瞬の犯罪係数の低さは、人間に対する瞬の強く深い信頼ゆえ。 謎が解明された今となっては、人間測定器は もはや不要である。 星矢は、その日、今度こそ 最先端技術搭載の玩具を沙織に返すつもりでラウンジに持ってきていた。 そして、たまたま、弾みで測定器のスイッチを入れてしまった。 その結果、星矢は、またしても とんでもないデータと対面することになってしまったのである。 「おい、紫龍。これ、見てみろよ。瞬の今の数値、100を超えてるぞ」 こそこそと星矢が指し示してきた測定器に、紫龍は目を見開いた。 今 瞬は、ラウンジのいつもの席に ただ座っているだけである。 特段 何かを見聞きしたわけでもなく、この30分間に 瞬の心が動揺するような何らかの情報が瞬にもたらされたのではないことは、この30分間 同じ室内にいた瞬の仲間たちが証明できる。 だというのに、100。 いったい瞬の身に何が起こったのかと、周囲を見回した星矢は、ラウンジの壁際で立っている氷河が瞬を無言で見詰めていることに気付いた。 それ以外に、そこには何もなかった。 その事実から推察するに、どう考えても瞬の脳(心)は、氷河に見詰められることで昂ぶり、怒りに近い感情を生んでいるのだ。 星矢と紫龍には、それ以外 考えようがなかった。 それ以外に、この状況を説明できる理屈を思いつけなかった。 「ベッドで 理性がぶっ飛んでても、おまえの数値は10を超えなかったって、氷河が言ってたぞ。なのに、なんでだ?」 「え?」 星矢が嘘をつけないのは、彼が ほとんど脊髄反射のように、感じたことを言葉にしてしまうせいなのかもしれない。 センターテーブルを挟んで自分の真正面に座っている瞬に、星矢が自分の疑念を単刀直入にぶつけていく。 突然 そんなことを問われた瞬は――そもそも瞬は、自分が そんなプライベートな場面で最先端技術搭載の玩具が使用されていたことすら知らなかった――星矢の質問に きょとんとすることになった。 「事の最中にも9だった――って、氷河は落ち込んでたんだ。なのに、氷河に見られてるだけで100超えってのは どういうことだよ!」 「氷河が落ち込んで……?」 「星矢!」 知らせてはならないことを急に瞬の前で がなりたて始めた星矢を黙らせるため、氷河が壁際から部屋の中央に大股で歩み寄ってくる。 氷河が お喋りな仲間への攻撃を始める前に、星矢は手にしていた測定器をテーブルの上に放り投げた。 「ただ今の瞬の測定値は101。危険水準だ。原因は、おそらくおまえの視線。おまえに突っ込まれている最中にも9だったのに、いったいこれはどういうことだよ!」 「星矢! 貴様、瞬の前なんだから言葉を選べ、この馬鹿たれっ」 氷河は そういうことを責めるために星矢の許にやってきたわけではなかった。 が、話の流れ的に、氷河の叱責はどうしてもそうならざるを得なかった。 瞬は瞬で、これも会話の流れの事情で、勝手にそんな場面で測定器を使用されたことを責めるどころではなくなり――瞬は、仲間たちの前で 超プライベートな場面における自身の無変化の弁解を始めることになってしまったのである。 「そ……それは、だって……氷河が側にいて、氷河が僕だけ見ててくれて、それで氷河に抱きしめてもらえてるのは、気持ちいいだけのことだもの。その……すごく幸せな気持ちでいる時に、暴力的なことや攻撃的なことを考えるなんてこと、できるものじゃないでしょう」 「瞬……」 星矢を怒鳴りつけるために準備万端整っていた氷河の声が、目的と目標物を見失って消滅する。 瞬の言い訳は 氷河にとって非常に嬉しいものだったのだが、だからといって、氷河はそのまま歓喜の舞モードに突入していくことはできなかった。 もし瞬の弁解が事実なのだとしたら、たった今 瞬が示した101という数値の説明がつかないのだ。 その矛盾した反応についての解釈を繰り広げてくれたのは、瞬当人ではなく、某龍座の聖闘士だった。 「もしかしたら、おまえを好きになったことが、瞬にとっては 運命の理不尽を最も強く感じることなのではないか? 自分の力ではどうにもできないことだったんだろう。瞬にとっては、おまえを好きになってしまったことは」 「何を言っているんだ、貴様」 「自分が氷河を好きでいる訳を、瞬は理屈で納得できてないってことか。好きになりたいと望んだわけでもない相手を、いつのまにか好きになってしまっていた。自分の意思ではどうにもならない。そりゃあ、腹も立つわな」 「恋は思案の外と言うからな」 「……」 星矢と紫龍の見解に氷河が反駁できなかったのは、自分がなぜ瞬に受け入れてもらえたのか、その納得できる理由を、実は氷河自身が知らなかったからだった。 何を言えばいいのかを思いつけずにいる氷河の代わりに、瞬が 一瞬ためらってから、意を決したように口を開く。 「ぼ……僕は別に腹を立てているわけじゃないよ。ただ、氷河に見詰められてると、胸が勝手に どきどきしてきて、自分がわからなくなるだけで……。どうして僕は氷河を好きになったんだろう、どうして僕は こんなに氷河が好きなんだろうって思ってると、なんだか嬉しくなって、恐くもなって、自分で自分がわからなくなって、それで――もう、なに言わせるの!」 『いや、おまえが勝手に言い出したんだ』と、頬を染めて恥じらう瞬に突っ込んでいけるほどの勇者は、その場に一人もいなかった。 抗い難い運命の力に翻弄され 憤っているらしい瞬を喜ぶべきか、それとも ここはやはり落ち込むべきなのかは、瞬に恋されている氷河当人にもわからなかった。 ただ、瞬が、マザコンの白鳥座の聖闘士を好きでいることだけは事実らしい。 氷河は、その事実を事実と確認できるなら、そうなった原因など大した問題ではないような気になってしまったのである。 そして、その事実を客観的かつ具体的数字で示してくれた人間測定器が、非常に有益な道具であるように思えてきた。 「不愉快なだけの代物だと思っていたが、この最先端技術搭載の玩具は、意外に楽しいものかもしれない……」 そう呟いて 意外に楽しい玩具を手に取ろうとした氷河の脇から、瞬がそれを素早く奪い去る。 「おい、瞬」 「氷河は、見ちゃだめ!」 頬を ほのかに上気させた瞬に睨まれて、氷河は その目許を だらしなく緩ませた。 「あーあ……」 同じ男として情けない。 同じ男である瞬に対しては絶対に思わないことを胸中で思った星矢の目の前で、それは瞬の手の中に収まり、そして、瞬の仲間たちは、恋するアンドロメダ座の聖闘士から、 「これは僕から沙織さんに返却します」 という宣告を受けてしまったのだった。 「せっかく、またちょっと面白いことになりそうだったのに……」 星矢の ぼやきは、もちろん きっちり瞬に無視された。 |