冥界で 懐かしい瞬王子との再会を果たした時から、氷河はずっと瞬王子を見詰め、見守ってきました。
冥界で10年振りに その姿を見た時には、清らかで優しげで端正な その様子が、自分の思い描いていたそれを はるかに凌駕して美しいことに驚き、戸惑い、自分の想像力の貧困さに呆れてしまったほどだったのに――瞬王子の姿は、再会の時と何も変わっていないのに――今の瞬王子は、生気の感じられない作り物の百合の花のよう。
あるいは、永久に融けることのない氷の中に閉じ込められ、命そのものが凍りついてしまった薄桃色の薔薇の花のようでした。

氷河には わからなかったのです。
瞬王子は、小さな頃は本当に可愛らしく優しく、側にいるだけで氷河の心を温かくしてくれる王子様でした。
些細なことを全身で喜び、些細なことを全身で悲しむ、情緒豊かな少年でもありました。
母のない氷河を見詰める時には、本物の母親である王妃様より母親めいて、慈愛と呼んでいいような悲しさと優しさを その眼差しにたたえているような子供――小さな子供――だったのです。
瞬王子に笑顔でいてもらうために、自分は母のことは思い出さないようにしよう、母のことで悲しまないようにしようと氷河に決意させるほど、瞬王子の笑顔は、氷河を――そして すべての人々を――幸せな気持ちにさせるものでした。
その瞬王子が、今では笑うことさえ忘れ、人の心に 温かさではなく 空しさや物悲しさを生むような人間になってしまっている。
あの瞬王子が、今なぜ こんなふうなのか、氷河には本当に――本当に理解できませんでした。

最近、瞬王子は、人が大勢いる場所を避け、王宮の裏庭で ぼうっと花を眺めていることが多くなっていました。
人を愛し思い遣る心を忘れても、花を愛でる心だけは残っているのかというと、そうではないのです。
昔は 物言わぬ花にも愛情のこもった視線を注いでいたのに、今の瞬王子は 正しく それらを眺めているだけ。ただ視界に映し取っているだけ。
瞬王子のいる花園に足を踏み入れた氷河の挨拶も、『こんにちは』や『ごきげんよう』ではなく、
「退屈なのか」
になってしまいました。

「あ……ううん」
それが幼馴染みで みなしごの氷河だということを思い出してもいないような空ろな瞳で、瞬王子は首を横に振ってきました。
この 輝きのない無感動な瞳の持ち主が 本当に、氷河が無茶をして怪我を負うと、自分が怪我をしたかのように泣きながら手当てをしてくれた、あの瞬王子なのでしょうか。
今の瞬王子は、氷河がここで血を流して地に倒れ伏していても、冷たい目で その様を見下ろしていそうでした。

幼い頃の瞬王子の あの優しさ温かさは、いったい どこから生まれてきていたものだったのでしょう。
あの優しさ温かさが、なぜ今は瞬王子の中に生まれないのか。
あの頃だって、瞬王子は、誰かに『愛とはこういうもの』と教えられていたのではなかったはずなのに。

幼い頃から、氷河は瞬王子が特別に好きでした。
瞬王子の笑顔がなければ 自分は幸福になれないし、瞬王子の存在なしに 自分の人生はありえないと思っていました。
大切な友のように信じ、可愛い弟のように愛しく思い、世界に一人だけいるお姫様のように恋し、亡き母のように慕い、生涯を通じて忠誠を誓い、命を捧げる ただ一人の人。
氷河にとって、瞬王子は そういう存在でした。
氷河にとって、瞬王子は、本当に“すべて”だったのです。
だからこそ、青春という貴重な時期を瞬王子のために使うことに ためらいはなかった。
死の危険が待つ冥界行にも ひるむことはなかった。
氷河にとって、瞬王子は、まさに 氷河の愛そのもの。
誰よりも愛する者、誰よりも愛されたい者。
存在しなければ、自分という人間が生きていること自体に何の意味もなくなってしまう、彼の愛そのもの、愛の具現でした。
その瞬王子が 瞬王子自身の愛を失ってしまうなんて、そんなことを、氷河は考えたこともなかったのです。
けれど、瞬王子は 今では、誰かを愛することも、誰かに愛されていることも すっかり忘れ果てています。

愛することを忘れた瞬王子を、今も自分は愛しているのか。
今の自分は、愛することを忘れた瞬王子を哀れんでいるだけなのではないか。
瞬王子の中から愛というものが消えてしまった事実を知らされた時から、氷河はずっと考えていました。
そして、愛というものが その人の幸福を願う気持ちなのであれば、『もちろん、俺は瞬を愛している』が氷河の答えでした。
氷河は瞬王子に幸福でいてほしかった。
瞬王子が不幸でいるなんて、氷河には耐えられないことでした。
けれど、今のまま――空ろな瞳のまま――愛を実感することのない人生は、瞬王子を幸福にすることはないでしょう。
氷河は、瞬王子が以前の笑顔を取り戻し、その笑顔で周囲の者たちを幸福にし、瞬王子自身も幸福になってくれるのなら、自分が愛を忘れた不幸な人間になってもいいとさえ思うようになっていました。






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