「ここにいるのは すごく綺麗な人たちばかりだけど、氷河は、何ていうか――種類が違う。生きているから、見えているからっていうんじゃなく、目が澄んでる。綺麗」
人の気分を害するほど 自分を醜いと信じている瞬は、他者の美しさを認めることには積極的であるらしい。
目が見えない者たちばかりを相手にしているせいか、瞬は、不躾といっていいほど遠慮なく 真正面から氷河の顔を見詰めてきた。
そして、うっとりしているような口振りで、氷河に告げてくる。

氷河は――氷河に限らず、アテナの聖闘士は――戦いが始まれば、すぐに傷だらけ、怪我だらけになるのが常だった。
見た目など気にしていられないし、気にしても無駄。
氷河はそういう考えでいた。
自分を醜いと思ったことはなかったが、特段 美しい人間だと思ったこともない。
もちろん、自分の姿にうぬぼれたこともない。
そんな氷河でも、瞬の瞳が 自分のそれより澄んでいることくらいはわかっていたのである。
瞬に『綺麗』『目が澄んでいる』などと言われることは、氷河には はなはだ心地悪いことだった。

『あの子は自分が美しいとか可愛らしいとか、そういったことを全く自覚していない。その事実を自覚させない限り、あの子は地上に帰りたいとは望まないだろう』
オルフェの忠告を思い出し、氷河は更に気が重くなったのである。
美しさを自覚していないどころか、瞬は自分を醜いと信じ込んでいる。
この瞬に、自分が美しいことを どうやって認めさせればいいのか――。
ナルキッソスが水仙の花などに生まれ変わらず この冥界にいてくれたなら、彼に『己れの美貌に うぬぼれる方法を瞬に教示してやってくれ』と頼むこともできたのに。
氷河は、そんな馬鹿げたことを考えさえした。

「ここには鏡はないのか」
「目が見えない人しかいないのに?」
無駄と知りつつ発した質問に、瞬が首を横に振る。
それは、至極 尤も答えだった。
ここには鏡はない。
もちろん氷河には そんな物を持ち歩く趣味(?)はなかった。
となれば、ここでは、氷河が鏡の代わりをするしかないのだ。

「なら、俺の目と言葉を信じろ。冥界はもちろん、地上にも、おまえほど美しい少女はいない」
鏡の代理で、氷河は瞬に そう言った。
途端に、それまで うっとりと氷河の顔を見詰めていた瞬が、悲しげに その瞼を伏せる。
揺るぎない真実の吐露とはいえ、単刀直入に過ぎ、率直に過ぎたかと、氷河は、自分の口の上手くなさ・・・・・に舌打ちをすることになったのである。
が、瞬が悲しげな表情になったのは、瞬が 氷河のその言葉を空々しい嘘 もしくは世辞と思ったからではなく――もちろん真に受けてもいないのだろうが――、全く別の事情によるものだったらしかった。

「……こんなに綺麗な目をしているのに、氷河も目が見えていないの」
悲しげ――というより、むしろ つらそうに、瞬が言う。
瞬は急に何を言い出したのかと、氷河は眉をひそめた。
「俺は見えている」
「僕を慰めようとして、嘘を言ってくれたの?」
「こんなことで 嘘をついてどうなるというんだ」
「見えていないんでしょう? 本当は」
「なぜ、そう思う?」
「見えていたら、僕のことを少女なんて言わないはずだもの」
「へっ !? 」

氷河は無論、目が見えていないわけではなかった。
ただ、瞬の澄んだ瞳にばかり気を取られ、薄物を着ている瞬の身体にまでは注意を向けていなかっただけで。
まさか 世にも稀なる美少女の胸元を まじまじと観察するわけにはいかないではないか。
だが、瞬に いやらしいと思われる危険があったとしても、あえて その危険を冒して、最初に その点を確認しておくべきだったと、氷河は今になって後悔することになったのである。

瞬は少女ではなかったのだ。
氷河は、しょっぱなから 大失敗を犯していたのである。
もっとも、瞬が少女でないことに(遅ればせながら)気付いても、瞬を綺麗だと思い、可愛いと思う気持ち、瞬を自分の好みだと感じる氷河の気持ちは変わらなかったが。
そして、この瞬を 陽光の下に連れていったなら、その姿は一層 輝いて見えるようになるだろうと信じる気持ちも、氷河の中から消えることはなかった。

「こんなに綺麗なら、少しくらい うぬぼれても仕方ないでしょうに、こんなところに堕とされるなんて……」
氷河を見詰める瞬の目には、今は同情の色が たたえられていた。
氷河が傲慢の罪を犯し、この煉獄第一冠に堕とされたのだと、瞬は完全に誤解してしまったようだった。
「あ、いや、それは誤解だ。俺は自分のツラなんかに うぬぼれたことなどないし、罪を犯して ここに堕とされたのでもない。おまえを地上に連れ戻すために、自分から来たんだ。目も見えている。俺を信じて、一緒に地上に帰ってくれ」
氷河は瞬の誤解を正そうとしたのだが、性別を見誤るという失態は 容易に挽回できる種類の誤りではない。
瞬は すっかり、氷河を罪人の一人と思い込んでしまったようだった。

「僕は……地上では人を不快にすることしかできないけど、ここでなら人の役に立てるの。ここに生えている茨には毒があるんだ。うっかり足を踏み入れると、足が腫れあがって、しばらく歩けなくなる。僕は そういうことにならないように みんなを見ていて、助けてあげることもできる。ここの人たちは、僕が醜くても気にしない。僕はみんなの役に立てるし、感謝もしてもらえる。地上ではこうはいかないでしょう? 地上では、僕は、誰の役にも立てないどころか、人を不快にすることしかできないんだ」

人の役に立てる場所にいたいという瞬の気持ちはわかる。
人は誰でも 自分を必要としてくれる者のそばにいたいものだろう。
そうすることで感謝してもらうこともできるというのなら、人間が生きていく場所として そこほど快く嬉しい場所もないだろう。
だが、生者である瞬が 本来いるべき場所はここではない。
そして、地上には、瞬を必要としている人間が大勢いるのだ。
瞬の謙虚や遠慮には、臆病の要素が多く含まれているように、氷河には思われた。
生きている人間は冥界にいるべきではない――ということは、瞬もわかっているはずだった。

「俺は見えている。おまえは白い服を着ている。帯紐は薄い緑色。おまえのすぐ後ろに茨の群生がある。その脇に、おまえの背丈ほどの灰色の岩がある」
自分が見ているものを瞬に知らせようとする氷河の声が 少し険しく苛立ったものになってしまったのは、致し方のないことだったかもしれない。
氷河の言葉は事実を言い当てるものだったので、瞬は、氷河が傲慢の罪を犯して視力を奪われてしまった罪人だという認識を改めてくれたようだった。

「見えてるの? 本当に?」
「見えている。そして、目が見えている俺が思うんだ。おまえは素晴らしく美しい人間だと」
「本当に見えているの?」
「ああ」
「……」
今度こそ信じてもらえるだろう。
氷河は そう思ったのである。
しかし、氷河のそんな期待を、瞬は実に鮮やかに裏切ってくれた。

「見えているのに、僕を醜くないって言ってくれるなんて、氷河は優しいんだね……」
『違うー !! 』と、氷河は大声で叫んでしまいたかったのである。
氷河がそうしなかったのは、彼の胸中で、『瞬に 優しい男だと誤解されていることは 決して自分に不利益をもたらすものではない』という姑息な計算が為されたからだった。






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