他にどんな説明のつけようもないという事情もあったろうが、あれは日本の特撮映画の撮影だったという氷河たちの説明を、観光客はもちろん その道のプロである撮影スタッフたちも すんなりと受け入れてくれた。 それほどまでにアテナの聖闘士という存在は現実離れした存在なのだと、氷河と瞬は改めて実感することになったのだが、それはそれとして。 その日、瞬と離れて過ごす最後の夜を耐えるためにホテルに戻った氷河は、またしてもスターの忠犬からミーティングルームへの呼び出しを受けてしまったのである。 性懲りもなくアテナの聖闘士を米国に連れて行こうとしているのかと、うんざりした気分で指定された場所に向かった氷河は、その場の雰囲気が前回とは全く違っていることに、少なからず驚くことになった。 何が違うといって、今回は その場にスターが同席していたのだ。 氷河が訝りながら室内に入っていくと、スターの忠犬は、前回とは打って変わった謙虚かつ丁寧な所作で、氷河に席に着くように勧め、そして、無表情ではない真面目な顔で、氷河に尋ねてきた。 「君と君の彼女も俳優だったのか? なぜ言ってくれなかったんだ?」 「なに?」 この男は急に何を言い出したのかと一度 疑ってから、アテナの聖闘士のバトルを特撮映画の撮影と言ってごまかしたのが 他ならぬ自分自身だった事実を、氷河は思い出すことになったのである。 「あー……ああ、まあ、そんなところだ」 本当のことなど言えるはずがない。 そして、この場では彼等を誤解させておくしかない。 氷河は忠犬に どっちつかずの あやふやな答えを返した。 それが、だが、スターの忠犬には十分に満足のいく返答だったらしい。 長い吐息を洩らし、ゆっくりと瞬きをしてから、彼は なんと氷河に謝罪してきた。 「私は、あの子を――彼女を、少し可愛いだけの ただの女の子だと思っていた。失礼な誤解を許してくれ。本当に失礼なことをした」 確かに、色々と誤解だらけである。 何よりもまず、『 she,her,her,hers 』。 自分はこれまで 彼等の前で、ただの一度でも瞬を『彼女』という人称代名詞を用いて表現したことがあっただろうかと、氷河は この7日間を振り返ることになった。 その記憶はない。 しかし、スターの忠犬は、完全に瞬を『彼女』と信じ切っているようだった。 「シュン……と言ったか。今日の彼女は、普段の優しい風情からは想像もつかないほど美しかった。あれほど壮絶な美しさを持った人間を、私は見たことがない。スターが役になりきって演じている時も、あれほど美しくはない――あれほど輝いてはいない。悲愴、壮絶、恐るべき緊張感――何と言えばいいんだ」 スターのいる場所で、スター以外の女優(?)を手放しで褒める。 何という命知らずなことをする男だと、氷河は 忠犬の言葉に内心ひやひやしていたのだが、スターは機嫌を損ねた気配を毫も見せなかった。 それどころか、彼女は、彼女の忠犬の意見に同調し、彼女の忠犬同様、瞬を大絶賛し始めたのである。 「“清純な美少女”なんてカテゴリーに属する人間は、ただ可愛いだけで無知と従順を売りにしている馬鹿ばかりだと思っていたけど、考えを改めるわ。シュンは美しかった。美しすぎて、我を忘れたわ」 そう告げるスターの脳裏には、敵と戦っていた時の瞬の姿が いまだに鮮明に残っているのだろう。 今 氷河の目の前にいるスターは、それこそ憧れの女優を語る夢見がちな少女のような表情をしていた。 スターは、実際、そう思っていたのかもしれない。 日本では、特撮といえば、それは子供向けの低予算コンテンツなのだが、米国でのそれは、第一級のエンターティメントに分類される特別なジャンルなのだ。 瞬は今日、瞬本来のステージで、その本領を発揮した。 無関係な人を傷付けるわけにはいかないと、通常のバトルの100倍も真剣に、持てる能力のすべてを動員して、まさに命がけの戦いを戦っていたのだ。 そして、これは絶対に瞬当人には言えないことだったが、戦場で敵と戦っている時の瞬が 恐しいほど美しいのは、厳然たる事実なのだ。 「渡米の話は忘れて。あれほど美しい恋人がいたのでは、無理に連れ帰っても、あなたの心は彼女の許に残ったままでしょう」 スターが、スターとも思えぬほど謙虚な言葉を口にする。 彼女は、彼女と同じ舞台で、彼女以上の才能と実力を示してみせた日本の女優に対して、虚心に尊敬の念を抱き、その存在を尊重しているのだ。 スターと知り合って、今日で7日目。 氷河は、初めて、彼女を一人の人間として認めることになったのである。 他人の価値を素直に認め尊敬することのできる人間を、氷河は決して嫌いではなかった。 彼女が認め尊敬している相手が瞬なのであれば、なおさら。 スターは確かに才能のある女優なのだろう。 少なくとも彼女は、自分こそが最高の女優だと思い上がってはいない。 それを才能と言わずして、何を才能と言うのか。 氷河は この日初めて、アリシア・レジナという一人の女優に好意を抱いた。 もっとも、その好意は、あまり長続きするものではなかったが。 翌日、もう二度と会えないかもしれないのだからと、氷河は瞬を呼んで空港まで帰国の途に就くスターたちを見送りに出たのだが、スターは その場に瞬の姿を見い出すと、瞬の隣りにいた氷河を突き飛ばすようにして、瞬に抱きついていったのである。 「ああ……! 別れるのが、本当に つらいわ。日本で これほど美しい人に会えるとは思ってもいなかった……!」 感極まったようにそう叫び、瞬の頬や瞼のみならず唇にまでキスの雨を降らせ始めたスターに、氷河の心身はオーロラエクスキューションをまともに食らったバナナのように、その場で凍りついてしまったのである。 「知らなかったのか? スターはバイなんだ」 という忠犬の言葉が、氷河を更に凍りつかせることになった。 さすがに凍ってばかりもいられなかった氷河が、必死の思いで力を振り絞り、スターの手から瞬を奪い返す。 幸い、スターは、不粋で乱暴な氷河の振舞いを 当然のことと思ったらしく、腹を立てた素振りも見せなかったが。 「誰にも渡さないようにね。彼女の横にいて見劣りしないのは あなたくらいのものよ。別の男といる彼女は興醒めだわ」 「無論だ。俺は瞬から離れない。瞬は誰にも渡さない」 もちろん、どこぞの最後のスターにも。 言葉にしなかった氷河の宣言が しっかり聞き取れたのか、氷河の決意表明を聞いたスターは盛大に吹き出して、そのまま高笑いモードに雪崩れ込んでいった。 耳障りではあるが、決して不愉快というわけでもない。 そんなふうに――楽しそうな笑い声を 氷河と瞬の許に残し、最後のスターは、彼女が生まれ育ち スターになった国に帰っていったのだった。 |