ハーデスと言葉を交わしたあとは いつも、死を恐ろしいと感じる。 決して 外の世界を自分の目で見たいと願ったりするものかと思う。 だが、ハーデスの姿が瞬の前から消えて しばらくすると、瞬はどうしようもなく自分の目で直接 世界を見てみたいという誘惑にかられるのだった。 死は恐ろしい。 それは もちろん恐い。 だが、世界は美しいものなのではないか、自分の命を懸けてでも 自分の目で見る価値があるものなのではないか――。 そう思えて仕方がないのだ。 瞬に与えられた鏡は、瞬が見たいと望んだものは何でも見ることのできる鏡だった。 ハーデスは、たとえば死人を見たいと望めば、それも見ることができると言っていた。 もっとも、瞬は そんなものを見たいと思ったことは ただの一度もなかったが。 瞬は いつも、生きている人間を見ることを望んだ。 たとえば、春の訪れを祝う祭りに興じる人々、夏に木陰で憩う人々、秋に誇らしげに実りを収穫する人々、冬に橇遊びに夢中になっている人々――。 元気な子供たち、汗を流して働く農夫や漁師たち、優しい眼差しで幼い子供を見詰めている老人たち、そして、愛する人の他には世界の何も見えていないような恋人たち――。 恋などしたことはないはずなのに、瞬はなぜか『恋』という言葉を知っていた。 鏡に映し出される人々の中では、恋人同士が いちばん幸せそうに見えた。 頬を上気させ、恐れるものなど何もないと言いたげにまっすぐに恋人の瞳だけを見詰め合っている二人。 彼等が美しく見えるのは 幸福のゆえ、彼等が幸福なのは 恋をしているから。 恋人たちは、国や身分の別なく、誰もが美しく幸福そうだった。 ハーデスは、瞬のその考えに、全く共感してくれなかったが。 「だが、その者たちも、時が経つにつれ、醜く老いさらばえ、心が歪み、互いに嫌悪感を覚えるようになる。憎み合うようになることもあるだろう。そして最後には死んで無になる。二人が恋をしていたこともなかったことになる。恋そのものも消える」 「……悲しいね」 幸福も美しさも喜びも、悲しみも苦しみも憎しみも――“死”は、人間が生きていることのすべてを否定し、消し去ってしまう。 人は“死”に消されるために、束の間 “世界”に生きているにすぎないのだ。 永遠を持たない人間、やがては無になる人間――。 いつかは必ず 陽炎のように世界から消えてしまう人間たちと、鏡に映っている虚像との間に、いったいどれほどの違いがあるというのか。 ハーデスは、暗に、そう言っているようだった。 いつかは死んでしまう人間たちを見ることがつらくなり、瞬は やがて空や海、草原や森ばかりを見るようになった。 だが、そこにも死はある。 空を行く鳥は羽ばたく力を失い、魚は泳ぐ力を失い、花は枯れ、樹木は倒れる。 外の世界は死に満ちていた。 にもかかわらず、外の世界に憧れる気持ちは、どうしても瞬の胸から消えてはくれなかったのである。 城の塔の部屋にいる限り、瞬は 生き生きと美しく咲き誇る花を直接自分の目で見ることはできない。その花に触れることもできない。 鏡に映る虚像は、熱も香りも感触も運んできてはくれない。 瞬は、世界を、世界にあるものを、直接 自分の目で見、自分の手で感触を確かめ、自分の腕で抱きしめてみたかった。 だが、死は恐い。 死への恐怖と、外の世界への憧憬。 二者の間で揺れ動き、苛立ち、時折 瞬は、衝動的に鏡を割ってしまいそうになることもあったのである。 未知の世界だから憧れるのか、かつて そこに生きていたことがあるから恋しいのか――。 “世界”を自分の目で見たい、“世界”の中に入っていきたいという瞬の願いは、決して消えることがなかった。 |