『おまえは綺麗だ』『本当に可愛い』と、氷河が繰り返し言い募っても、瞬は『ありがとう』と悲しげに笑って礼を言うだけで、決して氷河の言葉を信じようとはしなかった。
それは ハーデスの企みのせいである。
幼くして冥界に連れてこられた瞬には、ハーデスの他に人生の師となり得る者はいなかったのだろうし、瞬が氷河の言葉を信じなかったとしても、それは瞬のせいではない。
氷河はそう思おうとしたし、実際に そう思ってもいた。
しかし、他のことでは驚くほど素直で、知的好奇心にも満ち、氷河が語る地上世界の話も 乾いた砂が水を吸い込むように迅速に理解し信じる瞬が、自分が美しいことだけは頑なに認めようとしないのは奇妙なことだった。

そうして、瞬と時を過ごすうちに、やがて氷河は気付いたのである。
自らの美しさということに関してだけ瞬の心が頑なになるのは、瞬が自分の醜さを信じているからというより、瞬が地上を――地上に帰ることを――恐れているからなのだということに。
瞬が恐れているのは、自分の醜さではなく、二目と見られないほどに醜いかもしれない自分が、地上にいる人間たちを不快にすることのようだった。
が、それは、瞬が実際に地上に出て、そこで多くの人間たちに接してみないことには、確かめることも払拭することもできない恐れである。
しかし、その恐れを瞬の中から消し去らない限り、瞬は地上に帰ろうとは思わないだろう。
この二律背反を解決する方法を、氷河は思いつくことができなかった。

もともと氷河は、愚かな人間たちが自分たちの起こした戦いでどうなっても それは自業自得で、彼等が小さな子供の力を借りて戦いを回避しようと考えること自体、馬鹿げたことだと思っていた。
いっそ一度 痛い目に合ってしまえば、彼等も少しは利口になるのではないかと。
ならば いっそ瞬を冥界から連れ出すことを諦め、一人で地上に帰るのも一つの方策である――とも思ったのだが、氷河には そうすることはできなかった。
氷河は、瞬と離れてしまいたくなかったのである。
ここで瞬を地上に連れ帰ることを諦めてしまえば、おそらく二人は二度と会うことはできない。
たとえ会うことができたとしても、それはハーデスの魂の器となった瞬と敵として対峙する場合だけだろう。
それだけは、どうあっても避けたい。
だから――氷河は、瞬を地上に連れ戻す任務を放棄して、自分一人だけが地上に帰るわけにはいかなかったのである。






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