「なんなんだ、あの男! いったい何様のつもりだ! 被虐趣味の性的倒錯者の分際で、俺に偉そうに馬鹿げた命令を命じてきやがって!」
スターの忠犬が、スターに対して屈折した恋情を抱いているのは火を見るより明らかだった。
鉄の無表情、我儘な女王様の忠実な下僕。
女王様の愚劣に気付いていながら崇拝し、好きな女に他の男をあてがう花街のやり手ばばあのごとき男。
女王様に自虐的に仕えることで、彼は みじめな自分に快感でも覚えているのだろうか。
ともかく、彼は、氷河には理解できない種類の男だった。

「沙織さんになら、何を言われても従うぞ。沙織さんには、その力があり、価値がある。何より沙織さんは、人間という出来の悪い生き物を深く愛してくれている人だ。しかし、あの女は ただの我儘女だ。糞だ、糞!」
「氷河……そんな言い方……」
「ああ、悪い。塵芥、汚物に訂正する」
「それ、ちっとも訂正になってないじゃん」
ホテルに泊まり込んで苦行に耐えているはずの氷河が、突然 城戸邸に戻ってきたかと思うと、仲間たちに何の説明もなく怒声を撒き散らし始めたのに あっけにとられていた星矢は、溜め息混じりに氷河の訂正の無意味を指摘した。

氷河が、瞬以外の人間に6日間も仕えていられたことが、既に奇跡。
むしろ、5日前に氷河が城戸邸に帰ってこなかったことの方がおかしい。
そう思ってでもいるのか、紫龍は氷河の癇癪に驚いた様子も見せなかった。
驚く代わりに、異様に落ち着いた声で、
「何があったんだ」
と、なだめるように氷河に問う。
もちろん、それで氷河がなだめられることはなく、彼は一層 その憤りを激化させるばかりだったが。

「あの女の下僕が、俺に、瞬と別れてアメリカに来いと命じてきやがったんだ。俺にふさわしいのは、瞬のように善良で優しい人間ではなく、派手で我儘な糞女なんだと! お手当ては弾んでくれるらしいから、おまえら、俺の代わりに行ってみたらどうだ? おそらく、死ぬほど楽しい毎日を過ごせるぞ」
「それは遠慮しとくけど……。それって、最後のスターがおまえに愛人の職を斡旋してきたってことか? スターって、悪趣味なんだな」
「瞬は、スターの目につかないように隠れていたのか? 瞬がおまえの側にいるのを見たら、どれほど自分に自信のある女性でも、普通は諦めるだろう」

星矢と紫龍の発言は、決して氷河を なだめ落ち着かせるためのものではなかっただろう。
特に、星矢の言は、完全に氷河を馬鹿にした人間のそれだった。
だが、氷河には それこそが正しい価値観に基づいて為された評価、正当で的確な見解、彼の憤怒を静めるものだったのである。
価値観を同じくする者の語る言葉は、それが自分への悪口でも心地良い。
その事実をしみじみ実感することで、氷河の激昂は少しずつ薄れ弱まってきたのだった。

この6日間、共にスターの我儘に耐えてきたスタッフたちに電話で泣きつかれ、彼等に同情した瞬の勧めもあって、結局 氷河はその日のうちにホテルに戻ることになった。
あと2日。
あと たった2日なのだと、自身に言い聞かせながら。






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