庭木を植え替えるというので、数日前から 城戸邸の庭には小型のブルドーザーが入っていた。
だが、今日は日曜日で、造園の作業も休み。
掘り起こされた土と、どこからか運ばれてきた新しい土が、城戸邸の広い庭の一角に 二つの山を作っている。
その山と山の間で、無駄と知りつつ、瞬は星矢に その遊びの中止を再度訴えたのである。
「星矢、もうやめようよ。僕、泥が服に撥ねて べちょべちょだよ。こんなにしちゃって、怒られたらどうするの」
「どうせ怒られるんだから、もっと派手に汚しちまおうぜ。ちょっと汚れるも いっぱい汚れるも一緒じゃん。団子屋ごっこの団子屋が 団子 嫌ってどうすんだよ」
「お団子って言ったって、泥のお団子じゃない」
「そういう野暮は言わねーの。俺が作るとさ、どうしても形が いびつになって、大きさも揃わないんだよ。おまえが頼りなんだ。ほら、早く」

それを星矢は、普通の家の子供にはできない極めて贅沢な遊びだと主張していた。
泥遊びができるほどの庭を持たない普通の家に住む子供は、公園の砂場か 海水浴場の浜辺で 砂をいじるのが精一杯。
普通の家の子供たちは、地表がアスファルトで覆われていない空地のある田舎にまで遠出をしなければ、泥遊びなどできない。
広い庭を構えた城戸邸に集められた孤児たちだけが、泥遊びという贅沢な遊戯に興じることができるのだ。
ならば この幸運な境遇を目一杯 楽しもう。
先程から 星矢は そう言い張っていたのである。

「でもね。服を泥だらけにしたら、絶対に怒られ――」
「怒られるのが恐くて団子屋なんて やってられるかよ!」
わざわざバケツで水を運び、程よい硬さに捏ねまわした上等の泥の前で尻込みしている瞬の手を、星矢は思い切り引っ張った。
そのはずみで つんのめった瞬が、そのまま頭から泥の中に倒れ込む。
「おわっ!」
想定外の展開に、星矢は巣頓狂な声を辺りに響かせた。
が、この事態が想定外だったのは――より想定外だったのは――星矢より瞬の方だったのである。
自分の身に何が起こったのかを理解できず、瞬は泥の中に倒れ込んだまま、すぐには動くことさえできなかった。

「しゅ……瞬、大丈夫かっ! 生きてるか、起きれるかっ!」
瞬の分も慌てて、星矢が仲間の腕を掴んで、その身体を引き起こす。
呆然として、口をきくことはおろか、手足を動かすことさえ思いつかずにいる瞬の代わりに、星矢が瞬の顔や髪についた泥を、そのシャツの裾で拭い取る。
目を開けられるようになっても正気にかえることができず、瞬は まだ幾分泥がついた顔で、泥の中にへたり込み、ぽかんとしていた。
「おい、瞬。息してるか。おまえ、頭のてっぺんから爪先まで泥だらけだぞ。まじで、ひでーことになってる」
「あ……」
「団子 作って団子屋ごっこするつもりだったのに、おまえが泥団子になっちまったなー」
瞬の前にしゃがみ込んだ星矢が、そう言って笑う。

星矢に悪気がないことは、瞬にもわかっていた。
星矢には いつも悪気がない。
星矢はただ、泥の中で呆然としたまま仲間が何も言ってくれないので、自分が何か言わなければならないような気になり、慌てて適当な言葉を作っただけなのだ。
それは、瞬にもわかっていた。
わかっていたからといって、瞬に何ができるわけでもなかったが。
なにしろ瞬は、星矢の気持ちはわかるが、自分が置かれている状況を未だに理解できずにいたのだ。
理解できずにいることを、瞬に理解させてくれたのは、
「あーあ。こりゃ、やっぱ、こっぴどく怒られるよなー」
という星矢のぼやき声だった。

「わーん!」
自分が今 置かれている状況と、その状況が そう遠くない未来に自分に何をもたらすのか。
それを理解した途端、瞬は火がついたように泣き出すことになった。
「星矢のばか、星矢のばか、星矢の意地悪ーっ !! 」
「わ……わりい、ほんと、悪かった!」

星矢に悪気はない。
星矢は心から『悪かった』と思い、反省もしている。
自分が怒られることは平気なのだが、どんな悪さもしていない仲間が自分のせいで大人たちに怒られるようなことは嫌だと、星矢は思っている。
それは卑怯者のすることだと、星矢は考えている――。
瞬は、そんな星矢の気質を知っていたし、だから 星矢のために泣くのをやめたいと思ってもいたのだが、そう思うほどに瞬の瞳からは涙があふれ、喉から漏れる嗚咽も、瞬は自分の意思では止めることができなかった。

「い……一輝か紫龍を呼んでくる。あいつらに おまえが怒られずに済む方法を考えさせるから。大丈夫、一輝たちなら きっとどうにかしてくれるって。だから泣かずに待ってろ。すぐ戻るから、それまでに泣きやんでるんだぞ」
自力での問題解決を諦めたらしい星矢が、そう言って、城戸邸の玄関に向かって駆けていく。
その場に一人 残された瞬の泣き声は、だが ますます大きなものになっていってしまったのだった。
痛くはないのである。
理由にならない理由で怒られることにも慣れていた。
自分がなぜ泣いているのかもよく わからなかったのだが、とにかく瞬は泣かずにいられなかったのだ。

星矢に悪気はなかったのに、なぜこんなことになってしまうのか。
誰も悲しいことを望んでいないのに、なぜ悲しいことが起こるのか。
瞬は、自分が泥だらけになったことを泣いているのではないような気がしてきていた。
そうではなく――この世界では 誰も望んでいないのに 悲しいことばかりが起こるから――だから、瞬は泣かずにはいられなかったのだ。






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