星矢たちが 次にまた奇妙な小宇宙を感じたのは、その翌日。
昨日 突如としてアテナの聖闘士たちの上に崩れ落ちてきた遺跡の検分に出掛けた時だった。
昨日は全く気付かなかった、遺跡周辺の茨の群生。
昨日崩れ落ちたばかりの神殿の柱や屋根の残骸には、早くも茨の蔓が絡みつこうとしていた。
「今日は、あの小宇宙は感じられな――」
昨日 崩れ落ちる前の神殿に充満していた小宇宙は 今日は感じられない――と、瞬は言おうとしたのだろう。
その言葉を、瞬は最後まで言わなかったが、瞬は その言葉を最後まで言ってしまってもよかったのである。
言っても、それは嘘にはならなかっただろう。
そう言いかけた瞬に急に襲いかかってきた小宇宙は、昨日のそれとは全く違う色合いの小宇宙だったのだから。

「あっ」
周囲にはアテナの聖闘士たち以外の誰の姿もない。
瞬に襲いかかってきた小宇宙は、昨日 星矢たちが接したものとは感触の異なる小宇宙だった。
が、発する者の姿が見えないという点では、昨日のそれと同じ。
その小宇宙が、瞬に――正しくは、瞬自身ではなく、瞬が身につけているものに――不可思議な力を及ぼし、そして何かが砕け散った――ように、瞬の仲間たちには見えた。
「ど……どうして !? 」
宗教画でよく見る輪光ニンブスのような金色の光の輪が 瞬の周囲に浮かび、それが数十の小さな光になって茨の上に散り落ちる。
いったい何が起こったのかわからぬように その場で瞳を見開いた瞬は、だが、すぐに茨の上に両膝をつき、飛び散った金色の光を拾い集めようとした――おそらく。

「瞬、なに、ノンキにゴミ拾いしてんだ! この小宇宙、どこから攻撃を仕掛けてくるか わかんねーぞ!」
「星矢たちは先に行って!」
「先に行けって、どこへだよ!」
「安全なところへ!」
「どこが安全なのかわかったら、とっくにそうしてるよ!」

砕け散った光を掻き集めている瞬の手は、茨の刺のせいで傷だらけになっていた。
その様を見て眉をひそめた氷河は、茨の絨毯の上に這いつくばってゴミ拾いをしている瞬の腕を掴みあげ、瞬をその場から移動させようとしたのである。
だが、彼は、驚くほど強い力で、その手を瞬に振り払われてしまった。
「瞬……」
「あ……ご……ごめんなさい……」
仲間の身を案じて差しのべられた手を、無意識の行動とはいえ乱暴に振り払ったアンドロメダ座の聖闘士の振舞いに、その場で最も驚いていたのは瞬自身だったかもしれない。
氷河に謝罪の言葉を告げ――告げ終わってから、瞬はゆっくりと顔をあげたのである。
悠長に『ごめんなさい』などという言葉を口にしていられるだけの時間をアテナの聖闘士に与えるほど のんびりした敵の攻撃を訝って。

「消えた……?」
氷河もまた、顔を上向かせ 周囲を見回す。
もちろん、小宇宙は視覚で捉えられるものではないのだが――今 アテナの聖闘士たちの周囲にあるものは、崩れ落ちた神殿と、瞬の手を傷付けている茨の群生、そして梅雨のないギリシャの6月末の青い空だけだった。
他には、アテナの聖闘士たちが発する4つの小宇宙の気配のみ。
天に昇ったか地に潜ったか、正体不明の何者かが生む小宇宙の気配は 跡形もなく消えてしまっていたのである。

「な……何だよ、これ! どういうことだよ! あの小宇宙、まさか瞬を脅かすためだけに、ここに現れたわけじゃないだろーな!」
そんなことはありえない――“敵”には、アテナの聖闘士にそんなことをしても何の益もない(はずである)。
だというのに、そうとしか思えない この状況。
訳のわからない事態に顔を歪め、星矢は、茨の上に両膝をついたままの瞬の上に視線を巡らせた。

「あの小宇宙が飛び散らせた光るものは何だ? 敵が狙うようなものなのかよ?」
「あ……あの……」
瞬が なぜか答えを言い淀む。
その答えを星矢に告げたのは、茨の刺で手を傷だらけにしても瞬が拾い集めようとした物を一粒 拾い上げた氷河だった。
「チェーンの残骸……のようだな」
「チェーン? ネビュラチェーンを落としたのかよ?」
それならば、アンドロメダ座の聖闘士には 確かに非常に重要なものである。
それを落としたなら、瞬は万難を排してでも取り戻そうとするだろう。
問題は、ネビュラチェーンは落としたくても落とせるようなものではないこと、そして、現に瞬はそれを落としていないということだった。

「詰まらん冗談はやめろ」
瞬の聖衣のアームの定位置に いつも通りに鎮座ましましているネビュラチェーンに一瞥をくれてから、氷河が面白くなさそうな顔をして、星矢の意味のない冗談を切って捨てる。
そうしてから彼は、親指と人差し指で つまみあげた金色の かけらに再度 視線を落とした。
「これはネックレスチェーン……ベンダントチェーンか」
「アクセサリー? それは瞬らしくない――」
言いかけた紫龍が、ふと あることに気付いたような眉を曇らせる。
「まさか、ハーデスのあれではないだろうな?」
紫龍に問われた瞬は、すぐに首を横に振った。
「あれは……ハーデスとの戦いのあと、ペンダントトップはアテナに封印してもらったの。チェーンだけ、僕の手許に残して」

瞬が自分の身を飾る物を 自分から買い求めるとは思えない。
となれば、あの不可思議な小宇宙が ばらばらに引きちぎり、敵の脅威に さらされる危険を冒してまで 瞬が拾い集めようとしたチェーンは、ハーデスの呪縛の一部だったもの――ということになる。
「まさかとは思うけど、おまえのお守りってのは、そのチェーンのことか?」
瞬に確認を入れる星矢の表情が楽しげなものでなかったのは当然のことだったろう。
自戒のためなのか、あるいは、縁起が悪すぎて更なる不運を呼び込むことはないだろうと期待してのことなのか――瞬には瞬の考えがあるのだろうが、それは星矢には理解できない考えだったのだ。
自分を邪神に繋げていたものに 我が身を守らせようという考え方は。

「うん……」
瞬が そう考えているというのなら、あえて その考えを否定する気はなかったが、星矢は、瞬がお守りと見なしているものが、むしろ瞬に災厄を運んできているような気がしてならなかった。
そして、お守りのチェーンが瞬を守らず、逆に瞬がそれを守ろうとしているという奇妙な逆転現象に苛立たずにいることも、星矢にはできなかったのである。
「阿呆! 自分の命と お守りとどっちが大事なんだ! そういうのを本末転倒って言うんだぞ!」
「ごめんなさい……」
星矢が怒る理由も、自分に非があることも――少なくとも、他の誰にも何にも非がないことも――瞬はわかっているのだろう。
シュンは、『でも』をつけずに、星矢に謝罪してきた。

「――いつもは無茶をするのはおまえの方なのにな」
普段の自分の行動を棚にあげて、仲間の身を案じ 瞬を怒鳴りつけている星矢をからかうように、紫龍が言う。
仲間の揶揄に、星矢は少し きまりが悪そうに口をとがらせた。
「まあ……あの変な小宇宙も もう戻ってこないみたいだし――」
もしかしたら、瞬が考えている通りに、自身が破壊されることで 瞬のお守りは瞬の身を守ったのかもしれない。
そう思うことで、星矢は、瞬のお守りに対する怒りを静めることにした。
瞬が、ほっとしたように短く吐息する。

「うん。星矢たちは先に聖域に戻ってて。僕は――」
「おい、おまえ まさか、こんな跡形もなく ばらばらになったチェーンを、まじで全部拾い集める気かよ! 新しいの買った方が早いだろ!」
瞬がどうやら そのつもりらしいことを察して、星矢が また声を張り上げる。
瞬は、だが、星矢の言葉に首を横に振り、砕け散ったチェーンのかけらを求めて、再び茨の群生を掻き分け 落し物の回収に取り組み始めた。
そんな瞬を見て、氷河が 同じように茨を掻き分けだす。
氷河が仲間の落し物回収に協力し始めたことに、瞬は慌てたようだった。

「氷河! 刺で怪我するよ……!」
「おまえは、そんな傷だらけの手をして何を言っている。――原形を留めないほど砕け散っても捨て置けないくらい大事なものなんだろう?」
「うん……」
「なら、拾い集めるしかあるまい」
「氷河……」
瞬は泣きそうな目になって、早くも数本の赤い線を描いてしまっている氷河の手の甲を見詰めることになったのである。
「まあ……今回も無事だったからいいけどさ。そんなに大事なものなら、戦いに行くときは安全な場所に置いてけばいいんじゃないか」
「そうはいくまい。お守りというものは、身につけていて初めて お守りとして機能するものだ」
「ったく、イワシの頭よりたちの悪い お守りだぜ!」

文句を言いながら、氷河に続き 星矢と紫龍までもが茨の中に手を突っ込んで、瞬のお守りの残骸回収作業に取り組み始める。
仲間たちの振舞いに。瞬は一瞬 大きく瞳を見開いた。
「ご……ごめんなさい。あの……でも、これは僕の大切な お守りなの。いつも側に置いておきたい。これがある限り、僕は生きていられる、戦い続けられる……。星矢、紫龍、氷河……ごめんなさい」
傷だらけの手で、涙がにじんでくる目を、瞬は拭うことになった。
本当は瞬にも わかっていたのである。
真に自分を守ってくれる“お守り”は、この心優しい仲間たちなのだということは。
それでも諦められないもの、捨てることのできないもの。
それが、今は元の形も留めないほど ばらばらに砕け散ってしまった金色の光の粒だった。

そうせずにはいられないから そうするだけで、決して瞬に謝らせたり泣かせたりするために残骸回収を始めたわけではなかった星矢が、瞬の涙腺の脆さに、むしろ困ったような顔をする。
「こういう時は『ごめんなさい』じゃねーの。こういう時は」
「『ありがとう』」
「わかってんじゃん」
『ありがとう』という言葉を口にする時に、人は自然に ある表情を浮かべるようにできている。
まだ少し涙は残っていたが、それでも笑顔と呼んで差し支えないものを仲間たちに向けてきた瞬に、星矢は満足した。

そうして アテナの聖闘士たちが その手を傷だらけにして集めた200個ほどのチェーンの残骸。
事情を聞いた沙織が 腕のいい貴金属修理の職人を手配してくれたおかげで、瞬は再び 完璧に復元されたペンダントチェーンを手にすることができたのだった。






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