俺は、三日三晩悩んだ。
マーマと瞬、俺は どちらか一方としか生きていられない。
瞬に愛される恋人としてか、母親に愛される息子としてしか。
その両方を手に入れることは叶わない。
どちらかしか選べないなら、どちらを選ぶのが正しいのかはわかっていた――答えはわかっていた。
ただ、その決意をするために、俺には三日の時間が必要だった。
『氷河は、いつもいつでも一人ではないのよ』
その言葉が、俺に決意させた。
マーマは、永遠に俺と共にある。

「瞬。瞬、会いたいんだ。来てくれ」
三日目の夜、マーマの部屋の灯りが消えるのを確かめてから、俺は自室で虚空に向かって瞬の名を呼んだ。
本当は5年も待たなくても――9歳の頃からなら9年も待たなくても、呼べば瞬はいつでも俺の許に来てくれたんだろう。
瞬は俺の前に現れた。
すぐに――いや、ためらい迷うように。
その瞳は今日も涙で潤んでいて――瞬は アテナが俺の許にやってきたことを、彼女から聞かされていたんだろう。
俺の選択の結果を知らされることを恐れているような目で、瞬は俺を見詰めていた。
瞬の苦しみの時を少しでも早く終わらせたくて、瞬に正しいことを選べない男だと思われることに耐えられなくて、俺は、前触れもなく俺の決意を瞬に告げたんだ。
「元に戻せ」
と。

「氷河……」
「俺は、そこまで おまえに犠牲を強いたくない。俺は、おまえの恋人だった時の俺がどんな男だったのかは知らない。だが、想像はつく。きっと気付かぬうちに、おまえに庇われ、守られ、おまえを傷付けていたんだ。だが、それでも俺が おまえの犠牲を喜ぶような男だったとは思えない。俺はおまえを泣かせたくない。俺のせいで、おまえが泣くなんてまっぴらだ」
「氷河、でも……」
「ふざけるな。俺の人生は俺のものだぞ。俺は、俺の人生が俺に与える試練に耐えることができる。元に戻せ。クロノス! 聞いているのか!」
「氷河、やめて!」
俺が時の神の名を口にすると、瞬は、それでなくても青ざめていた頬を更に蒼白にした。
そして、俺に向かって訴え始めた。
「氷河……氷河、やめて! 元に戻ったら……氷河はマーマを失うんだよ。優しくて、綺麗で、氷河を本当に幸せにできるたった一人の人を」

そうだ、俺はマーマを失う。
俺の幸福だけを願い、俺の幸福のためになら その命を投げ出すことも厭わないだろう、あのひとを。
もっと幸福になっていい人、俺が必ず幸福にするのだと決めていたあのひとを。
それを考えると、胸を切り裂かれる思いがする。
それでも俺は選ぶんだ――瞬と生きていくことを。
瞬を好きだからではなく――それだけではなく――それが正しい選択だと知っているから。
俺の幸福を願ってくれている人間が俺の母だけではないことを知っているから。
だから、俺は はっきりと、
「たった一人じゃない。俺を幸せにできるのは」
と、瞬に答えることができたんだ。
「氷河……」
それは、瞬には思いがけない言葉だったんだろう。
俺のその言葉を聞くと、瞬は その瞳に涙を盛り上がらせ――ああ、本当に、俺の瞬は泣き虫だ。

「俺の側におまえがいないんだぞ。それで、どうすれば俺が幸福になれるというんだ!」
「氷河」
「俺は、俺の力で自分の命を生き、自分の幸福を見付ける。俺はおまえが好きなんだ。一緒に生きていたい」
たった数回会っただけの人だ、瞬は、今の俺には。
十数年間、愛し愛され、慈しみ慈しまれ、支え合って生きてきた人だ、マーマは。
同じ次元で比べられること自体が、瞬が俺にとって特別な存在だということを物語っていた。
俺にマーマより瞬を選ばせること自体が、その選択の正しさの証明になっていた。






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