瞬と沙織を乗せたリムジンが城戸邸に着いたのは、それから5分後。
「紫龍、星矢、沙織さんをお願い!」
運転席とキャビンの間のパーティションを開けて車外に出た瞬は、庭から大声で星矢たちに そう叫び、すぐに たった今やってきた道を逆戻りした。
襲撃者は四人。
氷河が食い止めているにしても、その隙を突いて彼等の中の一人二人がアテナを追ってきているかもしれない。
氷河が取り逃がした敵がいたら、瞬は逆走の途中でその者に出会えるはずだった。

5キロほどの距離を5分で駆けただろうか。
瞬が氷河の姿を見付けたのは、ちょうど 長いインターチェンジを下りきった場所だった。
小雨が降り出して、街灯の光が当たる部分だけ、雨が描く ごく細い線を見てとることができる。
肩で息をしている瞬の姿を認めると、氷河は、
「来なくてよかったのに。あんな奴等、俺一人で十分だ」
と、抑揚のない声で瞬に告げてきた。

「氷河、怪我をしたのっ !? 」
氷河の右上腕から血が流れている。
それは、折から降り出した雨と混じり、血の色ではなく薄い朱の色に氷河の腕と手を染めていた。
仲間に駆け寄った瞬に、自身の負傷を恥じるように、氷河が薄い笑みを向けてくる。
「軽率な女の出てくるオペラを見た直後で、コンディションが最悪だったんだ」
相手は、聖闘士でも神闘士でも海闘士でも冥闘士でもない。
だが、普通の青銅聖闘士ほどの力を持つ者たちではある。
それが四人。
もちろん、氷河が彼等に負けるとは、瞬は思ってはいなかったし、実際 氷河は四人の襲撃者を一人で撃退したらしい。
だが――。

瞬は戦いから仲間を遠ざけた氷河の戦い方より、そのあとの――今 自分の目の前にある氷河の姿の方に 腹が立ってきてしまったのである。
そして、ぞっとした。
上腕が裂けて、下腕と手を伝い、血がぽたぽたと路面に流れている。
氷河が車から出て敵と戦い、その戦いを終えて ここまでくる間に、彼は どれだけの出血をしたのか。
血止めらしいこともせず、流れる血をそのままにして仲間の前に立つ氷河の無感動な目に、瞬の背筋は凍りついた。

「瞬! 氷河! 無事か!」
氷河に何をされたというわけでもないのに 気持ちと足が凍りつき歩けなくなっていた瞬の耳に、星矢の声が飛び込んでくる。
「ああ、生きているようだな」
どうやら、星矢と紫龍が、瞬を追って ここまで来てくれたらしい。
冷たさとは縁のない星矢の声と、実に端的な表現で仲間の無事を喜ぶ紫龍の声で、凍りついていた瞬の身体は なんとか自由を取り戻すことができたのである。
「沙織さんと瞬を逃がすために、一人で敵さんに向かっていったんだって? あんまりカッコつけんなよ」
少なくとも自分の足で立っている仲間に安心したらしい星矢が、氷河に向かって軽口をたたき、そうしてから 彼は氷河の怪我に気付いて眉をひそめた。

「冗談を言っている場合ではないようだぞ。かなり血を失ったようだ」
「傷口を凍らせて血を止めるわけにもいかなくてな」
紫龍の指摘に 眉ひとつ動かさず 氷河が応じる。
氷河の馬鹿な返答に、紫龍は 明確に眉を動かした・・・・
「だから、血が流れるに任せていたというのか? 氷河、おまえ、知っているか。多量の出血を伴う怪我をした時には、その部位を心臓より上に持っていくものだ」
「面倒だったんだ。万歳をしながら歩いていたら阿呆にしか見えない」
“面倒”で流れる血を止めようともせずにいたというのなら、その方が よほど阿呆である。
阿呆に見られる事態を避けるために 阿呆な真似をしていたらしい氷河を、瞬は怒鳴りつけた。
「面倒で死んだらどうするの! すぐ病院に――」
「まだ、30分は死なないだろう」
「氷河っ!」

あと30分、このまま血が流れ続けたら死ぬと、氷河は言っている。
氷河の悠長な態度に苛立ちを抑えきれず――震える手で、瞬は身に着けていたジャケットのポケットから携帯電話を取り出した。
救急車を呼ぶのと、沙織に救援を頼むのとでは、どちらが迅速かつ適切な対応か。
雨に濡れた指先が迷った瞬の横に、白いセダンが滑り込むように停車する。
どうやら 車を乗り換えた沙織が、彼女の聖闘士の身を案じて ここまでやってきてくれたらしい。
聖闘士を病院に運び込む事態を想定していたのか、彼女は後部座席ではなく助手席に座っていた。
「怪我をしたの? 乗りなさい」
「車が血で汚れる」
「いいから、乗りなさい。瞬、あなたも来てちょうだい。病院に連れていくわ」
「はい」

いちいち状況を説明せずに済む沙織の察しのよさが有難い。
瞬は、乗り気のなさそうな氷河をセダンの後部座席に押し込めた。
続いて車内に乗り込もうとした瞬を引きとめ、その耳許に紫龍が囁く。
「氷河は確かに おかしいな。十二宮戦以前――いや、殺生谷以前の、投げ遣りで 生きることに冷めていた頃の奴に戻ったようだ。生きたいという気持ちが希薄になっている。気をつけろ」
紫龍は、30分後に死を控えた氷河の様子を見て やっと(?)、氷河が変わったという瞬の意見に同意する気になってくれたらしい。
紫龍の忠告に頷いて、瞬は車に乗り込んだ。






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