瞬の部屋の見張りは、(ごく普通の一人の人間の逃亡を阻止するためのものとしては)非常に厳重なものだった。
あの巨人が扉の前に立っていない時には、他の私兵らしき男たちが二人一組で見張りに立ち、しかも それは一日三交代で為され、瞬の部屋に見張りが立っていない時間は 一日に1秒たりともない。
そうまでして瞬の自由を奪っておきながら、カタリン夫人は瞬に何もしなかった――何もせず、何をさせるでもなかった。
日に一度、夕食後に様子を見にやってきて、体調と退屈していないかどうかを尋ねてくるだけ。
『もちろん退屈だ』と言えば、書籍が数冊届けられ、『氷河に会わせてほしい』と言うと、『あの男は立って歩けないほど酒を飲み、酔いつぶれて、一日中寝てばかりいる』という答えが返ってきた。

氷河が“酒に酔って一日中寝てばかり”いないことは、日に一度 氷河が瞬の部屋を訪ねてくることでわかっていたのだが、酒に酔って寝てばかりいることになっている時間に彼が何をしているのかは、瞬にはわからなかった。
尋ねても、氷河は教えてくれない。
恋人に触れることをしなくなった氷河は、瞬に会いに来てはくれても、瞬にかける言葉の数は減り、ろくに瞬の姿を見ようともしない。
そして、時折、カタリン夫人が使っている麝香の香水と同じ香りを漂わせている。
その香りが、麝香と氷河の体温体臭が混じり合ってできたものではなく、麝香と氷河の体温体臭とカタリン夫人の匂いが混じり合ってできたものであることが、瞬を混乱させていた。

この城の中では、たった1日の時間が1年にも2年にも感じられ、たった1週間の時間が10年にも20年にも感じられる。
それが不安のせいであることはわかっていたのだが――瞬は 部屋の中にある鏡を覗き込むことが頻繁になってきていた。
もしかしたら、自分は 自分でも気付かぬうちに60過ぎの老人になってしまっているのではないかという強迫観念が、瞬を鏡の前に立たせるのである。
もちろん、瞬が鏡の前に立つたび、そこには、まだ若い10代の、少なくとも この城に来る以前と何も変わっていないように見えるアンドロメダ座の聖闘士の姿が映るのだが、そうなれば そうなったで、瞬の胸の中には、自分の目がおかしくなっているのではないかという怖れが生まれてくるのだった。

瞬とてアテナの聖闘士である。
アテナの手足として動き戦うことを生業にしているアテナの聖闘士なのだ。
氷河が安全に自由に動けるように 大人しい虜囚の振りをしているのにも限界がある。
とはいえ、氷河の身の安全を考えると、逃亡等 あまり大胆なこともできず、瞬にできたのはせいぜい、見張りを懐柔して 彼等から情報を聞き出そうとするくらいのものだったが。

『見張りなら、扉の外に立っているより、部屋の中で座って見張っている方が確実だし 疲れずに済むでしょう』という瞬の説得に、瞬の見張りに立った私兵たちは、その全員がすぐに応じてきた。
あの巨人でさえ、それは例外ではなかった。
彼等は皆、血の伯爵夫人の身内によって囚われた不運で非力な美少女に同情しているようだった。
にもかかわらず、絶対君主であるカタリン夫人に逆らうことのできない自分に罪の意識を感じてもいる。
そのせいか、彼等は、瞬が尋ねることには比較的容易に気軽に答えてくれたのである。
末端の使用人にすぎない彼等が知っていることは、ごく僅少かつ限定的なものではあったが。

「カタリン夫人は、僕をここに閉じ込めておきながら、会いにも来ず、いったい何をしているの」
「ご城主様はご多忙なんだ」
「貴族の奥方――しかも未亡人なんて、化粧と着替え以外の仕事などないものだと思っていたけど」
「そのお仕事がお忙しいのだ」
「一日中 そればかりしているわけではないでしょう」
「一日中 そればかりしているらしい。俺たちも よくは知らないが、ご城主様は 滅多に自分の部屋から出てこないんだ」
カタリン夫人に関して、見張りの兵たちが瞬に教えてくれたのは それくらい。

「僕と一緒に この城に来た金髪の青年が 今どうしているのか知ってる?」
「酒を飲まされて、一日中寝ているんじゃないか? この城に連れてこられた者は、まず酒でもてなされるから。俺たちも姿は見ていないな」
「氷河はロシア出身で、お酒なんて水とおんなじなの」
「ここの酒は特別製なんだ。象でも熊でも一口で酔っ払って、立っていられなくなる。あんたのお連れさんも、どこかで酔って寝てるんだろう、多分。多分……死んではいないから、それだけは安心してていい」
氷河に関して、見張りの兵たちが知っていることは それくらい。
つまり、瞬には何もわからなかった。






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