「や……やめて下さいっ!」
瞬の声より、光速拳の方が速い。
だが、光の速度など、一瞬で百万光年の彼方にある星に思いを馳せることのできる人の心の速さに比べたら どれほどのものだろう。
氷河を守らなければならないという瞬の思いは、光の速度より速く、彼の作った気流を嵐に変え、黄金聖闘士たちの拳をすべて弾き返してしまった。
結果、黄金聖闘士たちは、ネビュラストームの力が加わって威力を増した自らの拳を我が身に受け、その ことごとくが絶命――していただろう。
彼等が既に死んだ者たちでなかったなら。
あいにく(幸い?)、彼等は既に失う命を持っていなかったので、己れの拳で命を落とすという不名誉を免れることができたのである。
彼等の拳を すべて撥ね返したネビュラストーム――否、氷河を思う瞬の心――は、嘆きの壁以上に 強く確たる存在だった。

黄金聖闘士たちは、その時、己れの身に何が起こったのか、全く わかっていなかっただろう。
瞬が その全身を覆っていたヴェールを かなぐり捨てて 氷河を庇い、黄金聖闘士たちの前に立ちはだからなかったら、彼等は床に這いつくばったまま、『さすがはアテナ』と感心すらしていたかもしれない。
実際には そうはならず、黄金聖闘士たちは、彼等が守るべき女神の姿を見失い、その代わりに、自分たちが一介の青銅聖闘士の仲間を思う心の前に敗れ去った事実を 眼前に突きつけられることになったのだった。

「ア……アンドロメダ?」
「なぜ君がここに」
「アテナはどこに消えてしまったのだ……?」
自分たちが守ろうとしていたものが何だったのか――誰だったのかすら正しく把握していなかった黄金聖闘士たちが、アンドロメダ座の聖闘士の出現に驚き、混乱し、目を白黒させる。
これがアテナであれば、長いドレスで両足を踏ん張り たくましく仁王立ちするところだが、アンドロメダ座の聖闘士は きっちり足を揃えて直立体勢。
しかし、一分の隙もない様子で、瞬は、己れの拳を受けて床に尻もちをついている黄金聖闘士たちに言い放った。

「誤解しないでください! 氷河はアテナのところに来たんじゃありません。氷河は僕に会いに来てくれたんです!」
「瞬」
「もう本当のことを言うしかないよ、氷河。僕には これ以上アテナの振りを続けるなんて無理だ」
「アテナの振り……?」
「アンドロメダ……アテナはどこにいる。アテナの振りとはどういうことだ!」
幸い 死んでいるので、いかに強力な拳を受けても 肉体へのダメージはない。
黄金聖闘士たちは すぐにその場に立ち上がり、瞬を問い詰めてきた。
死ねば恐いものはなくなるのである。
12人の黄金聖闘士の拳を あっさり撥ね返す強大至極な瞬の仲間への友情(?)。
それは、生きている者には 恐るべき脅威だったろうが、死んでいる者には 決して恐るべきものではなかった。
彼等は、あくまでも黄金聖闘士の矜持を守り、偉そうに瞬に尋ねた。

黄金聖闘士たちの中から 氷河を処刑する意思が消え去ったことを感じ取って安堵した瞬は、12人の黄金聖闘士の技を無効にする脅威の力を示したばかりだというのに、一介の青銅聖闘士らしく、あくまでも低姿勢かつ敬語である。
「わ……わからないんです。手を尽くして捜しているんですが……」
「捜している? 敵にさらわれでもしたのか」
「それは……話せば長くなるんですけど、元はといえば、ホワイトアスパラガスのせいで――」

そうして、あくまで控えめに、どこまでも敬語で、訥々とつとつと瞬が語り出したのは、たかがホワイトアスパラガスで地上の平和が脅かされているという、あり得べからざる事実。
改めて経緯を聞くと、当事者である青銅聖闘士たちにとっても、それは あまりに阿呆らしく馬鹿馬鹿しい成り行きだった。
瞬は慎重に言葉を選び、実に巧みに、この事態を招いた関係者の中にただの一人も悪者はおらず、すべては言葉のすれ違いによるものとして、黄金聖闘士たちに経緯を説明してのけた。
だが、どれほど巧みな修辞や言い回しを駆使して説明しても、ホワイトアスパラガスのせいでアテナが逐電したという馬鹿げた事実は変えられない。
それが紛う方なき事実であるだけに、ホワイトアスパラガスが地上の平和を脅かすことになった現実は、アテナの寝所への不法侵入より 黄金聖闘士たちの怒りを買うことになるのではないかと、星矢は案じたのである。
星矢の懸念を察した紫龍が、小声で星矢に耳打ちしてくる。

「瞬の狙いは、まさに それだろう。アテナのいない寝所への不法侵入より、アテナになりすますことの方が罪が重い。その点を強調することによって、黄金聖闘士たちの氷河への怒りを逸らすことができるのではないかと、瞬は考えているんだ」
「黄金のおっさんたちの怒りを逸らす必要なんてないじゃん。怒らせといても実害はないだろ。瞬はおっさんたちの攻撃、全部 撥ね返してたし」
「瞬はおそらく、自分が黄金聖闘士たちより強いことに気付いていないんだ」
「瞬らしいっちゃ、瞬らしいけど……」

瞬はもしかしたら、この“事件”の真相を知らされた黄金聖闘士たちが、あまりの馬鹿馬鹿しさに真面目に腹を立てていることができなくなり、その場が笑いに包まれることを期待していたのかもしれなかった。
だが、瞬の期待は外れ、アテナ逐電の訳を知らされた黄金聖闘士たちの表情は あくまでも固く、厳しいまま。
相好を崩そうとしない黄金聖闘士たちの前で、瞬はどこまでも低姿勢だった。
「本当にすみません。アテナは必ず捜し出します。アテナを騙った罪も償います。でも、氷河は悪くないんです。氷河は、僕が一人で心細い思いをしているんじゃないかって、心配して来てくれただけで、アテナに対しても聖域に対しても 害意も叛意も抱いていないんです」
「ほんと、ものは言いようだよなー。氷河は、単に、忍耐力が欠如してただけだろ」
「瞬は本気でそう思ってるのかもしれんぞ。氷河は、偽アテナの役を振られた仲間の身を心配して来てくれたのだと」
「それも瞬らしいっちゃ、瞬らしいけどさー」

瞬の苦心も空しく、黄金聖闘士たちは、元凶がホワイトアスパラガスにあるアテナ失踪劇を笑い飛ばしてはくれなかった。
かといって、立腹した様子も見せない。
いったい彼等は、この馬鹿馬鹿しい事態をどう感じ、どう考え、そして どう対応するつもりでいるのか。
怒りもせず、笑いもせず、ただ重たい沈黙と無表情を堅持している12人の黄金聖闘士たちの前で、しつこく弁解の言葉を重ねることもできなくなったらしい瞬が、その顔を俯かせ黙り込む。
そんな瞬の様子を見やり、星矢と紫龍は(おそらく氷河も)、腹をくくったのである。

自分たちには害意も叛意もなかった。
だが、アテナが聖域から姿を消したのは紛れもない事実で、その責任は自分たちにある。
黄金聖闘士たちが憤るのは当然のこと。
彼等には、この事態を招いた青銅聖闘士たちを成敗する権利がある。
むしろ、それは彼等の務め。
となれば、撥ね返そうと思えば撥ね返すことのできる黄金聖闘士たちの攻撃を、今度は瞬は甘んじて その身に受けるだろう。
瞬の仲間たちは、そんな瞬にならわなければならない。
自分たちは死ぬ時は一緒なのだ――と。






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