愛の宿命






今年の日本の冬の寒さは、地球温暖化が進行したせいらしい。
地球の気温の上昇によって北極の氷が融けたために低気圧の移動経路が北にずれ、その影響が巡り巡って 日本に強い寒気が流れ込みやすい状況を作っているのだとか。
その仕組みを何度説明されても、星矢は“地球が暖かくなったせいで、日本が寒くなっている”ことに得心できなかった。

「僕、氷河に嫌われちゃったのかな……」
という瞬の呟きに、星矢が奇異の念を抱いたのも、それと似たようなものだったかもしれない。
『地球が暖かくなっているのなら、日本も暖かくなるのが自然で当然』と思うように、『命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちの間に、固い友情と好意があるのは自然で当然』と思うせいで、星矢は瞬の呟きに同調同感することができなかったのである。
実際には、『地球が暖かくなること』と『日本が暖かくなること』は必ずしもイコールで結ばれるものではないし、『氷河と瞬が 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士であること』と『氷河と瞬の間に固い友情と好意があること』は全く別の事柄。
思い込みや先入観を捨てて 現実を見てみれば、瞬の懸念は決して あり得ないことではなく、むしろ自然で当然のものだった。

「僕、何か、氷河の気に障るようなことをしちゃったのかな。十二宮戦のあと、ずっと氷河に避けられてるような気がするんだ」
「氷河が おまえを避けてる? んなことあるはずないじゃん。あいつは、バトルの最中でも、バトルがない時でも、いっつも おまえにくっついてて、おまえに何かあると すぐに飛んでくる奴だ。俺、いつも氷河のこと、おまえの背後霊かよって思ってたんだぜ。あれって、もしかしたら一輝への対抗心なのかな?」
瞬の懸念に反駁してから、星矢は すぐに 自分の発言が現実に即していないことに気付いたのである。
“いつも 瞬にくっついていて、瞬に何かあると すぐに飛んでくる背後霊のような男”が、そもそも 今 瞬の側にいないのだ。
氷河が沙織に何か用事を言いつけられて、どこぞに出掛けているという話を、星矢は聞いていなかった。
つまり、どうしても片付けなければならない特別の用事を抱えているわけではなく、そうしようと思えば瞬の側にいられる状況にあるはずの氷河が、今現在 瞬の側にいない。
それが事実で、現実だった。

「そーいや、氷河の奴、なんでここにいないんだ? 瞬がいるのに」
星矢が素朴な疑問を発する。
今頃になって やっと その事実に気付いた星矢に、瞬は悩ましげに嘆息し、静かに瞼を伏せた。
「十二宮戦が終わってからずっと こうだったんだよ。星矢が気付いていなかっただけ」
「十二宮戦が終わってからずっと?」
改めて指摘され、そういえば昨日も氷河は瞬の側にいなかった――と思う。
そして、もしかしたら一昨日もそうだったような気がする。
十二宮戦以前の、気が付けば瞬の隣りか後ろにいる氷河の印象が強くて――ほとんど残像のように氷河の影が瞬の周囲にまとわりついているせいで――自分は氷河の不在に気付いていなかったのかもしれないと、星矢は思うことになったのだった。

が、星矢がその事実に気付いたからといって、瞬の懸念や消沈が霧散するわけではない。
むしろ、今頃 その事実に気付いた星矢は、瞬を更に落胆させることになってしまったようだった。
しょんぼりと肩を落とした瞬に、星矢よりは周囲が見えており、それゆえ氷河の変化に薄々気付いていた紫龍が、慰撫の言葉を投げてくる。
「おまえが氷河に何かしたとか、嫌われたとかいうのではないだろう。十二宮での おまえの戦い振りを見て、おまえが強くなったことを認め、自分がおまえを守ってやる必要がないと考えるようになったんじゃないのか、氷河は」
紫龍のその慰めに、だが、瞬は力無く首を横に振った。
「そんなはずないよ。だって、僕……あの……ほんとはセブンセンシズにだって、アンドロメダ島を出る時には もう目覚めてたんだ。自分では自覚できてなかったけど、そうだったみたい。ちょっと、その……なかなか本気になれなくて、使う機会がなかっただけで。だから、僕は 十二宮での戦いで格段に強くなったわけじゃない」

氷河に距離を置かれていることに傷心し、あくまでも控えめに、沈んだ口調で瞬が告げた言葉は、藪を突いて蛇を出すことになった。
自分は以前より さほど強くなってはいない――つまり、最初から強かった――という瞬の告白は、星矢には聞き捨てならないことだったのである。
「やっぱり、おまえ、いつも手を抜いていやがったんだな! 変だと思ってたんだ。天秤宮での小宇宙が、それまでの おまえの小宇宙とは桁違いでさ。あの時 急に強くなったなんて不自然だし、かといって 火事場の馬鹿力ってふうでもなかったしさ。おまえ、ほんとは強いくせに 力の出し惜しみして、そんで、いつも俺にラスボスを押しつけてやがったんだな!」
「別に、星矢に押しつけてたわけじゃないよ。いつのまにか、流れでそうなっているだけで。気が付くと、星矢が僕の前にいて敵に対峙してるんだ」
「流れでそうなってるだぁ !? 」

その流れを作っているのは誰なのだと、星矢は瞬を問い詰めたかったのである。
力を出し惜しんだせいで、前座の敵との戦いで傷付き弱っている瞬。
そんな瞬の姿を見せられてしまったら、瞬より元気な自分はどうしたって 瞬の前に立ち、ラスボスと相対さないわけにはいかないではないか――と。
しかし、瞬には、自分が その流れを作っているという自覚はないようだった。
それも道理。
瞬は常に 真面目に、勤勉に、一生懸命、敵と戦っているのだ。
滅多なことでは本気になれないだけで。
ゆえに、瞬は、星矢に悪びれた様子を全く見せなかった。
そんな様子を全く見せずに、ひたすら か弱く傷心モードを続ける。

「だから、僕は、何も変わってないんだよ。十二宮の戦いで 急に強くなったわけじゃない。なのに、氷河は……」
「おまえの強さが変わっていないというのなら、十二宮での戦いによって 氷河自身が強くなり、おまえの強さが正確にわかるようになったということも考えられるぞ。将棋や囲碁の世界でよく言うだろう。初心者は有段者が強いらしいことはわかるが、どれだけ強いのかはわからない。ただ漠然と、強いらしいと思うだけだ。だが、自分が強くなるにつれて、自分と有段者の間にある実力の差の大きさを理解できるようになる、と」
そう告げる紫龍の声には、しみじみした実感と 少々の自嘲が混じっていた。
『この戦いが終わったら、もう二度と瞬には聖衣を着せないつもりだ』などということを本気で考えていた時、彼はまだ 有段者の実力を見極めることは愚か、感じ取ることさえできない未熟者だったのだ。

竜王・名人クラスの有段者が、悲しげに、気弱げに項垂れる。
「だとしても……だからって、僕を避けることはないでしょう」
「そりゃ、そうだけどさ。可愛い小猫だと思って庇って守って可愛がってやってたのが、実は虎の子供だったってわかったら、普通の人間は、それまで通り 気安く 接してられなくなると思うぜ。やっぱ恐いじゃん。氷河が普通の人間かどうかって問題は、この際 考慮しないことにして」
「そんな……」
星矢に虎の子供扱いされた瞬が、飼い主に捨てられかけている子猫のように しょんぼりと肩を落とす。
瞬は、決して弱い聖闘士ではない。
一人の人間としても、心身両面で かなり強い人間である。
にもかかわらず、どうして瞬は ここまで か弱げに見えるのか。
星矢は――紫龍も――それが不思議でならなかった。






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