国家と王室にどれほど貢献しても、その貢献にふさわしい地位や役職を宮廷内に与えられず、公式行事の場では下級貴族と同列の扱いを受けること。 古い家柄以外には誇れるものを何も持たない、無能な大貴族たちに侮られること。 その無能な貴族たちは、国を疲弊させ、困窮と混乱を増すことしかできずにいる。 S子爵家がなければ王室が――国そのものが――立ち行かない状態で、S子爵家の財力がなければ催すことのできなかった数年前の国王の成婚の儀でも、S子爵家の当主は祝宴の下座に連なることが かろうじて許されただけだった。 そうなるように仕向けているのはH公爵家である。 金融や貿易で財を増やしているS子爵家とは異なり、S子爵家より はるかに広大な領地から生産される農作物や工芸品で、王室より富裕な大貴族――E国で唯一の真の大貴族。 にもかかわらず、国や王室の出費はS子爵家に肩代わりさせ、自らの財や益は 決して減らそうとはしない、卑劣千万な一族。 そんなH公爵家のやりように腹を立て E国王室への経済的援助を打ち切ると言えば、H公爵家の者ではなく国王が S子爵家に泣きついてくる――。 氷河は知らなかったのである。 S子爵家の者たちがH公爵家に向ける憎しみの激しさを。 支配する側の人間が 支配される側の人間の心を気遣うことがないように、虐げる側の人間が 虐げられる側の人間にもプライドがあるのだということに思いを至らせることがないように――氷河は知らなかった。 何を作り出しているわけでもないのに、無尽蔵と言っていいほどの財を蓄え、国や王室のために湯水のように財を投入しても全く揺らぐことのないS子爵家の経済基盤。 巨額の資金の提供を求められ、それで家が傾き、困窮する者が出るというのならともかく、S子爵家は宮殿を一つ建造する程度の金は一日で拠出できるほどの財を有している。 宮廷で軽んじられることに腹は立てても、それはS子爵家にとってH公爵家を憎むほどのことではない。 そう、氷河は思っていた。 そもそもS子爵家の者たちがH公爵家を嫌うならともかく、憎んでどうなるのか。 王室は、宮廷は、国は、世界は、金だけで動かすことのできるものではないのだ。 文化、科学、軍事、人脈、王室間や民間の血縁、縁故、愛憎、握っている機密、握られている機密――。 E国において、それらを掌握しているのは無能な国王ではなくH公爵家なのである。 H公爵家なしには、E国は立ち行かず、S子爵家が栄達を望む宮廷の運営さえままならない。 既得権にしがみつき、それゆえ一門を弱体化させるしか能のない旧態然とした古い貴族たちとは異なり、時勢と現状を見る目を持つ利口なS子爵家の者たちなら、それがわかっているはずなのだ。 S子爵家の者たちは、もちろん わかっていた。 わかっているからこそ――H公爵家なしにはE国も その王室も宮廷も立ち行かないことがわかっているからこそ――S子爵家の者たちのH公爵家への憎しみは、H公爵家そのものではなく、H公爵家に近付いていく瞬に向かうことになったのである。 瞬が適度に距離を保って氷河に接触を持つだけだったなら、S子爵家の者たちは それをH公爵家の総領息子懐柔のためと考えることもできただろう。 しかし、瞬は氷河に近付きすぎたのである。 一日と間を置かず、H公爵家を――S子爵家を軽んじ、侮辱し、辛酸を舐めさせ続けている憎い敵であるH公爵家を――訪問し、明るい笑顔で館に帰ってくる瞬。 その様子は、S子爵家の者たちの中に不信と不快の念を生んだ。 人間を真に動かすものは、金でも権力でもなく快不快の感情である。 瞬と瞬の母の忍耐に同情し、強力な後ろ盾を持つ正妻の子である瞬をS子爵家の跡継ぎにするのが筋と考えていた者たちの心は急激に瞬から離れ、愛人の子であってもS子爵家のことを第一に考えている一輝の方に傾いていた。 H公爵家に近付きすぎる瞬への S子爵家の者たちの不信と反感を決定的にしたのは、氷河の画策によって 瞬が侍従長次官の地位を得たことだった。 S子爵家の当主でもなく、次期当主と目されている一輝でもなく、現在は成人もしていない瞬が、宮廷の重職に就いたのである。 瞬は、S子爵家のためではなく、自分の個人的な益のために H公爵家の総領息子と癒着しているのだと、S子爵家の者たちが考えたのは当然の成り行き。 瞬は、侍従長次官の地位を得ることで、S子爵家の者すべてを敵にまわしてしまったのだった。 |