「紫龍に好きだって告白されたーっ !? 」 「星矢、声が大きい!」 「えっ? あ、ああ、わりぃ。えーっ、でも、ほんとかよーっ !? 」 瞬に その大声を咎められ、星矢は慌てて声のボリュームを落とした。 ほんの2、3秒の間だけ。 瞬の報告の内容があまりに衝撃的で、静かに驚いてもいられなかったのだろう。 星矢の声のボリュームはすぐにまた(だが、一応 徐々に)、通常の会話のそれより大きなものになっていった。 そして、氷河は、その声のせいで、ラウンジのドアを開け 室内に入っていくタイミングを逸してしまったのである。 彼は、ドアを開けるためにノブに掛けていた手を、そのまま静かに下におろした。 「まあ、紫龍にとっては、おまえは命の恩人なんだし? 我が身を犠牲にして、自分を死の国から引き戻してくれた人を 他の奴と同じ気持ちで見ろっていう方が無理な話なんじゃねーの? おまえは単に仲間の命を救っただけだって思ってたとしても」 「僕は――」 「おまけに、紫龍は あの通り 義理堅い奴だからさ。受けた恩は忘れないし、その恩は返さなきゃならないって、ほとんど自分の義務みたいに思ってて――そう思いながら おまえを見てて、そのうちに いつのまにか――って感じだったのかなぁ……」 瞬に対する紫龍の好意の変遷を、星矢が推察してみせる。 星矢のことであるから、彼は 確たる論拠もなく そんなことを言っているのだろう。 理屈ではなく、直感で。 問題は、星矢の直感が外れることは滅多にない――ということ。 星矢の推察は当たらずとも遠からずなのだろう――と、氷河は思った。 十二宮での戦い――紫龍が天秤宮で水瓶座の黄金聖闘士に氷づけにされてしまった時、紫龍の恋は始まったのだと。 元はといえば、主の姿のない双児宮。 目の前に現われた二つの双児宮を突破するために、青銅聖闘士たちは紫龍と星矢、氷河と瞬の二手に分かれて、その不気味な宮の中に突入した。 その際、紫龍が視力を失っていたことが幸いし、紫龍と星矢は 双児宮が作り出す幻影に惑わされることなく、その宮を抜け出ることができた。 目が見える氷河と瞬が双児宮の幻影に迷い脱出できないことを案じて、再び 宮の中に戻った紫龍は、そこで二人の仲間を救い出すことはできたのだが、彼自身は双子座の黄金聖闘士によって仲間たちから引き離されてしまったのである。 それが双子座の黄金聖闘士の意図したことだったのか、あるいは単なる偶然だったのかは 今となっては確かめようがない。 ともかく、そうして、紫龍が双子座の黄金聖闘士によって飛ばされた先は 紫龍の師である天秤座ライブラの老師が守護する天秤宮だったのである。 もっとも、視力を失っていた紫龍がその事実を知ったのは、すべてが終わってしまってからのことだったのだが。 黄金聖闘士の気配がし、その黄金聖闘士に 水瓶座アクエリアスのカミュと名乗られた紫龍は、その時 その場所をずっと宝瓶宮なのだと思っていたらしい。 十二宮での戦いがすべて終わってから、紫龍は仲間たちに そう語った。 場所はどこであれ、そこに現われた者が紫龍の師ではなく 水瓶座の黄金聖闘士だったこと、そして、彼が十二の宮を突破しようとしている青銅聖闘士たちを聖域の敵と見なしていたことは、紛う方なき事実だった。 「君の師はライブラの老師だそうだな」 水瓶座の黄金聖闘士は苦々しげな口調で そう言って、その冷ややかな小宇宙を揺らめかせた。 「老師は、前聖戦のただ一人の生き残り、我等の偉大な先人でもある。だが、彼は再三の教皇の呼び出しに頑として応じず、聖域に背を向け続けている。聖域や教皇に従えないのなら自分の正義を示してみせればいいものを、それもせず、聖域から遠く離れた地で無為に時を過ごしているだけの事なかれ主義の卑劣漢――」 一方的に恩師を非難され侮辱され、紫龍は当然 立腹した。 だが、水瓶座の黄金聖闘士が老師への非難のあとに嘆かわしげに続けた言葉が、紫龍の怒りを静めることになったのである。 「まさか氷河が、そのような者たちに 水瓶座の黄金聖闘士は、紫龍の仲間である白鳥座の聖闘士の師。 そして、城戸沙織が真実のアテナだということを知らなければ、カミュの誤解は致し方のないことであり、彼の嘆きもまた至極自然なものといえる。 だから、怒りをこらえて、紫龍は水瓶座の聖闘士の説得を試みたのである。 『氷河のために、目を覚ましてくれ』と。 それがカミュの気に障ったらしい。 「氷河の目を曇らせ、判断を誤らせているのは、君たちと君たちが連れてきた偽のアテナの方だろう。君たちと君たちが連れてきた偽のアテナが、氷河を死地に向かわせようとしているのだ……!」 もしかしたら、水瓶座の黄金聖闘士には、真実のアテナが誰なのかとか、聖域に正義はあるのかといったことは、二の次三の次の問題だったのかもしれない。 彼は何よりも、彼の弟子に道を誤らせた者たちへの怒りに支配されていたのかもしれない。 であればこそ、紫龍の説得に耳も貸さず、アクエリアスのカミュは、その怒りと嘆きのままに 問答無用で紫龍を氷の棺の中に閉じ込めてしまったのだ。 そのあとの紫龍の記憶はおぼろげらしい。 ただ、自分が半ば以上 死の国に足を踏み入れていたことだけが、感覚の記憶として残っている――と、彼は、これも 十二宮での戦いがすべて済んでから、仲間たちに語った。 はっきり憶えているのは、瞬の小宇宙と声が 紫龍を生者の国に呼び戻してくれたことと、生還を果たした紫龍が 生者の国で最初に それだけなのだ――と。 我が身を犠牲にして仲間の命を救おうとした瞬の友情に感じ入り、いつか その恩に報いなければと考えて、紫龍が瞬を見詰め続けていることには、氷河も気付いていた。 だが、まさか、報恩の機会を期する紫龍の心が、こんな感情に変わっていくとは、氷河は考えてもいなかったのである。 とはいえ、考えてみれば、それは不思議なことでも奇妙なことでもない。 紫龍は落ちるべくして落ちたのだ。 瞬への恋という、不可避な自然が用意した甘く安易な罠に。 自分が死ぬかもしれない可能性を顧みず、仲間の命を救った人の恩に報いるが容易にできるわけがない。 報いるには、その恩は あまりに大きく深すぎる。 それは、たとえば、自分という人間を この世界に生み出してくれた親に 子が報いようとするようなもの。 つまり、不可能なことなのだ。 それでも その恩に報いたいと思った時、その人間にできることは、自分自身より その人を大切に思い、自分自身より その人を愛することくらいのものだろう。 だが、それでも、完全に報いることはできない。 その焦れったさが 恋という感情に変わっていっても、それは さほど不思議なことではない――むしろ自然なこと――なのだ。 |