたが氷河に本当に伝えたいことは、氷河のためになることなんですよね?」
「もちろんだ」

ならば必ずそれを突きとめてみせる。
諦めることを知らない青銅聖闘士らしく、瞬は そう決意した。






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