「瞬、この子――いや、おまえを温めてやれ」
「うん」
氷河に頷いて、幼い自分を温めるために、瞬は その手を子供たちの方にのばしたのだが、その手は 幼い氷河の手と声に遮られた。
「瞬に何するんだっ」
彼は、彼が守ると決めた人を たやすく他人の手に委ねるわけにはいかなかったのだろう。
それこそ、彼自身のプライドにかけて。
だが、今 この場では、そのプライドを曲げてもらわなければならなかった。

「僕は君たちを温めてあげたいだけで、君たちに危害を加えようというわけじゃないんだ。僕たちは 君たちを助けに来たんだよ。多分」
「俺たちを助けに……? 俺が呼んだから?」
「君が僕たちを呼んだの?」
「よくわかんない」
「わからない?」
「うん……」
大人になった彼自身には反抗的だった幼い氷河が、瞬には 妙に しおらしい様子で自信なげに頷く。
大人になっても、子供であっても、氷河には優しく接してやった方がいいようだった。

「瞬が、生きて帰ってこれないかもしれないようなとこに送られるって聞いて、きっと この世には神様なんていないんだって思って、俺、腹立ちまぎれに、マーマからもらったロザリオを窓から外に投げ捨てたんだ。瞬がすぐに拾いに行ってくれて――その時、魔法のコインを一緒に見付けたって、銀色の いびつな形のコインを拾ってきたんだ」
「魔法のコイン?」
「瞬は きっとそうだって言った。だから神様はいるんだよって。マーマのロザリオも大切にしなきゃいけないって。俺は信じてなかったけど、そのコインに瞬をあっためてくれって、助けてくれって願ってみたんだ。俺、ストーブか何かが出てくると思ったのに、出てこなくて――」

そう言って、幼い氷河が瞬の前に差し出してきたコインは、アテナの聖闘士たちには あまり縁起がいいものとは言い難い――冥府の王ハーデスの顔が刻まれた銀貨だった。
おそらく、古代の人々がハーデスを直接“死の神”と呼ぶことを恐れて“富の神”と呼んでいた時代のもの。
そのコインを見せられて、瞬は おおよその事情が見えてきたような気がしたのである。
これは、冥府の王の魂の器となる人間を死なせてしまうわけにはいかないハーデスの窮余の策、もしくは彼の酔狂が引き起こした椿事なのだと。
ハーデスの真意は、だが、今は斟酌している余裕がない。
幼い氷河の腕の中の瞬の震えは、いよいよ大きなものになってきていた。

「きっと、僕が君に呼ばれたストーブなんだよ。さあ、君も僕の側にきて。僕はストーブなんかよりずっと あったかいから。このまま放っておいたら、その子がどうなるか、君には わかるでしょう?」
“死”の意味を誰よりも よく知っている氷河は、もちろん 幼い瞬を このままにしておけないことは わかっていただろう。
それでも しばし幼い瞬を抱きしめたまま迷っているようだったが、瞬の眼差しと言葉に促されて、彼は やっと意を決してくれた。
頑なに他人の手を拒む気配を、少しだけ緩める。
瞬は ほっと安堵の胸を撫で下ろして、二人の子供を抱きしめようとしたのである。
その直前で、幼い氷河は 大人の氷河に その襟首を つまみあげられ、彼の瞬から引き離されてしまったが。

「おまえは まだだ。おまえなら、これくらいの寒さは平気だろう。おまえ、瞬を城戸邸から無理矢理 連れ出したな?」
大人の氷河は、この家出の責任の所在を はっきりさせておきたいらしい。
「氷河、そんなことは あとで――」
瞬は、氷河の怒りを静めようとしたのだが、氷河は瞬の言葉を聞く態度を見せなかった。
幼い氷河も、大人の自分自身には反抗心を露わにし、引く気配を見せない。
「だって、瞬が、そんな恐いとこ行きたくないって言うから」
「そう言ったとしても、瞬は逃亡を企むようなことできない子だ」
「悪いかっ。俺は瞬に死んでほしくないんだっ! 死なせてたまるか!」
「だから、嫌がる瞬を無理矢理連れ出したというわけか」
「瞬は、一人じゃ逃げ出せないに決まってるから、俺が一緒に逃げてやるって言ったんだ」
「瞬は、そんなことはできないと言ったろう」
「瞬は一人じゃ何もできないんだ。だから俺が――」
「嫌がる瞬を、無理矢理連れ出したな」
「瞬だって、ほんとは逃げ出したいって思ってたに決まってる」
おまえが・・・・嫌がる瞬を・・・・・無理矢理・・・・ 連れ出したんだな!」
「……」

大人の氷河に厳しい口調で決めつけられ、幼い氷河が きつく唇を引き結ぶ。
そうしようとした原因と理由はともかく、氷河の決めつけが事実だったから、幼い氷河は それ以上の反駁を諦めたのだろう。
それは人ひとりの命にかかわること――“瞬”の命にかかわること。
二度と自分を こんな軽挙に走らせないために、事の重大性を自覚させておこうとする(大人の)氷河の気持ちはわかるのだが――わかるからこそ、瞬は氷河に それ以上 自分を責めてほしくなかったのである。

「氷河。あんまり いじめないであげて。この子は 僕のためにしたんだよ」
「そんなことは わかっている! だが、俺は、俺のせいで おまえが命を落としかけるようなことは、もう二度と――くそっ。このガキは また同じことを繰り返す……!」
「でも、僕は死なないから。僕たちはみんな、いつも、助けて助けられての繰り返しでしょう。僕も何度も氷河に助けてもらったよ」
「……」
そこまで言われて、氷河はやっと自分を責めるのをやめる気になったらしい。
掴んで離さずにいた幼い氷河の襟首を、彼は乱暴に解放した。
子供の背中を押して、二人の瞬の側に行くように促す。

「氷河。君もここに来て。寒いでしょう」
大人の氷河から逃げるように、瞬に差しのべられた手の中に、幼い氷河は 今度は素直に飛び込んできた。
瞬にその肩を抱き寄せられ、瞬の小宇宙に触れて、その温かさに驚き、瞳を見開く。
「あったかい……」
「言ったでしょ。僕はストーブより あったかいって」
「う……うん、ほんとだ。これなら、きっと――」
瞬は、左の手で幼い瞬、右の手で氷河の肩を抱いていた。
瞬の胸に頬を預け 目を閉じたままの幼い瞬を、幼い氷河が後悔の色を帯びた瞳で見詰める。
大人の氷河が改めて責めるまでもなく、瞬がこんなことになったのは自分のせいだと、幼い氷河はちゃんと悔いていたらしい。

「瞬は 死んだりしないよな? こんなところで、今……俺のせいで……」
『ここで死ななかったから、僕は君たちを助けに来れた』と、本当のことを知らせてしまうわけにもいかない。
瞬は、心配顔の氷河に ただ明確に はっきりと頷いてやることしかできなかった。
幼い氷河には、だが、それだけで十分だったらしい。
彼は、自分の命が救われたような瞳で、泣き笑うような表情を作った。
そんな氷河に、その場で ただ一人だけ 瞬の小宇宙の外に立っている大人の氷河が、先程までのそれよりは険しさの薄らいだ声で、別の尋問を始める。






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