朝がくると、昨日までの記憶を失っている瞬。 それは、前向性健忘の中ではサイクルが比較的ゆっくりしたもので、人によっては、保持できる記憶が僅か数時間、はなはだしいものになると数分しか憶えていられない場合もある――という話だった。 珍しい病気ではあるが 症例が皆無というわけではないらしい。 しかし、稀有な病であることは事実。 そして、それは、(こういう言い方が許されるとしたら)瞬に 少なくとも、氷河は そう感じていた。 『愛って、記憶の積み重ねだものね』 瞬のその言葉が事実なのであれば、愛というものが記憶を積み重ねることによって生じ、深まるものなのであれば、今の瞬は愛を拒んでいることになる。 人間への愛、世界への愛、仲間への愛――その愛を向ける対象が何であれ、戦い続けるための力を愛によって得ていた瞬が、その力の源を拒否しているのだ。 『もう戦いたくない』という気持ちが瞬の記憶喪失の原因だというのであれば、それは理に適ったことなのかもしれない。 だが、そんなふうに愛を拒否している人間が、以前と同じように優しい人間でいられるということが、氷河には奇妙なことに感じられてならなかったのである。 記憶の積み重ねによって培われるものは、愛だけではない。 それは愛に限らず、たとえば 優しさや強さといったものもそうだろう。 否、優しさや強さは愛とは違うものなのではなく――それらは、愛の表出したものなのだ。 愛を拒んでいる瞬が、以前と同じように優しい人間でいられるということは、大いなる矛盾である。 そう、氷河は思っていた。 「瞬のあれって、心因性のものだっていうけどさあ。ハーデスは封印されて 聖戦は終結したんだぜ。俺たちは こうして生きてるし、一輝だって生還した。瞬はいったい何がそんなにショックだったんだ? どんなにつらいことがあったとしても、終わりよければすべてよしとか言うじゃん。戦いがつらいっていうのなら、瞬は もっと早くに――それこそ、殺生谷や十二宮戦の時点で戦いからリタイアしてたんじゃないか? なのに、瞬は、よりにもよって聖戦が終わって平和が戻ってきた今 あんな病気になっちまった。俺、そこんところの因果関係が どーもよく わかんねーんだよなー」 瞬の病の症状がどういうものなのかの説明を受けた時、星矢はそう言って首をかしげた。 氷河も全く同感だった。 人を傷付けることが つらいなら、瞬はもっと早い時期に――聖戦が始まる前に――アテナの聖闘士でいることをやめることができたのだ。 にもかかわらず、瞬は、アテナの聖闘士としての最大の義務である聖戦が終わった今、死の世界の恐怖と脅威から地上を守り通すという聖闘士最大の試練難関を乗り越えた今、その病を己が身に受け入れた。 なぜ今なのかが、氷河にはどうしても合点がいかなかった。 そして、不思議でならなかった。 仲間のことも、戦いのことも、自分が何者であったのかも忘れてしまった瞬。 瞬を悲壮なほど美しく優しく強くした、過去の出来事のすべてを忘れてしまった瞬。 今の瞬は、命をかけて仲間の命を救おうとした あの瞬ではない。 人を傷付けては自分も傷付き、そのたび 瞳の清澄を増していった瞬でもない。 だというのに――そんな瞬を好きだと感じる気持ちは消えない。 「瞬。それでも俺は おまえが好きなんだ」 氷河は、そんな自分が、そんな瞬が、不思議でならなかった。 |