「瞬、おまえ落ち込んでるか? 俺は本気で怒ってるわけじゃねーぞ。あの場は、誰かが おまえを責めなきゃならない場面だったから、仕方なく――」 「うん。わかってるよ。星矢、ありがとう」 病室から廊下に出た瞬を追いかけ、追いつき、星矢は 心配顔でそう言った。 仲間の気遣いに感謝して、瞬が形ばかりの笑みを作り、頷き返してくる。 あの場では、誰もが仲間を思い遣っていた。 瞬もそれはわかっているのだろう。 わかっているからこそ――瞬の笑みは形ばかりのものになり、瞬の声もまた沈んだままなのだ。 「氷河の言うことも気にすることねーぞ。無茶すんななんて、偉そうに言えた立場じゃないのは氷河も おまえとおんなじなんだから。おまえら二人共、自分のこと棚に上げて、言いたいこと言いまくってさ、おまえと氷河が似た者同士だって思ったの、俺、今日が初めてだぜ」 瞬に そう告げる声を、星矢は意識して明るく軽快なものにしていた。 自分の悪い癖のせいで仲間に怪我を負わせてしまったために沈んでいる瞬の気持ちを、星矢は、どうあっても浮上させたかったのである。 というより、星矢は、瞬が沈んでいることを“正しくないこと”だと思っていた。 アテナの聖闘士たちは、互いに庇い 庇われ、支え 支えられ、いざという時には、それこそ仲間の屍を乗り越えて敵に立ち向かう覚悟で戦いに臨む者たちなのである。 悪意や害意があったというのなら話は別であるが、そうでないなら、仲間の負傷に いちいち落ち込んだり責任を感じたりするべきではないというのが、星矢の考えだった。 「そうかな……僕たち、似た者同士かな……」 「似た者同士だろ。同じことして、同じこと言って」 瞬は、自分と氷河が 同じことをして、同じことを言っているという事実は事実として認めてはいるのだろう。 だが、瞬は、素直に星矢の言に首肯することはしなかった。 代わりに、僅かに その顔を伏せる。 「さっき、氷河が言ってたでしょ。僕、十二宮戦のあと、氷河に怒られたんだよ。なんて馬鹿なことをするんだって。自分のせいで仲間が命を落とすようなことがあったら寝覚めが悪いから、もう あんなことはするなって」 「それ、さっき聞いた時も信じられなかったけど、ほんとなのかよ? ほんとに氷河が んなこと言ったのか?」 「うん……」 仲間に問われたことに、瞬が小さく頷く。 その様を見て、星矢は大々的に呆れ、 「信じらんねー。氷河の奴、あん時、滝涙流して感動してたぞ?」 「まさか」 「まさかも何も――ああ、おまえ、気を失ってたんだっけ……」 たとえ 地上の平和を守るためになら死をも恐れないアテナの聖闘士であっても、あの時の氷河の様子を詳細に瞬に説明する勇気は 容易に持ち得るものではない。 龍座の聖闘士か天馬座の聖闘士か蠍座の黄金聖闘士が その勇気を奮い起こさなければ、瞬は あの時の氷河の様子を知りようがないわけで――要するに、瞬は知らないのだ。 あの時、天蠍宮で氷河が作り出した涙の河の すさまじさを。 「十二宮戦後、僕、もう無茶はしないって、氷河に約束したの。戦いの最中に、敵を説得しようなんて悠長なこと考えるのもやめるって。その約束を破ったから、氷河は怒ってるんだと思う。でも……」 だから――天蠍宮に流れた氷河の涙の河を知らないから、瞬は、そんなことを(呆れることなく)氷河に約束することができたのだ。おそらく。 「でも?」 「ん……うん。なんだか、氷河って、自分の命を すごく軽視しているような気がするの。すぐ、諦めて、投げ遣りで――天秤宮でもそうだった。でも、もう無茶はしないって、僕が氷河に約束した時には、氷河も もう自分から生きることを放棄するようなことはしないって、僕に約束してくれたんだよ。なのに、今日は……。今日、僕が悪い癖を出しちゃった時、氷河は 自分の身体を盾にする必要はなかったんだ。自分は 必要のないことをして怪我を負っておきながら、僕には無茶をするななんて言う。それって理不尽……っていうか、不公平だよ」 「ま、確かに、ダイヤモンドダストを一発撃って、敵の拳の力を殺ぐだけで済んだ話だよな。その方が――拳を撃ち込む方が身体を動かすより早いし」 「でしょう? 星矢もそう思うでしょう?」 『そう思うか』と問われれば、『そう思う』と答えるしかない。 ただし、『でも氷河は、理屈じゃく感性で動く奴だから』という補足付きで。 星矢は、むしろ、それを『氷河は自分の命を軽視している』と結論づける瞬の方に同調できなかった。 「氷河は別に自分の命を軽く見てるわけじゃないだろ。奴にとっては、おまえの命の方が重たいものだってだけで。おまえの命に比べたら、そりゃ、自分の命も 自分以外の誰の命も軽いものになるだろ。氷河は おまえのことが好きなんだから。氷河が、自分の命より おまえの命の方が大事だって思うのは、そんなに変なことじゃないだろ」 そう言って瞬の顔を窺う星矢の目が、何事かを探り出そうとする人間のそれになったのは、彼が 氷河と瞬の仲がどこまで進展しているのかを知らされていなかったからだった。 瞬に対する氷河の特別な好意は 傍から見ていても疑いようのないものだったが、そもそも氷河は その思いを瞬に告げているのかどうかすら、星矢は知らずにいたのだ。 「僕を好きだから――じゃないような気がする……」 そんな星矢に、瞬が沈んだ声で答えてくる。 その答えは、星矢にとって、非常に多くの情報を含んだものだった。 瞬は、自分が氷河に特別な好意を寄せられていることは知っているらしい。 瞬は、うぬぼれの心をほとんど持ち合わせておらず、この手のことでは極めて奥手、勘もよくない。 誰かに知らされたのでなければ――瞬が自力で(?)、自分が氷河に特別に好かれていることに気付くのは、まず不可能なことである。 しかし、瞬は、既に その事実を知っている。 ということは、おそらく氷河は、瞬への告白だけは済ませているのだ。 そして、瞬には 氷河の好意を迷惑に感じている様子はない。 その重大かつ重要な事実は、星矢を大いに安堵させることになった。 もしかしたら、二人は 仲間には秘密で もっと先まで進んでいるのかもしれなかったが、星矢もそこまでは知りたいとは思わなかった。 星矢にとって大事なことは、あくまでも、氷河が片思いという大荷物を胸に氷河秘めて戦いに挑む事態は避けられる――という、喜ばしい事実だけだったから。 「氷河は単に おまえにいいとこ見せようとして、ちょっと計算間違って怪我しただけだろ。気にすんなって。別に、死んだわけでもないんだし。『ありがとう』って言ってやれば、氷河としては十分 報われたことになるんじゃねーの?」 「ん……」 恋人の命が、自分の命より、他の誰の命より重い。 それは、氷河でなくても――人間全般が抱く、極めて自然な価値観である。 瞬は深刻に思い悩んでいるようだったが、要するに それはただの恋愛問題にすぎない。 となれば、それは、氷河と瞬の友人という立場にある“星矢”はともかく、地上の平和を守るために戦う責務を負ったアテナの聖闘士である天馬座の聖闘士が気にかけなければならないようなことでもない。 氷河と瞬は、勝手に恋の悩みとやらに浸っていればいいのだ。 そういう結論に至った途端、星矢の足取りは軽くなった。 そして、氷河も――氷河は、結局、『ステーキが俺を呼んでいる』と言って、『あの折れ方だと、かなり痛いはずなのに……』と訝る医師の懸念を無視し、その日のうちに勝手に病室を引き払ってしまったのだった。 |