ブロンズランドの氷河王子は、女嫌いで有名な王子様です。 普通の男の子が 淡い初恋を経験する歳から10年くらい、淡くない恋を経験する歳から5、6年くらいが経った今でも浮いた噂ひとつありません。 参考までに言っておきますと、氷河王子の女嫌いは 氷河王子が幼い頃に亡くなったお母様が原因だろうというのが世間の大方の見方で、氷河王子もそれを否定したことはありません。 氷河王子が8歳の時に亡くなった氷河王子のお母様は大層美しい方で、『マーマより綺麗な女なんかいるはずがない』が氷河王子の口癖なのです。 それが事実かどうかは、この際 問題ではありません。 大事なことは、氷河王子が そう信じているということなのです。 けれど、一国の王子が年頃になっても恋をしないのは困りもの。 白雪姫の王子様だって、シンデレラ姫の王子様だって、いばら姫の王子様だって、おやゆび姫の王子様だって、それぞれ白雪姫、シンデレラ姫、いばら姫、おやゆび姫に恋をしました。 王子様のいちばん大事なお仕事は、綺麗なお姫様と恋をすること。 恋をしない王子様なんて、存在する意味も価値もありません。 かっこいい王子様と綺麗なお姫様のハッピーエンドの恋。 それは 国民に夢と希望を与えるものです。 恋をしない王子様というのは、とんでもない怠け者。 国民だって、自分たちに夢と希望を与えてくれない王子様のために税金を払う気にはなれませんよね。 ブロンズランドの国民は、王子様の大事な務めである恋をしない氷河王子に、それはそれは不満を募らせていました。 その不満の大きさといったら、今にもブロンズランドに革命が起こりそうなほど。 ブロンズランドは決して貧しい国ではありませんでしたし、所得税の税率も住民税の税率も消費税の税率も高くはなく、国民の暮らしは豊かで、とても暮らしやすい国でした。 暴君も悪代官もいませんでしたし、戦争もしていません。 けれど、恋をしない王子様への国民の不満は、そんなことでは帳消しになりません。 ブロンズランドは、いつまで経っても素敵な恋をしてくれない氷河王子への不満のせいで、まさに一触即発の状況にあったのです。 ブロンズランドの宮廷に“氷河王子に恋をさせよう”委員会が発足したのは、国政に携わる者たちが そういう国情を かなり本気で憂えたからでした。 氷河王子に恋をしてもらって、国民の不満を消し去り、革命を回避しようと、歳をとった偉い大臣たちは考えたのです。 そして、栄えある“氷河王子に恋をさせよう”委員会の第一回会合の場に参考人として呼ばれたのは、氷河王子と特に仲の良い天馬座の星矢、龍座の紫龍、アンドロメダ座の瞬という三人の聖闘士たちでした。 ちなみに、聖闘士というのは、他の国でいう騎士のようなもの。 それぞれ性質の異なった特殊な力を持ち、邪悪から国を守るという重要な任務を帯びた者たちのことです。 とはいえ、邪悪との戦いは そうしばしば起こるものではなかったので、彼等は平時は 戦いの訓練をしたり、戦いに備えて肉体の鍛錬をしたり、その特殊な力を活かした力仕事をしたりしていました。 貴族でもない彼等が氷河王子と親しいのは、氷河王子もまた聖闘士の一人だから。 大金持ちの家の子供も 貧しい家の子供も、学力が同程度なら同じ学校で対等な学友になれるのと同じ理屈です。 氷河王子は一国の王子でしたが、白鳥座の聖闘士として、平民である天馬座の聖闘士、龍座の聖闘士、アンドロメダ座の聖闘士と対等な友人同士でした。 「我が国が今どういう状況にあるのかは、君たちも知っているだろう。氷河王子が恋をしないので、国民の不満は限界に達している。このままでは、そう遠くない未来に革命が起こり、氷河王子はギロチンの露と消え、王家は消滅してしまうだろう。その最悪の事態を避ける方法は、当然のことながら ただ一つ。氷河王子に恋をしてもらうことだけだ」 歳をとった偉い大臣たちにそう言われて、ブロンズランドの聖闘士たちは、揃って 困った顔になりました。 聖闘士が持っているのは高い戦闘力。 恋は聖闘士の力でどうにかできるものではありません。 が、幸い、偉い大臣たちも、聖闘士の戦闘力で氷河王子に恋をさせるようにと、彼等に命じるつもりはないようでした。 「君たちに来てもらったのは、他でもない。氷河王子と親しい君たちなら、氷河王子の好みのタイプを知っているだろうと思ったからだ。氷河王子は どういうタイプが好みなんだ?」 『そんなことは氷河本人に訊けばいいじゃないか』と、星矢と紫龍は心の中では思っていました。 星矢と紫龍でなくても、そう思ったでしょう。 何といっても、それが いちばん確実で、正しい答えが得られる方法なのですから。 ただし、それには、『氷河が素直に話してくれるなら』という条件がつきます。 偉い大臣たちは、年の功で、そういった方面では氷河王子は決して素直な王子様でも正直な王子様でもないことを知っていたのです。 互いに顔を見合わせてから、自信がなさそうに――むしろ、大臣たちの顔色を窺うように、星矢と紫龍は言いました。 「そりゃ、一応は、マーマ――ってことになってんじゃねーの?」 「なにしろ、筋金入りのマザコンだからな、あいつは」 二人の答えを聞いた総理大臣が渋面を作り、頭を横に振ります。 「氷河王子のマザコンは、治さなければならない病気だ。我々は、氷河王子の恋のお相手には、できるだけ亡き王妃様に似ていない女性が望ましいと思っているんだが……」 「他にはないのか。料理が上手い娘がいいとか、裁縫が上手い娘がいいとか、髪が長いのがいいとか、短いのがいいとか、清純派がいいとか、熟女タイプがいいとか、ツンデレがいいとか、素直な娘がいいとか!」 脇から、文部科学大臣が口を挟んできます。 その乱暴な口振りから、彼がどれほど この事態にいらいらしているのが氷河王子たちの友人には見てとれました――もとい、聞いてとれました。 もっとも、“氷河王子に恋をさせよう”委員会のメンバーで、いらいらしていない大臣は一人もいなかったでしょうけれど。 自分たちは善政を布き、大きな失策一つ しでかしていないのに、国に革命が起こるなんて、為政者にしてみれば、こんな理不尽なことはありません。 けれど、人の上に立つ者は緊急時にこそ、特に冷静でなければなりません。 彼等が苛立ち 殺気立っているせいで、貴重な情報を持った一人の人間が、先程からずっと発言する勇気を持てずに、仲間たちの陰に隠れていたのですから。 「あの……」 貴重な情報を持っている人間というのは、他でもない、その場に呼ばれた三人目の聖闘士。 ブロンズランドの聖闘士たちの中で もしかしたら いちばんの力持ちなのですが、『瞬が建設現場で石運びなんてイメージぶち壊しだ』という氷河王子の鶴の一声で、氷河王子の身の回りの世話を仕事にしているアンドロメダ座の聖闘士・瞬でした。 「瞬。君は氷河王子の好みについて、何か知っているのか」 “氷河王子に恋をさせよう”委員会のメンバーの中では 比較的冷静だった厚生大臣が、瞬の小さな声を聞いて、三人目の聖闘士に水を向けてきます。 瞬は、ほっと息をついて頷きまた。 「あ……はい。僕、先日 氷河に訊いたばかりなんです。このままでは、ブロンズランドに革命が起こりかねないとか、いろんな噂が聞こえてきて、心配だったから。氷河はどんな人なら好きになれそう? ――って。そうしたら、氷河は――」 「そうしたら、氷河王子は?」 爛々と目を光らせた大臣たちが、瞬の声を一音も聞き逃すまいとして、一斉に身を乗り出してきます。 何といっても、瞬のその答えには、国の運命がかかっていましたからね。 その迫力に たじろぎ 少し身を引いて、瞬は大臣たちが欲しがっているものを彼等に提供しました。 「氷河は、強ければ強いだけいいって言ってました。強い人が好きだって」 「強ければ強いだけいい?」 「はい」 「うーむ……」 それは大臣たちには想定外の答えでした。 それはそうです。 聖闘士である氷河王子の言う“強さ”とは、どう考えても戦闘力のことです。 か弱い お姫様ならともかく、恋の相手に 強さを求める王子様なんて、滅多にいるものではありません。 大抵の王子様は、お姫様を守れる恰好いい王子様でいるために、自分の恋の相手には、少くとも自分よりは か弱い美女もしくは美少女を求めるものでしょう。 まあ、氷河王子が“大抵の王子様”でないことを よく知っていた大臣たちは、瞬の答えを疑うようなことはありませんでしたが。 |