「我が国で強い者というと、やはり、星矢、紫龍、一輝。そして、瞬、おまえか」
ブロンズランドには10数人の聖闘士がいましたが、その中でも特に強いのが、今ここにいる3人と、そして、今ここにいない瞬の兄、鳳凰座の聖闘士・一輝でした。
彼等は、聖闘士たちの中でも極めて強い力を有する者だけが装着できる神聖衣という特別製の鎧を身にまとったことがある、特に強い聖闘士たちだったのです。
その強さは、“生ける伝説”と言われるほど。
もう一人、白鳥座の聖闘士であるところの氷河王子もそうでしたが、この場合は除外するのが妥当でしょう。
いくら強いからって、自分に恋する王子様は最悪ですからね。

「君たちの中で最強の聖闘士は一輝というのが通説のようだが……」
心底 気持ち悪そうに そう言ったのは、外務大臣でした。
この場に一輝がいなかったのは、他の誰でもない一輝と氷河王子と、外務大臣にとって幸いなことだったでしょう。
特に代務大臣は、もし ここに一輝がいたら、間違いなく彼に半殺しの目に合わされていたに違いありませんから。
瞬の兄の一輝は、放浪癖があって、滅多にお城にいないのです。
そして、氷河王子と一輝は なぜか犬猿の仲でした。
犬と猿だけでなく、水と油にも例えられるほど。
白鳥座の氷河王子は氷雪の聖闘士、鳳凰座の一輝は炎の聖闘士。
相容れない特性の持ち主同士であるという点も、二人を不仲にしている原因なのかもしれませんが、とにかく二人は 互いに互いを蛇蝎のように嫌い合っていたのです。

「でも、兄と氷河はあまり仲がいいとは……」
いつも氷河王子と兄の不仲を憂えていた瞬が、控えめに その事実を口にします。
大臣たちも、それは知っていました。
「まあ…… 一国の王子と貴族でもない平民とでは身分違いもいいところだしな」
「いや、それ以前に、同性愛はまずいだろう、同性愛は。国民の理解を得るのが難しい。国民は、綺麗な姫君と氷河王子の恋を望んでいるんだ」
大臣たちの意見は至極尤も。
古今東西、一国の王子様が自分より年かさで自分より強いオトコと恋をした話というのは聞いたことがありません。
少なくとも それは、絵本になって時代を超え読み継がれるような素敵な恋ではないのです。

繰り返しになりますが、最強の聖闘士といっても、氷河王子以外の聖闘士たちは皆、平民階級出身でした。
その身分の低さにも関わらず、その卓越した戦闘能力が認められて、彼等は聖闘士の称号を得たのです。
そして、聖闘士の称号を得た彼等は 宮廷内でも高い地位に就いています。
でも、地位役職と身分階級は別。
たとえ軍隊のトップである元帥の地位を与えられても、平民は平民にすぎません。
身分や階級というものは、努力や実力ではなく、生まれ血筋で決まるものですからね。
ですが、平民の元帥の方が、公爵家に生まれながら、力も才能もなく、そのため宮廷内のどんな役職にも就けず、家の財産を食いつぶしているような人間よりは ずっと立派だと言っていいでしょう。

ちなみに、氷河王子がブロンズランドの王子様なのは、氷河王子が甲斐性のない人間だからです。
この場合、“甲斐性”というのは、生産的な活動が得手であるということ。
甲斐性なしの氷河王子は、王子様でもやっていないと、自分の食い扶持も稼げません。
だから、氷河王子は王子様をしているのです。
氷河王子は、恋が仕事の王子様としては申し分のない美しい姿を持っていましたし、そのことで文句を言う者はブロンズランドには一人もいませんでした。
もしブロンズランドで 王子様を選挙で決めようとしたら、圧倒的多数で氷河王子が選ばれていたことでしょう。
見た目だけは、氷河王子は理想の王子様でしたから。
逆に言えば、王子様でない星矢や紫龍、瞬には甲斐性があるということです。
彼等は働くことができました。

それはさておき。
「とりあえず、今度 兄が帰ってきた時、その気があるかどうか、確かめてみますけど――」
瞬のその小さな呟きを聞いて頬を青ざめさせたのは、氷河王子と親しい星矢たちだけではありませんでした。
むしろ“氷河王子に恋をさせよう”委員会メンバーの偉い大臣たちの方が、
「それはやめておけ!」
と、強い口調で瞬を止めました。
一輝が氷河王子を毛嫌いしているのは大変有名なことでした。
大嫌いな氷河王子の恋人になる気はあるかと問われて、灼熱の炎の聖闘士である一輝が怒りを爆発させでもしたら、ブロンズランドは革命より大変な事態に見舞われかねません。
一輝は、一瞬でブロンズランドのお城を破壊するくらいのことはしかねない男でした。
一輝はそれだけの力を持つ聖闘士だったのです。

「強い人間か……。我が国最強の聖闘士が駄目となったら、氷河王子の恋のお相手は 他の国に求めるしかあるまい」
「ブロンズランドの青銅聖闘士より強い聖闘士がいる国というと、白銀聖闘士のいるシルバーランドだが――」
氷河王子の恋のお相手をブロンズランド国内に求めるのは、どうやら無理。
“氷河王子に恋をさせよう”委員会の大臣たちは、そういう結論に達したようでした。

ちなみに、この世界は、形式的にはオリュンポスの神々が治めています。
形式上は そういうことになっていました。
ただし、オリュンポスの神々は 人間とは次元の違う存在で、彼等は人間の暮らす地上世界を直接統治しているわけではありません。
人間の世界は、人間が治めていました。
その 人間による人間のための統治の中心となっているのが、オリュンポスの神々が指名した御三家――ブロンズランド、シルバーランド、ゴールドランドの三国。
これは、日本の江戸時代、徳川将軍家が尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家の徳川御三家を定めたようなものです。

ブロンズランドより格上で、青銅聖闘士より強い聖闘士がいるとされているのが白銀聖闘士のいるシルバーランド。
そのシルバーランドで最も強い者なら、氷河王子の希望に沿う 強い恋人がいるかもしれない。
“氷河王子に恋をさせよう”委員会の偉い大臣たちが そう考えたのは、極めて自然かつ妥当なことでした。
そうと決まれば善は急げ。
“氷河王子に恋をさせよう”委員会の大臣たちは、早速シルバーランドに使者を立てることにしたのです。
“氷河王子に恋をさせよう”委員会の委員長である総理大臣が、
「瞬。氷河王子の好みを いちばんよくわかっているのは、やはり 常日頃から氷河王子の身の回りの世話をしている そなたということになるだろう。そなた、我が国の使者として、シルバーランドに行ってくれ」
と瞬に命じたのは、これまた自然で妥当なこと。

けれど、その命令に、
(えーっ !? )
と、胸中で不満の声を響かせたのが、命令を受けた瞬ではなく星矢と紫龍だったのは、あまり自然なことでも妥当なことでもなかったかもしれません。
とはいえ、星矢と紫龍の胸中の声は瞬には聞こえません。
偉い大臣たちの命令、しかも国難を乗り切るための大変重要な命令ですから、瞬はすぐにその命令に従う旨を 偉い大臣たちに伝えました。

「決して失敗の許されない任務だ。必ず やり遂げるように。くれぐれも頼んだぞ」
瞬の返事を聞いた大臣たちは、大変有意義な話し合いができたと満足して、三々五々 会議室を出ていきました。
会議室から偉い大臣たちの姿が すべて消えると、瞬もまたシルバーランドに出発する準備に取りかかるために会議室をあとにしようとしたのです。
そんな瞬を引き止めたのは、瞬の友人であるところの星矢と紫龍でした。
彼等に瞬を引きとめさせたのは、愛国心ではなく、むしろ友情――それも、どちらかといえば、瞬への友情ではなく氷河王子への友情――だったでしょう。
彼等は、とある事情があって、“氷河王子に恋をさせよう”委員会の第一回会合での決定事項に どうしても賛同することができずにいたのです。

「お偉い大臣様たちの命令でもさ、シルバーランドに行くなら、おまえ、一応 氷河に事情を話して、氷河の許しをもらってからにしろ。氷河は、自分の知らないところで他人が勝手に 自分の恋人探しの話を進めてたってことを知ったら、絶対へそを曲げるから」
「星矢の言う通りだ。万一 おまえがシルバーランドで氷河の理想通りの恋人を調達できたとしても、自分の知らないところで勝手に進められた話を、氷河が素直に受け入れるとは思えん」
「それはそうかもしれないけど……」
伊達に毎日 氷河王子の世話・・をしているわけではありません。
氷河王子が、他人の干渉を鬱陶しがる性癖の持ち主だということを――もとい、自分の人生は自分の力で切り開いていきたいという独立独歩の精神の持ち主だということを――瞬は誰よりもよく知っていました。
けれど、瞬自身は、『人は皆、優しさや思い遣りの気持ちで助け合い、支え合って生きている存在である』という信念の持ち主だったのです。
氷河王子の友人が 氷河王子の身の安全と幸福を守るために務めるのは、瞬にとっては自然で当然なことでした。

「でも、氷河にシルバーランドに行く許可をもらいに行っても、氷河は許してくれないような気がするの。氷河は、人に自分の恋人の世話なんかしてもらいたくないって言いそうだもの」
「そりゃ、そう言うだろうけどさ」
「うむ。氷河は 当然そう言うだろう」
『であればこそ、瞬はシルバーランドに行くべきではない』と 星矢と紫龍は考えていたのですが、瞬は 『それでも自分は行かなければならない』と考えていました。
「だから、僕、シルバーランドへは氷河に内緒で行くことにする。このまま 手をこまねいていたら、ブロンズランドに革命が起こって、氷河がギロチンにかけられるかもしれないんだよ。氷河の命を守るためなんだもの。氷河は機嫌を悪くするかもしれないけど、きっとわかってくれるよ。僕、氷河がギロチンにかけられるなんて、そんなのは絶対に嫌だ」

「おまえの気持ちはわかるけどさー……」
そんなのは、星矢と紫龍だって嫌でした。
たとえ一国の王子としての務めを果たさない怠け者の王子でも、だからといってギロチンで処刑なんて野蛮ですし、夢見だって悪そうですからね。
「氷河の命がかかってるんだ。僕は行くよ」

星矢と紫龍の忠告には感謝しているようでしたが、氷河王子の命を守りたいという瞬の決意は強固なもので、瞬は結局 その日のうちにシルバーランドに出発してしまったのです。
星矢と紫龍は、瞬を止めることはできませんでした。
けれど、これが非常にまずい事態だということを、星矢と紫龍は知っていたのです。
瞬が乗った馬がブロンズランドの城を出てシルバーランドに向かうのを、お城の城壁の上から見送りながら、星矢は 思い切り その顔を歪め、隣りに立つ紫龍に言いました。
「紫龍。俺さー、氷河には好きな奴がいると思ってるんだけど」
「奇遇だな、俺もだ」
「で、俺が察するに、その相手ってのはさ」
「もちろん、この国でいちばん強い人間だ」
「だよなー……」

自分の考えが“ハズレ”でなかったことを確かめることができたというのに、星矢は少しも嬉しい気持ちになることができませんでした。
むしろ、星矢の表情は憂いの色を濃くするばかり。
実際、これは憂うべき事態だったのです。
ブロンズランドにとっても、氷河王子にとっても、星矢と紫龍にとっても。
「瞬は氷河の命を守ることしか考えてないみたいだし、いったい この国はどーなるんだ」
「瞬が自分の恋人探しに出掛けて行ったなんてことを知ったら、氷河は怒り狂って何をしでかすかわからんぞ。奴は、この国を永遠に融けない氷で覆い尽くすくらいのことは平気でやりかねん。とにかく、氷河には この件は知られないようにした方がいいな」

瞬が使命感に燃えて旅立ってしまった今となっては、彼等にできることはそれだけでした。
いいえ、その他に もう一つ。
シルバーランドの白銀聖闘士たちが、自分の力が瞬のそれに遠く及ばない事実を潔く認められるだけの分別を持っていることを祈ること。
星矢と紫龍にできることは、ただ その二つだけだったのです。






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