明日には遠征組も米国に帰るという その日。
撮影スタッフたちは 突然バスに乗り込まされて、北関東の某所に運ばれることになった。
その日は、室内撮影のみで終わる予定だったのだが、能の『殺生石』の話を聞いたスターが、スペードの女王と女王に破滅させられる男の心象風景を その場所で撮りたいと、急に言い出したらしい。
一方で 下僕を一人増やす算段をしながら、撮影のアイデアも考えているスターのマルチタスク振りに、本音を言えば、氷河は本気で感心した。
公私ともに、スターは実に精力的。
彼女が怠け者でないことだけは、確かな事実のようだった。

そうして一行が向かったロケ地は、雅趣も優美も何もない、灰色の玄武岩がごろごろと 剥き出しの地面に転がっているだけの、正しく荒野だった。
ガイドによると、この付近一帯は、硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスがたえず噴出しており、“鳥獣がこれに近づけばその命を奪う殺生の石”のありかとして古くから知られてきた土地らしい。
『瞬が一緒でないなら同行しない』とスター並みの我儘を言って、瞬をロケ地に伴ったことを、氷河は心から後悔することになったのである。
とはいえ、それは、その場所が瞬と恋を語らうには ふさわしくない荒涼とした荒地だったからではない。
撮影スタッフだけでなく、時節柄観光客も多くやってきていた その場所に、あろうことかアテナの聖闘士の敵たちが どこからともなく湧いて出てきたことが、氷河の後悔の理由だった。

「どうして、こんなところに……」
TPOをわきまえていない敵の出現に、アテナの聖闘士たちは呆然とすることになったのである。
二人は、当然のことながら聖衣を持参してはいなかった。
チェーンがないと、瞬は生身の拳を使うしかない。
だが、今は、『そんなことはしたくない』などと悠長なことを言っていられる事態ではなかった。
「氷河は みんなを避難させてくれる? 僕、風上の方に彼等を誘い出して、気流を操って どうにかするよ。この辺り、今でも あんまり身体によくないガスが出てるんでしょう。ガイドさんが近付くなと言っていた方に敵を追い込めば、それで どうにかできると――」
「しかし、ここでバトルは……」
「特撮の撮影だとか何とか言って、本当のことは気付かせずに――氷河、急いで!」

どう考えても無理のある言い訳だが、策はそれしかない。
氷河は、瞬のプランに乗るしかなかった。
幸い、ここは観光地。
『スペードの女王』の撮影スタッフはそのための機材を持参していたし、観光客たちも そのほとんどがビデオやカメラ等、何らかの撮影器具を手にしている。
撮影スタッフと観光客 双方に、それを特撮映画の撮影と思わせることは、かなり無理をすれば不可能なことではない。

瞬は既に小宇宙を燃やし、戦闘態勢に入っていた。
そして、最初の跳躍――常人には考えられない高さと距離を伴う跳躍。
四の五の言っている暇はない。
撮影スタッフと観光客を、手際よく安全圏に避難させると、氷河はすぐに瞬のバックアップに入るために彼等の戦場に戻ったのである。

撮影スタッフたちは氷河の嘘の説明を信じて、自分たちの撮影と 日本の特撮物のロケが重なったのだと信じ、二人の正義の味方と20名超の悪役による息つく間もないバトルを、安全地帯から ぼうっと眺めていた。
敵たちが これまで城戸邸を離れている氷河たちを襲撃してこなかったのは、一般人を巻き込んで面倒を起こしたくなかったからだったらしい。
彼等が一般人に興味を抱いていないのは、氷河たちには幸いだった。
気配りのできる敵。
だが、それが本当に命がけの戦いであることをギャラリーに気付かせるわけにはいかない氷河と瞬は、普段の戦いの100倍も気を遣って敵と戦うことを余儀なくされていたのである。
二人は、その時、邪神を相手に戦う時より神経を研ぎ澄ませて戦っていたかもしれなかった。

観光客はもちろん、スターも、彼女の忠犬も、瞬を控えめで礼儀正しい子供と信じていたスタッフたちも――その場にいた すべての者たちが、突如 始まった地上の平和を守るための死闘を ぽかんと間の抜けた顔で眺めている。
やがて ばたばたと悪役たちが倒れ始めると、気楽なギャラリーたちは そのたび大歓声をあげて、二人の正義の味方たちの応援を始めたのだった。






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