結局 瞬は、氷河が自分の側にいない状態に慣れることができなかったらしい。 そして、どうしてこんなことになってしまったのかが わからなかったらしい。 おそらく その謎を解くために 勇気を振り絞った瞬が、思い詰めた目をして、 「氷河……あの……話があるんだけど」 と氷河に話しかけていったのは、その翌日のことだった。 氷河が、 「俺にはない」 という素っ気ない答えを返して、瞬の決死の覚悟を そうして氷河は、瞬と同じ場所にいること自体が不快と言わんばかりの態度で、たった今 入ってきたばかりだったラウンジから出ていってしまった。 「あ……」 取りつく島もないとは、まさに このこと。 二人のやりとりを傍で見ていただけだった星矢と紫龍にも、氷河の冷たい対応によって受けた瞬の衝撃と悲嘆は、痛いほど感じ取れたのである。 「ぼ……僕、ほんとに何をしたの。氷河にこんなに嫌われるなんて……」 星矢たちに 涙を見られたくなかったのだろう。 氷河に続いて、しかし 氷河のそれとは全く様相の異なる ふらついた足取りで、瞬もまたラウンジを出ていく。 武士の情けで(?)、星矢たちは そんな瞬を追うことができない。 その場に残された星矢と紫龍は、互いに顔を見合わせて、深い溜め息をつくことになったのである。 この状況を打破できるのは氷河ひとりだけなのだが、肝心の氷河が 瞬を避ける理由を明確にしないのでは、瞬も瞬の仲間たちも対処の術がない。 瞬のいないところで氷河を問い詰めてみようかとも思うのだが、瞬に対しても あれほど冷淡に振舞ってしまえる今の氷河が、瞬以外の人間に素直に事情を打ち明けるとも思えない。 星矢と紫龍は完全に お手上げ状態だった。 今の彼等にできることは、十二宮戦以前に 気が付けば瞬の傍らにいた頃の氷河の振舞いを あれこれと列挙して、『あの氷河がなぜ』と怪しむことくらい。 その行為の あまりの不毛に嫌気がさした天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士が、いっそ 聖闘士らしく力づくでの問題解決を考え始めた頃、出ていった時同様 ふらついた足取りで、瞬が仲間たちの許に戻ってきた。 それぞれの修行地に送られる以前の子供の頃の思い出に始まって、日本での再会時、ギャラクシアン・ウォーズ、殺生谷、白銀聖闘士たちの日本来襲、渡欧後の戦い、そして十二宮戦。 アテナの聖闘士たちの戦いの歴史に そのまま重なっている氷河の瞬へのアプローチの歴史を、延々2時間以上 も語り合っていた自分たちに、星矢と紫龍は 瞬の顔色を見て気付くことになった。 ふらふらとラウンジを出ていった時には まだ人間らしい様子をしていた瞬の頬が、仲間たちの許に戻ってきた今は、死人の頬もかくやとばかりに真っ白になっていたのだ。 雪でも まだ白以外の色が混じっていると思えるほど、瞬の頬の色は 正しく真っ白だった。 青みさえ、帯びていない。 「なんだよ、その顔色! おまえ、どこ行ってたんだよ!」 星矢に問われた瞬は、血の気の失せた頬に、ぎこちなく、まるで微笑になっていない笑みを刻もうとした――ようだった。 「庭に出てたんだ。あんなに氷河に嫌われるなんて、もう死んじゃいたいって思って……。肌が痛いって感じるくらい寒いのに、僕、死ねなくて――どうして僕、こんなに頑丈なの……」 瞬が、たとえ言葉の上だけのことでも“死”を これほど軽く用いるのは、滅多にあることではない。 というより、瞬の口から『死にたい』などという言葉を聞くのは、星矢は これが初めてだった。 あえて言葉にして望むまでもなく、それは常にアテナの聖闘士たちの身近にあるものだったから、瞬は決して“死”という言葉を安易に用いることをしなかったのだ。 今日、この時までは。 氷河に避けられることが、瞬には それほど つらいことなのだろう。 もともと人当たりが やわらかく控えめで、誰にでも優しく、敵を作らない体質の瞬。 瞬を憎み嫌うのは、その人当たりのやわらかさや優しさを信じられず 反発を覚えるタイプの、言ってみれば、人間全般に不信感を抱き 世を拗ねている者たちがほとんどだった。 瞬は、そういう者たちにも優しい態度を変えないので、反抗期の子供のような者たちは、なお一層 瞬への反発心を強くするのだ。 だが、氷河は そういう種類の人間ではない。 氷河は、瞬の優しさが 瞬の強さによって培われたものであること、その価値を誰よりも よく知っている人間だった(そう、星矢たちは思っていた)。 そんな仲間に避けられることが、瞬には大きな衝撃で、そして、その状況が つらくてならないのだろう。 「そりゃ……聖闘士だからな」 「不便だね、聖闘士って……」 相変わらず ふらふらと覚束ない足取りで室内に入ってきた瞬が、ほとんど倒れ込むように三人掛けのソファに腰をおろす。 と思った次の瞬間、瞬は 本当に そのままソファに倒れてしまっていた。 「瞬! おい、瞬、どうしたんだよ!」 星矢が、慌てて掛けていた椅子から立ち上がり、瞬の傍らに駆け寄る。 瞬の頬は真っ白で、その手も氷のように冷たい。 その身体は小刻みに震え、懸命に体温を上げようとしているようだったが、成果はほとんど上がっていない。 意識も朦朧としているようだった。 瞬の頑丈な身体が寒さに音を上げたとは考えにくい。 おそらく、氷河に避けられることからくるストレスが、瞬の身体と精神の均衡を狂わせているのだ。 はたして意識があるのかどうか――。 目を開ける力も 口をきく力もないらしい今の瞬に、星矢は、そんなことすら確かめることができなかった。 |