「あなたの神のことを私に教えてちょうだい。どんな姿をしていて、どこにいるのか。その神は、人々にどんなことを語るのか」 氷河と紫龍が彼の左右の腕を掴んでアテナの前に引き出したのは、彼の逃亡を妨げるためではなく、彼に“馬鹿なこと”をさせないためだったろう。 アテナの前に引き出された狂信の徒の ただ一人の生き残りは、瞬たちより10歳は年上の――20代後半の男だった。 ごくありふれた――むしろ、平均的なユダヤの民のそれよりも粗末で薄汚れた麻の長衣を 獣の皮でできた帯で結んでいる、ごく普通の男。 無造作に肩まで伸ばされた黒髪、黒い瞳。 顔立ちは整っている方だが、目をみはるほどの美貌でもない。 狂信の徒にしては覇気のない瞳をしていて、それはアテナの聖闘士たちの目には――おそらくアテナの目にも――もはや人生に希望を見い出せずにいる老人か、死に瀕した重病人のように見えた。 アテナの問いに答えないのも、アテナを敵とみなしているゆえの反抗心からではなく、ただ疲れているからだけのようだった。 聖域に属する者たちには、そう思われた。 「あなたはあなたの神の教えを信じる者を増やしたいのでしょう? あなたの神の唱える教義を教えてちょうだい。聖域のアテナをあなたの神の信奉者にすることができたなら、あなたの神も あなたを褒めてくれるのではなくて?」 アテナが、再度尋ねる。 希望もなく、疲れ果ててはいても、アテナにそう言われれば、彼は彼の神のために口を開かないわけにはいかなかったらしい。 抑揚のない、しかし重い義務感に突き動かされているような声で、彼は彼の神の教えを説き始めた。 「主はすべてを見ている。我等が犯した どんな小さな悪徳も。地上での我等の命が尽きた時、主は罪なき者だけを栄光ある天の国に迎え入れ、悪徳を犯した者は皆、永劫の苦しみが待つ地獄に堕とされることになるだろう。自分のものなど持つ必要はない。主のために すべてを捨てよ。そうすれば、我等は隣人に害を為す必要もなくなり、隣人を許し愛せるようになるだろう。天なる神の国の門は広いが、富める者が神の国に入ることは、ラクダが針の穴を通ることより難しい。主の最後の審判によって神の国に拒まれた者の上に降りかかる苦しみは、死を100万回 繰り返すこと以上の苦しみである」 それだけ言うと、彼は再び黙り込んでしまった。 星矢が 彼の神の姿や居場所を尋ねても、彼は頑として沈黙を守り続けた。 「星矢、もういいわ。とりあえず、彼の神がどういう者なのかは わかったから」 「でも、肝心の居場所が わからないんじゃ、こんな不吉で ろくでもないことしか言わない神を ぶちのめしてやることもできないじゃないか」 地上の平和と安寧を守るアテナの聖闘士の務めを果たすのに必要な情報を得ようとする星矢を、アテナが止める。 星矢の言うように、狂信の徒が信じる神は、人を幸せにする神ではなく、その教えは 人を幸せにする教えではないようだった。 「そうね……。確かに一度 そう呟くアテナの眉は暗く曇っている。 だが、卑劣な“神”の教えを語った ただ一人の生き残りの男は、アテナの苦渋に満ちた呟きを聞いても無表情だった。 それがアテナの言葉に対する同意なのか 無視なのかは、アテナの聖闘士たちにも わからなかったのだが。 まるで他に気にかかることを抱えている人間のように、彼は 無表情というより無反応だったのだ。 「もともとはユダヤ教の分派だったらしいが、ユダヤ教とは既に異質なものになっているようだな」 「とにかく、その神様とやらの居場所を探りあてて、ふん捕まえて、何を企んでるのか確かめることが先決だろ」 無反応の男をアテナの前から下がらせても、しばらくの間、アテナ神殿の広間には 狂信の徒が その場に残していった言葉の持つ暗い影が残っているようだった。 紫龍が彼らしく洞察力に基づく意見を口にし、星矢が星矢らしく アテナの聖闘士が次に行なうべき行動についての見解を口にする。 アテナは そんな二人に頷いてから、氷河の横に立つ瞬の方に向き直った。 「瞬。彼の神の居場所と正体を探る仕事を お願いできるかしら。信じるものがあるというのに、あんな暗い目……。あんな生気のない人間が この地上で たった今も増え続けているのかと思うと、ぞっとするわ。優しく訊いてあげて」 アテナが その仕事を名指しで瞬に命じたのは、それが 暗い目をした男に対して“優しく”為されるべきだと、彼女が考えたからだったらしい。 人間の命の輝きを 何より愛しているアテナは、生きているのに亡者のように暗く沈んだ目をしている狂信の徒に、深く同情しているようだった。 |