事件。 その“事件”は、だが、事件の当事者にとっては“事故”だったのかもしれない。 彼は騒ぎを起こすつもりはなく、夜の闇の中で、極秘裏に、静寂の内に、すべてを済ませるつもりだった――彼は誰にも見付かるつもりはなかったのだ。 その計画が実行前に露見してしまったことは、彼にとっては想定外の“事故”だった。 “彼”というのは もちろん、某白鳥座の聖闘士キグナス氷河。 “彼”は、日中はアテナ捜索のために時間をとられ、夜は夜で 人に あらぬ疑いを抱かれる危険を避けるために 瞬に会えない日々に、耐えることができなかったのである。 要するに氷河は、毎晩 孤閨をかこつことに我慢ができなくなって、アテナ(の振りをしている瞬)の寝所に忍び込み、その姿を第三者に見咎められるという大失態を犯し、実に華麗に 不審人物として捕えられてしまったのだった。 かくして その夜、アテナ神殿の最奥、不可侵であるべき その場所は 騒乱の巷と化すことになった。 アテナ神殿の別棟の部屋にいた星矢と紫龍が騒ぎを聞きつけ駆けつけると、そこには なぜか黄金聖闘士たちが勢揃いしていて、彼等はアテナの寝所に忍び込むという大罪を犯した白鳥座の聖闘士の吊るし上げに取りかかっていた。 白鳥座の聖闘士に対する彼等の怒りは凄まじく、星矢たちには、死んだはずの彼等が なぜそこにいるのか、その理由を問い質す隙も与えられなかった 「アテナの身辺で 何やら いかがわしい雰囲気の小宇宙が感じられると思ったら――」 「アテナに夜這いを仕掛けるなど、ヘパイトス並みの無礼、人間の分際で不敬の極み!」 「これは前代未聞の不祥事だ。分を わきまえない神や 不明の一般人ならまだしも、アテナの尊さを知り アテナを守ることを第一義とするアテナの聖闘士が このような暴挙に及ぶなど、天地開闢以来 ただの一度もなかったことだぞ」 「うむ。アテナの聖闘士の名誉を守るためにも、これは問答無用で秘密裏に処刑するしかあるまい」 部屋の壁際に追い詰められ、半円状に並ぶ12人の黄金聖闘士たちに取り囲まれている氷河は、上半身裸。 全裸よりは ましだったろうが、 「誤解だっ。アテナに夜這いを仕掛けるなんて、俺がそんな恐ろしい真似をするわけないだろう! 俺だって命は惜しい!」 という言い訳が、思い切り空しく響く恰好をしていた。 氷河の言葉と姿の矛盾に、黄金聖闘士たちが得心するはずもない。 「ではなぜ君は 深夜に こそこそとアテナのお休みになっている部屋に忍び込み、あまつさえ服を脱ぎかけていたのだね」 「いや……それは……」 「申し開きできるものならしてみろ、この外道!」 「だから、それは……」 怒髪天を突いている黄金聖闘士たちに詰め寄られ 顔を引きつらせている氷河を見て、星矢と紫龍は ここで何があったのかを察し、心底から脱力した。 「おまえって奴は、ほんとに 「堪え性がないんじゃない。愛があふれているんだ!」 氷河が、黄金聖闘士たちが作る壁の向こう側から 仲間に向かって反論を飛ばしてくる。 星矢は、氷河の弁解を まともに採りあげる気にもなれなかった。 「ものは言いようだぜ」 「何をごちゃごちゃ言っている。貴様等が 仲間として この不埒者を成敗するか? それとも連帯責任で、貴様等もキグナスと一緒に あの世へ行くか」 “あの世”というのは、どう考えても、現在の黄金聖闘士たちが常駐している場所のことである。 彼等は、そこに不埒者の氷河(と彼の仲間たち)を招待して お茶でもご馳走しようというのか。 黄金聖闘士たちは自分が何を言っているのか わかっているのだろうかと、星矢と紫龍は、彼等の正気を疑ってしまったのである。 どこから何をどう見ても、今の彼等は正気ではなかった。 「少し落ち着いていただきたい。全聖闘士の範となるべき黄金聖闘士ともあろうものが、たった一人の青銅聖闘士を吊るし上げとは」 「つーか、氷河も大概だけどさー。なんであんた等がここにいるんだよ? あんた等、死んだはずだろ。嘆きの壁の前で壮烈にさ。俺たち、泣いて感動したのに、あの感動は いったい何だったんだよ?」 「アテナに危険が迫っているとなれば、我々は地獄の底からでも這い上がってくるぞ」 アベルやハーデスに2度目3度目の命を与えられているうちに 自力での再生復活ができるようになったらしいサガが、偉そうに胸を張って言う。 正気や常識の持ち合わせはなくとも、根性と力と技だけはある男たちなのだ、彼等は。 ただ その力の使いどころを、いつも間違ってしまうだけで。 「涙なしでは聞けない感動ストーリーだし、見上げた忠誠心だとも思うけどさ。あんた等、相変わらず おっちょこちょいだな。揃って勘違いしてる。アテナに危険なんて迫ってないって」 明日は――もとい、今日は――星矢は苗場の、紫龍はバンクーバーの、氷河はシャモニーのスキー場に、沙織を探して発つ予定だったと、本当のことを言うわけにはいかない。 その辺りには言及せず、星矢は 黄金聖闘士たちの早とちりを諌めたのだが、それを素直に聞き入れる黄金聖闘士たちであれば、十二宮の戦いは3時間で終わっていただろう。 黄金聖闘士たちは、もちろん星矢の言に耳を貸さなかった。 「何を言う。現にアテナは、そちらで震えておいでではないか」 「アテナが、氷河に夜這いを仕掛けられたくらいのことで震えたりなんかするかよ」 瞬が震えているのは、氷河のせいではなく、黄金聖闘士たちのせいである。 勘違いをした黄金聖闘士たちの襲撃に会い、だからといって 本当のことを言って氷河を庇うわけにもいかず、どうすればいいのかがわからなくて、瞬は困り果て 震えているのだ。 アテナは白鳥座の聖闘士の乱心ごときでは 羽で撫でられたほどにも動じないという、考えるまでもない事実を、黄金聖闘士たちはどうあっても認める気がないらしい。 彼等の怒りを鎮めるには、やはり氷河の死が必要不可欠であるようだった。 「この不届き者には、この俺が一瞬でスカーレットニードルをアンタレスまで打ち込んでくれる」 「いや、俺のグレートホーンで あの世に向かって ひと吹きだ」 「このような不肖の弟子を育てた責任は私が取ろう。もちろんフリージングコフィンではなくオーロラエクスキューションでな」 「ここは私の天舞宝輪が最適だろう」 「それより、俺のライトニングプラズマで」 「俺がアトミックサンダーボルトを初披露してやろう」 「スターダストレボリューションもお忘れなく」 「俺のエクリカリバーで真っ二つだ」 「真っ二つより、ロイヤルデモンローズでバラバラの方がいいのではないか」 「廬山百龍覇はキグナスの仲間の技でもあるし、最も効果的じゃ」 「ギャラクシアンエクスプロージョンで星と一緒に砕いてやろう」 「あの世送りなら、俺の積尸気冥界波だろうが!」 それぞれの必殺技の名を口にし、互いに一歩も譲らない黄金聖闘士たち。 いっそ全員でアテナエクスクラメーションを放ってみてはどうかという意見まで出たが、黄金聖闘士12人がかりで、たった一人の青銅聖闘士を成敗しアテナの寝所を壊してしまうのは よろしくないだろうということで、その提案は却下された。 次に出た提案は、じゃんけんで順番を決め、勝ち抜けた者から必殺の技を放っていく やり方だったが、 「最初の一人がキグナスを殺してしまったら、残りの者はどうやって己れの怒りを鎮めればいいのだ?」 という反論が出て、その案も お流れ。 黄金聖闘士たちの学級会は、それから30分近く喧々囂々・侃々諤々したあげく、最終的に、 「では、皆で一斉にキグナスに向かって それぞれの必殺技を放つことにしよう」 という結論に落ち着いた。 「うむ。では そういうことで、一、二の三」 ノンキなのか短気なのか わからない黄金聖闘士たちが、方針が決まった途端、間髪を置かずに、それぞれの必殺の拳を氷河に向かって一斉に打ちつける。 その素早さは『さすがは黄金聖闘士』と感嘆していいものだったのだが、いかんせん、その前の30分の学級会が長すぎた。 氷河以上に一意専心、追う鹿のみを見て山を見ることをしない彼等は 全く気付かずにいたのである。 自分たちが活発な学級会を催している間に、瞬が彼等の周りを強力な気流で完全に包囲していたことに。 気流を嵐に変えずに 瞬が待機していたのは、瞬の心のどこかに、『黄金聖闘士たちの中にも一人くらいは、氷河の命を惜しむ恩情のある士、あるいは 氷河の言い分を聞くだけの客観性と冷静な判断力を持つ者がいるのではないか』という期待があったからだった。 しかし、その期待は裏切られた。 |