プロダクトデザイナー、グラフィックデザイナーにして、大学生。 それが、現在の俺の身分だ。 高校2年の時に、工業デザインの学生コンクールにヘッドフォンのデザインを応募し、それがメーカーの目にとまって、とんとん拍子に商品化。 俺は 俺のデザイナー人生を開始した。 まあ、メーカーの目にとまったといっても、そのメーカーは俺の親父が専務取締役を務める某家電メーカーだったんだが、俺のデザインは決してコネで採用されたわけじゃない。 俺のデザインしたヘッドフォンは、大賞こそ逃したが、その年の某公益財団法人Nデザイン振興会主催のグッドデザイン賞を受賞した。 つまり、俺のデザインしたヘッドフォンは売れたんだ。 売れなきゃ、 とはいえ、俺は、点や線や面や空間や色を組み立てて だから、俺は、高校を卒業すると、親父に資本金を出してもらって、個人のデザイン事務所を構えた。 各種コンペやコンクールにデザインを応募し、家具やらイベントポスターやらの仕事を手掛けて、2年。 今では、各方面から ちらちらとデザインの依頼が舞い込んでくるようになっている。 成人してから、俺は 一芸入試で某有名私立大学の経営学部に籍を確保した。 今は その大学の3回生。 俺は 学力の方は今いちなんで、デザインの仕事をしながら、7、8年かけて卒業するつもりだ。 仕事はそれなりに軌道に乗っているんだが、あくせくするつもりはないから、学生でいる間は、事務所を閉鎖せずに済む程度に、好きなものをデザインして過ごそうと考えている。 実家から大学と事務所に通う毎日。 売れなきゃ食うに困るとわけでもないから、のんきなものだ。 とはいえ、好きでやってるデザインの仕事。 決して 怠けているわけじゃない。 俺が今、木枯らしの吹いている公園のベンチに腰かけているのも、仕事のため。 俺の親父の友人が、座り心地はいいが 長居したくなくなる椅子とテーブルのデザインを考えてくれないかと無理難題を言ってきて、面白そうだから俺は その仕事を受けた。 無理を言ってきた親の友人というのが某外食チェーンの社長で、今度 新規に展開することになったカフェ・チェーンを 入りやすく くつろげるが回転率のいい店にしたいと、まあ、経営者としては至極当然の希望を抱いたわけだ。 座り心地はいいが長居はしたくない椅子とテーブル。 心地良い椅子に座っているのに、立ち上がりたくなるのはどんな時かと、俺は ぼんやり考えていた。 この公園のベンチを安楽椅子に変えれば、その条件をクリアできるな、と。 どれほど座り心地がよくても、寒風吹きすさぶ中、いつまでもその椅子にしがみついていたいとは、誰も思うまい。 椅子は最高、空調最悪な店にすればいいんだ。 しかし、それじゃあ、客のリピートが期待できないだろう。 公園のベンチタイプはNGだ。 それ以外のパターンとなると――。 椅子に座っていて、目の前を 時計を持った白ウサギが『遅れる、遅れる』と呟きながら走っていったら、椅子から立ち上がる気になる奴もいるかもしれないな。 まあ、俺はウサギなんか追いかけないが。 俺なら――そうだな。 どうしても あとを追わずにいられるような美人が目の前を通ったら、どんなに座り心地がよくても、俺は その椅子から立ち上がるかもしれない。 もちろん それは俺の眼鏡に適うほどの美人が この世に存在していたらの話だが。 俺は未だかつて、いかなるスクリーン、画面、紙面の中ででも、それほど心惹かれる女性に会ったことはない。 多分これからも、俺の審美眼に適うほどの美女に出会えることはないだろう。 なにしろ、俺の眼鏡は度がきついから。 それはともかく。 ウサギも駄目、美女も駄目となると、椅子から人を立ち上がらせるには 他にどんな手があるか。 そう考えて顔をあげ、俺が周囲を見回した時だった。 俺には予知能力――いや、この場合は反予知能力というべきか。 俺の眼鏡に適うほどの美女には永遠に出会うことはできないだろうと確信して世界を見回した途端に、俺は、決して会えないと思っていた人に出会ってしまったんだから。 冷たい風の吹く午後の公園。 目の覚めるような美少女が、公園内の遊歩道を 俺の腰掛けているベンチの方に歩いてくるのに、俺は気付いた。 俺は、本当に目が覚めた。 同時に、意識がどこかへ飛んでいった。 いや、飛んで行ったのは、意識ではなく良識だったかもしれない。 驚きすぎた俺は、その美少女から目を離すことができなくなり、不躾な視線をずっと彼女の上に据え続けることになったんだから。 俺が腰をおろしていたのは、遊歩道のT字路になった場所に置かれていたベンチで、俺の方に向かって歩いてきた その美少女は、俺が掛けていたベンチの前までくると、そこで進行方向を90度変えた。 横顔も見事。 もちろん、俺はすぐに掛けていたベンチから立ち上がった。 俺は物の造形にはうるさい。 物のデザインをすることが好きで デザインの仕事をしているんだから、それは当然のことなんだが、デザインの仕事をしているからこそ、形が美しければ使い勝手がいいとは限らないことも知っている。 最適な比率だけで作られた家具が使いやすいかというと、そういうものじゃない。 巨人のために作られた家具が、どれほど美しくても小人の国で受け入れられるはずがない。 人間も同じだ。 美しいだけじゃ駄目なんだ。 1ミリの狂いもなくシンメトリーの顔を持つ人間が、もし俺の目の前に現れても、俺は その人間に心惹かれることはないだろう。 そんなものは人形と変わらない。 金と時間をかけて作り上げた整形美人が魅力的かというと、決してそんなことはない。 完璧にシンメトリーな顔のアンドロイドに、人は人間的魅力を感じない。 物や人を美しくするのは、魂だ。 魂――もちろん“物”にも魂はある。 それはデザイナーや使用者によって 込められるものだが、“物”には魂のあるものと 魂のないものがある――というのが、俺の持論だ。 その美少女は顔の造作も見事だったが、何より魂があった。 人間の場合、それはオーラとか雰囲気と言ってもいいかもしれない。 彼女は美しい形を持っていた。 それは確かな事実なんだが、彼女は その上、周囲の空気さえ温かくするような表情、眼差し、所作の持ち主だった。 俺は、時計を持ったウサギに出会ったアリスのように、まるで何かに急き立てられるように、あとも見ずに彼女を追いかけた。 |