「アテナ像の下から見付かったオルゴールの蓋に、花の形の透かし彫りがあったでしょう。あれはオレンジの花なの。そして、聖域にオレンジの木が7、8本。だから、もしかしたらって思ったんだ」 星矢が仲間たちに追いついたのは、獅子宮と処女宮をつなぐ石段の脇だった。 地面がぽっかりと、半径50センチ、深さも50センチほどの口を開けている場所。 “いつも聖域をふらふらして草むしりをしているおっさん”が その穴を埋めるために用意したのだろう土と、穴のあった痕跡を残さないために敷き詰めるつもりなのだろう砂利が、穴の脇に 小さな山を作っている。 推理小説でお馴染みの『名探偵、皆を集めて“さて”と言い』の場面。 瞬は謎解きに必要な情報は、既に、紫龍、氷河と共に収集済みらしい。 答えさえ手に入れられれば、その経過には ほとんどこだわりなく満足できる星矢は、瞬の説明を受ける人間が自分一人だけだということに、さしたる不満も抱いていなかった。 「オレンジの木は、聖域に7本あったんだって」 「へー。で?」 「ケフェウス座は7つの星からできてる星座で――造園技能士のおじさんが持ってた聖域の図面で その場所を教えてもらったんだけど、7本の木はケフェウス座の7つの星に呼応する場所に立っていた。アルビオレ先生の先々代のケフェウス座の白銀聖闘士は、この聖域に オレンジの木で 自分の星座を描いたんだよ」 徐々に話が見えてきたらしい星矢の目が、宝の地図を見付けた子供のそれのように輝き始める。 実際、星矢は、今初めて宝の地図に出会ったのだ。 星矢をのけ者にして(?)瞬たちがしていたことは、宝探しではなく、宝の地図探し。 星矢は、宝の地図が見付かったところから冒険に参加できれば、それで十二分に満足できた。 「じゃあ、その7本の木が植えられてた場所のどこかに お宝が埋められてるんだな? 1本1本 掘り返してみるのか? 場所は全部わかってるんだろ?」 「お宝かどうかはわからないけど――」 頭脳労働ではなく肉体労働なら いくらでも積極的に協力したいし、協力できる。 やる気満々、気負いこんで尋ねたワトスン博士に、だが、ホームズは少し困った顔になった。 「そんなに張り切らないで。アテナ像の台座を修繕していた石工のおじさんが、あのオルゴールは、夏至の日にニケの影の下にあったって言ってたでしょう。つまり、アテナの右手の影の中」 「言ってた」 「おじさんに確認してきたけど、夏至の日の正午以外は、アテナ像の影は、どこかしらが必ず台座からはみ出るんだって。夏至の日だけが特別」 「へー」 「あの箱は、まるで奇跡のように、その特別の日に見付かったんだよ。別の日に見付かってたら、僕には謎を解くことはできなかったかもしれない。少なくとも、その謎を解くために、太陽の高度変化を調べたり、日射角を計算したりして、仮説を立てる作業から始めなきゃならなかったと思う」 「それって運命の出会いとか、奇跡の出会いとかいうやつか? ま、奇跡発動は俺たちの得意技だもんな」 瞬に そう応じながら、実は星矢は、その奇跡が瞬に何をもたらしてくれたのかが、まるでわかっていなかった。 それ以上は何も言わず、瞬の説明の続きを待つ。 「ケフェウス座のα星はアルデラミンっていうの」 「アルデラミン? それ、美味い――あ、いや、えーと……」 「多分、食べても美味しくはないよ。アルデラミンは“王の右手”っていう意味なんだ」 「不味そー」 ほとんど反射的に、星矢が顔をしかめる。 星矢らしい反応に、瞬は口元だけで微笑した。 「聖域のオレンジの木は、アルビオレ先生の先々代のケフェウス座の白銀聖闘士が植えたものだと思うんだ。そして、謎の答えは、アルデミランの木のどこかにある。つまり、この穴の周辺に」 「7本全部に当たらなくていいってことか。奇跡様々だな」 「そうだね。星矢みたいに面倒くさがらずに真面目に7本分 全部を掘り起こして確かめようとする仲間がいなかったら、僕は謎の解明を諦めていたかもしれない」 「それ、褒めてんのかよ」 「星矢の不屈の闘志と根性をね」 瞬は、人に嫌味や皮肉を言う人間ではない。 それがわかっているから、星矢は、他の人間が言ったのであれば完全に嫌味になる瞬の発言の真意を深く追求することはしなかった。 だが、不屈の闘志と根性があればどうにかなる作業を軽易化できた程度のことを“奇跡”と評する瞬を訝ることはしたのである。 瞬は、天馬座の聖闘士の100倍も真面目で、物事を面倒くさがることのない聖闘士だったから。 「あ、でも、もし お宝が木のウロとかに隠してあったなら、お宝を見付けるのは もう無理なんじゃないか? 倒れた木は もう薪にでもされて煙になっちまってると思うぞ」 「その心配はないと思う。オレンジの木の寿命が せいぜい100年。アテナ像の台座が壊れるなんて、へたをしたら1000年も先のことだったかもしれないんだ。誰かが あの小箱を見付けた時、オレンジの木が既になくなっている可能性は大きい。だから、謎の答えは多分、オレンジの木のどこかじゃなくて、木の下――土の中にある。謎を隠した人が、もしそれを誰かに見付けてほしいと思っていたのなら」 「そっか。それもそうだな。……って、でもさ、箱が見付かるのが、今から1000年後だったら、聖域にオレンジの木があったことすら誰も知らなくて、永遠に お宝は見付けられなかったんじゃないか? オレンジの木の寿命を知ってる奴が、そんなことも考慮しないってことがあるのかよ」 「それも考慮済みだったと思う。だから、奇跡だって言ったんだよ。オレンジの木の記憶が人々から完全に消え去る前の夏至の日に、小箱が見付かったことが。あの箱を隠した人は、もしかしたら、誰にも謎の答えに行き着いてほしくなかったのかもしれない……」 「だから おまえは謎の答えに行き着くことを ためらっているのか? 星矢に肉体労働なんかさせなくても、ネビュラチェーンを使えば、謎の答えはすぐに見付かるだろう。アクシア探しはネビュラチェーンの十八番だ」 「え……」 それまで謎解明の経緯説明を瞬に任せ、紫龍と共にオブザーバーに徹していた氷河が、ふいに脇から口を挟んでくる。 氷河のその言葉に、瞬は一度 大きく瞳を見開き、それから 僅かに顔を俯かせた。 氷河の指摘は正鵠を射ていた。 瞬は、その謎の答えのすぐ側に辿り着いた今、謎の答えを見ることに躊躇を覚え始めていたのである。 「ここまで来て答えを確かめなかったら、それはそれで後悔を生むだろう。奇跡が おまえをここまで連れてきたんだ。確かめた方がいい。何光年の彼方に隠れている敵でも見付け出してくれるネビュラチェーンなら、謎の答えを すぐに見付けてくれるだろう。もしまだ この付近に残っているなら、せいぜい数メートル四方の内だろうし」 「ん……そうだね。多分……氷河の言う通りなんだろうと思う」 それでも謎の答えを知ることを恐いと感じるのは なぜなのか。 それは、奇跡が起こらなければ決して見付からなかっただろう謎を隠した人の気持ちがわからないから――だったかもしれない。 その人は、謎の答えが見付けられることを望んでいたのか、誰にも見付けられないことこそを望んでいたのか。 それが、瞬にはどうしても わからなかったのだ。 瞬が 氷河の助言に従う決意をしたのは、謎の答えを確かめなければ、その人の真意を知ることができないと思ったからだった。 |