俺が この町に動物病院を開業しようと思ったのは、興味本位にネットで動物病院を検索した際、都内で この町にだけ動物病院がないことを知ったからだった。 動物病院なんて、石を投げれば届くところに必ず1軒はあると言われている歯医者やコンビニに比べたら、比較にならないほど少ないだろうと思っていたのに――確かに、その絶対数では、動物病院は歯科医院の50分の1だった――実際には結構あるものなんだな。 獣医師免許取得課程のある某大学獣医学部を卒業したばかりで、しかも日本国内に暮らし馴染んだ土地もない新米の獣医師が、なんとか潰さない程度に動物病院を運営していくには、その土地の独占企業――もとい、独占病院になるしかないだろう。 そう考えて、俺は その町に白羽の矢を立てたんだ。 人口と人口密度は さほどではなかったが、その町は、いわゆる昔からの高級住宅地。 ペットを飼っている家も多いだろうと、俺は思った。 俺の動物病院の開業資金を出してくれたのは俺の恩師――いや、育ての親というべきか。 俺とは血のつながりのない遠い親戚――らしい。 俺は、ガキの頃にたった一人の肉親だった母を亡くして、天涯孤独の身になった。 彼は、そんな俺を――お世辞にも可愛いとはいえない俺を引き取り、育ててくれたんだ。 そのあたりの経緯は、実は俺も よくは知らない。 いつのまにか そういうことになっていた。 金も、他に頼れる大人もなかったガキの俺には、毎日の飯を食わせてくれて、住む場所と着る服を与えてくれる親切な人間に文句を言う筋合いもなかった。 彼は、カミュという名のフランス人で、なんでも子供の頃に飼っていたキツネを病気で亡くした時、獣医師になる決意をしたらしい。 ところが、色々と やむにやまれぬ事情があって、なぜか“人間用の医者”になってしまった(と、彼は言っていた)。 そこで、彼は方針を変更し、自分が駄目なら、絶対に身内の誰かを獣医師にすると決意した(と、彼は言っていた)。 が、実は彼も、俺同様、この地上では天涯孤独の身の上で、しかも、結婚して新たな身内を作るには あまりにも結婚に向いていない性格の男だったんだ(と、彼は言っていた)。 時々 俺は、獣医師になる身内を作るために、カミュは ほぼ他人の俺を引き取ったんじゃないかと思うことがある。 カミュは、自分にも他人にも、 一度 決意したことや約束事を遂行しないことを大変な罪悪と考えている 言ってみれば、いい加減なことが大嫌いな超頑固者。 約束事や決まり事に潔癖といっていいほど厳粛な人間だったから、気の置けない友人も少なかったように思う。 才能ある外科医だから、世界各国の大学や総合病院の招聘を受けて その地に出向くことが多く、一つところに腰を落ち着けて暮らすということもできなかったしな。 彼が俺を引き取ったのはロシアだが、その後、フランス、ギリシャ、日本と、俺と俺の育ての親は住む国を変えた。 俺が日本の大学の獣医学部に進んだのは、俺が大学に進学する歳に たまたま俺たちが日本にいたから。 ちなみに、カミュは2年前にアメリカの大学病院からの招聘を受けて かの国に赴き、今は日本にいない。 俺が獣医師免許を取得して大学を卒業した時、『私は獣医師免許を取得しただけでは、身内を獣医師にするという目的を遂行したとは思わないぞ』と言って、動物病院開業資金を俺の銀行口座に振り込んできた。 俺は、カミュに逆らえる身分じゃないからな。 彼の望みに従って、ほとんど義務感のように――むしろ、脅されるように? ――動物病院を開業することになったんだ。 ちなみに、到底 素直ないい子とはいえないガキだった俺が、カミュに命じられるまま 獣医師の道に進んだのは、俺という人間が 人間全般を苦手とする男だからだ。 獣医師というのは“ヒト以外の動物の医師”のこと。 俺は、獣医師になれば、“ヒト”の相手をしなくても済むと思ったんだ。 俺は、俺の母を 目の前で亡くした。 母を失った直後は、ショックで言葉を話すことができなくなり、感情表現すらできない状態に陥った。 そんな状態が1年ほど続いただろうか。 自閉に近い状態からは徐々に脱却したんだが、だからといって 明るく親しみやすい人間になれるわけもなく、俺は全く可愛げのない子供に育った。 可愛げのない子供に、大人は優しくない。 可愛くない子供を無条件に愛し、自然に優しく接することができるのは実の母親くらいのものだろう。 頑固で 何よりも節を尊ぶカミュは、俺には甘えられる母親ではなかった。 もっとも、カミュは頑固で厳しいだけで、不公平なことをしたり、理不尽なことを言ったりする男じゃなかったから、俺には実に付き合いやすい“ヒト”の“大人”だったがな。 まあ、そういう境遇にあった子供が 素直で真っすぐな人間に育つわけがない。 俺は、成長の過程で、人間という生き物は往々にして冷たくて、真意や真の感情に反したことをする嘘つきだと認識するに至った。 いつしか 俺自身もそういう人間になっていったのは皮肉なことだが、それも生きる方便だ。 特に誰が冷たいわけでも、特に誰が嘘つきなわけでもなく、ヒトという生き物は皆 こうなんだと、ヒトの弱さを認めることができるようになった頃には、俺という無愛想な大人が一人できあがってしまっていたんだ。 俺を引き取り育ててくれたカミュの酔狂には感謝しているし、俺は、生きている人間の中ではカミュただ一人にだけ、嘘ではない好意を抱いている。 カミュの前でだけ、俺は正直に――自分を飾らず、無愛想な子供でいられたし。 何といっても、彼は、母を失って絶望し もはや死ぬしかないという状態にあった一人の子供を ここまで育て上げ、自立もさせたんだからな。 親から自立できない子供を量産している日本のモンスターペアレントとかいう人種に比べれば、親として上等の部類だろう。 ともかく、そういう経緯で、俺は昔ながらの高級住宅地の外れに、自分の住居 兼 動物病院を建てた。 周辺には、広い庭のある住宅が建ち並んでいる。 ペットを飼っている家も多いだろうし、ぽっと出の新米獣医師が経営する動物病院も なんとかやっていけるだろうと考えて。 俺は知らなかったんだ。 この町に動物病院がないのは、すぐ隣りの町に、メディアで取り上げられることも多い大きな動物病院があるからだということを。 俺が その事実を知ったのは、俺の動物病院が完成し、開業してからのことだった。 病院なんて、それがヒトのためのものでも、ヒト以外の動物のためのものでも、一種の公共施設だ。 だから、病院を建てれば、それで患畜は来てくれるものと、俺は思っていた。 俺は考えが甘かった――甘すぎたとしか言いようがない。 まさか、開業から1週間、誰も俺の病院を訪れてくれない――犬1匹、猫1匹、ハムスター1匹 訪ねてきてくれないことになるとは、俺は思ってもいなかった。 病院なんて一種の公共施設――とはいえ、やはり宣伝というものをしないと、それが人々に認知されることはないだろうから、これは宣伝不足のせいなんだろうか。 俺は大学を出たばかりの ぽっと出の獣医師で、この町の出身者ではない。 つまり、この町に地縁はない。 おまけに俺は 母親がロシア人で、ガイジンそのものの外見をしている。 その上、愛嬌もなく愛想も悪く、どう考えても親しみやすいタイプの人間じゃない。 そんなことを あれこれ考えると(今更!)、俺の病院に患畜が来てくれないことは、さほど不思議なことではない――な。 ヒトは嘘つきで差別もするが、ヒト以外の動物はそんなことはしない。 俺はヒトは苦手だが、動物は好きだ。 だから、動物にも比較的好かれる。 病院さえ建てれば、動物たちは俺のところに来てくれると、俺は勝手に一人で思い込んでいたんだ。 だが、そういう自主独立の精神を持った動物は、野生の世界にしかいないものらしい。 ペットの具合いが悪くなった時、どこの病院に行くのかを決めるのは、ペット自身ではなく、その動物の飼い主であるところの人間だということを、俺はすっかり失念していた。 だから、俺の病院は開業1日目から閑古鳥で満員状態。 実に道理に適っている。 俺は有名病院の有名医師になろうとか、病院を流行らせて 大いに儲けようとか、そんな野心を抱いていたわけじゃない。 ただ、犬や猫や小鳥と親しんで日々を過ごし、自分の食い扶持を稼げれば それでいいと、ささやかな希望を抱いていただけだ。 しかし、俺の ささやかな希望は 決して ささやかなものではなかったらしい。 好きな動物の相手をして生計を立てるには、小児科医並みの愛想と 見るからに優しい雰囲気を持った人間になることが必要なのかもしれない。 優しくない(ように見える)獣医師に ペットをいじめられるかもしれないと心配するのは、飼い主である人間としては ごく自然な心理。 だが、今になって 俺に愛想のいい人間に生まれ変われと言われても、それは無理な話。 このまま永遠に閑古鳥の相手をして過ごすしかないんだろうかと思うと、気に入らない人間と一緒にいるくらいなら孤独でいる方がずっといいと考える俺でも、気持ちがへこむ。 現状の俺の唯一の救いは、俺の病院に助手や看護師や事務員を雇っていなかったことくらいか。 人も動物もいない待合室や診察室は、俺一人なら なんとか耐えられるが、雇用人がいたら気まずくてならなかったろう。 閑古鳥相手の最初の1週間が過ぎると、俺は 病院の入り口に『診察は○時から』の貼り紙をして、一日の大半を散歩して過ごすのが日課になった。 ○時に病院に戻っても、そこに人影があったことは一度もなかったが。 |