「変わらなかった !? んなわけねーだろ! 沙織さんは、風に吹かれただけでも あの数値は変動するって言ってたぞ!」 「星矢……追い打ちをかけてやるな」 嘘をつけない人間というものは、時に 残酷なまでに容赦のない生き物である。 だが、氷河は、星矢の正直で率直な発言に傷付くことも 更に落ち込むこともなかった。 なにしろ その時 氷河は既に、冥界のコキュートスの底より更に深いところまで どっぷりと沈み込んでいたのだ。 「あの測定器が壊れているのかと思って、瞬に気付かれぬよう自分の値を測ってみたんだ。その、まあ……瞬を喘がせている最中に。俺の値は140だった。危険領域を完全に超えて、もう少しで平時の沙織さんに追いつくくらい凶暴で攻撃的で危険な犯罪者だ。俺は そんなふうだったのに、なぜ瞬は――」 「そ……そりゃ、そういうシチュエーションでなら、瞬は被害者気分だろ。犯罪係数が上がることは……」 「上がらなくても下がらなくても――何らかの変化があって しかるべきだろう! あんなに喘いで、泣いて、俺に食らいついて、絡みついて、俺を離すまいとしていたのに、なぜ瞬は――」 「ストップ。それ以上言うと、個人情報漏洩だ。俺は、瞬が感じていないのだとも、おまえが へたくそなのだとも思っていない。へたなら、むしろ怒りが増すことになるだろうしな。だが、ただ、まあ、その、おそらく――」 「だが、ただ、まあ、おそらく 何なんだ!」 瞬が冷感症なのでもなく、瞬の恋人が へたくそなのでもないとしたら、瞬の変化のなさは いったい何によって引き起こされているのか。あるいは、何を拒絶することで無変化なのか。 氷河には、瞬の変化のなさの理由が まるでわからなかった。 いらいらした声で紫龍を怒鳴りつけた氷河に、怒鳴りつけられた紫龍から、 「瞬は、おまえとの性行為によって、性的興奮ではなく安らぎを得ているんだろう」 という、愚にもつかない慰撫の言葉が贈られてくる。 もちろん、そんな言葉では、白鳥座の聖闘士の傷心は全く慰められなかった。 「……事後ならともかく、事の最中にもか」 「瞬は いろいろと特別だからな。瞬がおまえと寝るのが嫌だと言い出したわけでもないんだし、藪を突いて蛇を出すような真似はするなよ」 「そんなものを出してたまるか!」 瞬の変化のなさの訳を瞬に問い質し、それで瞬に同衾を拒まれる事態を招くような愚行を為すわけにはいかない。 そんなことは、もちろん できない。 だが、それ以前に――氷河は、瞬が 恋人との交合を本心では厭うていて、そのため無変化なのだとは、どうしても思うことができなかったのだ。 瞬はいつも 氷河の腕の中で可愛かった。 昨夜も それは同じだった。 紫龍の言う通り、瞬は快楽より安らぎを求めるタイプの恋人なのだろうとも思う。 だが、氷河は、自分が 「でも、事の最中にも変化なしってさ、じゃあ、どんな時なら、瞬の値は上がるんだろうな」 星矢はどうやら、瞬の不甲斐ない恋人に見切りをつけたらしい。 そして、星矢の興味は、善良な一般市民の犯罪係数や 一般的な(?)アテナの聖闘士たちの犯罪係数から、“瞬の数値が上がる時”に移っていったようだった。 「それはまあ、やはり 本気で怒った時だろう。あとは、よほど強大な力を持った敵と対峙した時くらいか」 「でも、瞬が本気で怒るのって、俺たちが理不尽に傷付けられた時くらいだろ。強大な敵ってのも、今となってはハーデス以上の奴が出てきてくれないと、瞬は脅威を感じないかもしれない」 「そんなことになったら、それこそ 再び地上世界の危機ということになるぞ」 「んー……」 星矢とて、決して 瞬に凶悪で攻撃的な犯罪者になってほしいわけではないのである。 幾多の戦いを経て、瞬の鉄壁の防御力は、戦士としての肉体を守るだけでなく、その精神までをも鉄壁の強さを持つものに変えることになったのかもしれなかった。 実際、瞬は、最近では 敵に対しても滅多に 本気になることがない。 もちろん、地上の平和と安寧を乱す敵が現われれば 命がけで戦うのだが、その力の源が怒りであることはなく――むしろ、穏やかで揺るぎのない慈愛のようなものであるような気がする。 それは瞬らしい戦い方だと思うし、悪いことだとも思わない。 星矢は、だが、現在の瞬が そんなふうに穏やかだからこそ、もし この先 何かがあって瞬の鉄壁の心が乱れた時、瞬がどうなってしまうのかが不安だったのである。 瞬が いつも にこにこしているだけに、その穏やかさに危ういものを感じる――と言ってもよかった。 いったい 何であれば瞬の心を乱すことができるのか、いったい何が瞬の心を乱すのか、それを知っておいて安心したい。 星矢の中には そんな気持ちがあり、実は それは氷河や紫龍の中にも存在する思いだった。 もともと瞬は感受性や同情心の豊かな人間である。 だからこそ。 いったい何が、瞬を本当に憤らせるのか。 いったい何が、瞬の心を大きく揺らし乱すのか。 瞬の仲間たちは、それを知っておきたかったのである。 いざという時に、瞬の心を守るために。 |