二度あることは何とやら。
奇妙な力が出現しては消えていく遺跡の周囲に 怪しい小宇宙が渦巻いていることに、アテナの聖闘士たちが三たび気付いたのは、修理に出していたミラノの工房から瞬のチェーンが元の姿になって戻ってきた、まさに その日だった。
「まじで冗談でなく、そのチェーンに変な小宇宙を呼び寄せる力があるんじゃねーのか?」
正しく半信半疑の心境で そんな冗談を言いながら青銅聖闘士たちが駆けつけた問題の場所。
最初の時とも二度目の時とも違う色合いの小宇宙が渦巻く その場所で、だが三度目に 謎の力のターゲットになったのは、瞬のお守りではなく氷河だった。

今は大理石の柱や屋根の残骸が散らばるだけの神殿跡に、星矢が、そして紫龍が入っていった時には何も起こらなかったというのに、氷河が その場に足を踏み入れた途端、まるで地獄まで続いているのではないかと思えるような深い亀裂が 突然 彼の足下に生じ、氷河は その亀裂の中に引きずり込まれてしまったのである。
「何だ !? 」
「氷河っ!」
瞬がすぐさまネビュラチェーンで氷河の腕を捉えたのだが、氷河を地下に引きずり込もうとする力は 恐ろしく強大だった。
異常なほど強大だった。

まるで下方に向かうロケットエンジンが氷河に取りつけられでもしたかのように、尋常ではない力が氷河の身体を地下に引き込もうとする。
思ってもいなかった その力のせいで、ネビュラチェーンで氷河の腕を捉えた瞬自身の身体までが、氷河と共に深い亀裂の中に引き込まれそうになった。
実際 落ちてしまっていただろう。
瞬のネビュラチェーンが、氷河の腕を捉えたサークルチェーンしかなかったら。
瞬が もう一方のスクエアチェーンをくさび代わりに地中深くに打ち込み、自分の身体を かろうじて地表に留め置くことができなかったなら。

「瞬! 氷河!」
一方は異様な力で氷河を深い亀裂の底に引き込もうとする力に引かれ、もう一方は その異様な力に対抗するために同等の力で瞬の身体を逆方向に引き寄せようとしている。
敵にダメージを与えて倒すことは得意だが、言ってみれば それ以外のことは常人レベルの星矢と紫龍は、こういう時 何もできない。
これが運動会の綱引き競技なら、二人の聖闘士がスクエアチェーン側に味方すれば 相当の戦力増強になっただろうが、氷河を地中深く引き込もうとしている力は、そんな人力レベルのものではなかった。

「ど……どうすりゃいいんだよ!」
「どうすればいいのかがわかったら、とっくに そうしている!」
為す術を見い出せないことに苛立ち狼狽している星矢に、紫龍が彼らしくない怒声で答える。
手も足も出せない星矢と紫龍の目の前で、瞬の身体は じりじりと氷河の方に――つまりは、亀裂の方に――移動し始めていた。
力の均衡が破られ始めている。
瞬は亀裂のきわにまで引っ張られ、断崖の端までの距離は既に数センチしかない。

「あっ……」
いかに微力でも 手をこまねいて何もせずにいるよりはましと考えた星矢が スクエアチェーンを掴み、亀裂に落ちかけている瞬の身体を亀裂の際から引き戻そうとした時だった。
それまで二つの方向に引き合う力の真ん中で歯を食いしばっていた瞬が、小さな悲鳴をあげたのは。
チェーンが――ネビュラチェーンではなく、今日イタリアから瞬の許に戻ってきたばかりのペンダントチェーンが――ふいに瞬の首から浮き上がり、そして、切れる。
輪でなくなった それは、ゆっくりと瞬から離れ、たんぽぽの綿毛や しゃぼん玉が微風に弄ばれているように瞬の周囲で ゆらゆらと揺れていたが、やがて その金色の光の羅列は少しずつ下へ――地面ではなく亀裂の中に落ち始めた。

瞬が氷河を助けることを諦め、自分の手なりサークルチェーンなりを、ゆっくりと落下していくペンダントチェーンに伸ばしていたら、瞬は自分から離れていく“お守り”を掴み取り戻すことができていただろう。
だが、そんなことができるわけがない。
瞬の目の前で、その金色の光の連なりは静かに亀裂の中に吸い込まれていった。

もう取り戻せない。
瞬がそう思った時、氷河を奈落に引き込もうとしていた強大な力が 突然消える。
奇怪な引力の影響を受けなくなったサークルチェーンは、いとも軽々と氷河の身体を地表に引き戻した。
氷河の身体が地表に戻るのと ほぼ同タイミングで、地獄の底までつながっているようだった深い亀裂が消滅する。
まるで氷河の代わりに瞬のペンダントチェーンを奪うことで満足したかのように、深い亀裂のあった場所は、普通の地面に戻ってしまっていた。

「い……いったい何が起こったの……」
星と星の間に生じる引力もかくやと言わんばかりの二つの力から唐突に解放されたせいで、今度は無重力の中に放り込まれてしまったような錯覚に襲われ、瞬の身体がふらふらと揺れる。
瞬がその場に倒れずに済んだのは、瞬が不可思議な亀裂の中から助け出した人が、その身体を支えてくれたからだった。
「瞬、大丈夫かっ」
「あ……僕は平気……。氷河こそ、あんなすごい力に引っ張られて……」
「いや、俺は――」
瞬を心配そうに見詰めていた氷河の瞳が、瞬の心身の無事を確認できたからか、僅かに和らぐ。
そうしてから彼は、少々当惑したように眉根を寄せた。

「俺はどんな力も感じていなかったんだ。ただ身体が宙に浮いているような感覚があるだけで――なぜ おまえがあんなに必死なのかがわからなかったくらいだ。言ってはなんだが、おまえとおまえのチェーンなら、離陸直後のプロペラヘリくらいなら簡単に地表に引き戻せるだろうに」
「え……」
氷河のその言葉を聞いて、瞬は瞳を見開いたのである。
瞬は、プロペラヘリどころか、人工衛星の打ち上げロケットを相手にしているような気持ちで、氷河を奈落に引きずり込もうとする力に抵抗していたのだ。

「こんな芸当ができる奴って……」
「嫌な予感がする……」
氷河と瞬の話の矛盾が、氷河と瞬のみならず、星矢と紫龍の表情までを暗くする。
どこかで接したことのある三つの異なる小宇宙の感触――強大な小宇宙の感触。
一度接したら忘れるはずもないほど強大な小宇宙。
にもかかわらず、それが誰のものだったのかを思い出せないこと。
思い出せそうで思い出せないことが、アテナの聖闘士たちを不快にした。






【next】