それが何なのかは、まもなくわかりました。
ノーワンダーランドのある大陸が奇妙な動きを見せていることが 学者たちによって報告され、その報告と前後して、地震や火山の噴火が起きたり、川や湖が一夜にして地の底に呑まれてしまったりと、これまでノーワンダーランドの人々が一度も経験したことのないような大規模な天変地異が頻発するようになったのです。
もう何千年も安定していた この世界に いったい何が起きているのか。
国中の誰もが抑え難い不安に囚われ怯えていた時、知恵の女神アテナが天上世界から下りてきて、この天変地異の原因をノーワンダーランドの国民に教えてくれました。
大地ガイアの息子、ありとあらゆる怪物の父であるテュポーンが5000年に一度 目覚める時期が近付いている――という 驚くべき事実を。

相当の誇張はあるにしても、その巨体は 星に届くほど、その腕は 伸ばせば世界の東西の涯にも達するほどと言われている伝説の怪物テュポーン。
5000年前、天上の神々によって シチリア島のエトナ山の地中深くに埋められ、長い眠りに就いていた怪物テュポーンが 深い眠りから目覚めかけ、その身体を揺らしているせいで世界が揺れているのだと、女神アテナは言いました。
テュポーンの覚醒によって壊れようとしている世界を救うには、目覚めかけているテュポーンの目に“無常の果実”の汁を垂らして、再び長い眠りに就かせるしかない。
けれど、そのわざは、一種族に一度しか許されない業。
一度テュポーンを眠りに就かせた天上の神々は もうその業を為すことはできない。
この危機は、神ではない種族が、神の力に頼らずに行わなければならないのだと。

5000年に一度 巡りくる この試練。
5000年前といえば、まだノーワンダーランドの国が興っていなかった古い時代。
すなわち、これは人間が初めて経験する試練だということです。
ノーワンダーランドの国民は、アテナの言葉に恐れ おののき、そして、絶望的な気持ちになりました。
誰もがノーワンダーランドの国は これで終わりだと、この世界は壊れてしまうのだと思わないわけにはいかなかったのです。

けれど、恐れ絶望するノーワンダーランドの民に、女神アテナは言いました。
「この試練は、決して乗り越えられないものではありません。あなたたちが諦めてしまわない限り。あなたたちは諦めますか? 諦めて、滅びの時を待ちますか。諦めて、愛する者の死を ただ黙って待ちますか」
アテナにそう問われて、元気に、
「もちろんです!」
と答える者は、ノーワンダーランドには一人もいませんでした。
当然でしょう。
自分の命なら諦めもつきます。
ですが、愛する者の命となったら!
それだけは、誰にだって諦められないようにできているのです。

それに、ノーワンダーランドの民には、今は希望がありました。
言わずと知れた、奇跡の世代の魔法使いたちの存在です。
彼等は この試練を乗り越えるために 世界と運命が生んだ救世主なのに違いないと、ノーワンダーランドの民は思ったのです。
おそらく、これは歴史の必然。
彼等は生まれるべくして生まれてきた世代の魔法使いたちなのです。
そう考え 期待する国民の意を受けて、王室の交代を覚悟したカミュ国王は、奇跡の世代の魔法使いたち三人を王宮に呼び、怪物テュポーンを再びの眠りに就かせるための旅に出てくれと頼みました。
奇跡の世代の魔法使いたちは もちろん、即座に その要請を承知しましたよ。

「俺たちには、巨大な隕石を燃やし尽くし、海を動かし、山を動かす力がある。化け物の目に目薬をさして、子守歌を歌ってやることくらい朝飯前だ」
彼等は、笑ってそう言いました。
なんて力強く、頼もしい言葉。
カミュ国王は、テュポーン退治に関して、ノーワンダーランドをあげて協力すること、そのためにあらゆる権力を彼等に委譲すること、そして、冒険が首尾よく成し遂げられた時には、奇跡の世代の魔法使いたちの中の一人にノーワンダーランドの王位を譲ることを約束したのです。

ところが、彼等は王位などというものはいらないと言いました。
ただ一つだけ、ちょっとした ご褒美が欲しい。ちょっとした願いを一つだけ叶えて欲しいと。
カミュ国王は そういうわけにはいかないと彼等に告げたのですが、彼等は王位なんて面倒なものを押しつけられるくらいならテュポーン退治になど行かないと言い張って、結局 カミュ国王に“たった一つ、ちょっとした願い”を叶える約束を取りつけました。
アテナが言うには、テュポーンの完全な覚醒の時は この半月のうちに訪れるということでしたので、カミュ国王も悠長に時間をかけて彼等を説得していられなかったのです。

彼等のそんな やりとりを聞いていた氷河王子が、自分もテュポーン退治に同行すると言い出したのは、もちろん この世界を救いたいという気持ちがあったからですが、奇跡の世代の魔法使いたちに同道して、その道中に彼等を王位に就くよう説得しようと考えてのことでした。
「おまえ等の中には冷却系の魔法を使える者はいないんだろう。俺は ちょっとした泉や川くらいなら凍りつかせることができる。きっと役に立つぞ。俺には、王室の一員として、この任務の仕儀を見極める責任もあるしな」

そう言った氷河王子に、奇跡の世代の魔法使いの一人 一輝は、露骨に嫌そうな顔を向けてきました。
「その程度の力が何の役に立つというんだ。足手まといになるだけだ」
氷河王子の望みを 不機嫌そうな顔で にべもなく拒絶した一輝に、氷河もまた 思い切り むっとしました。
ノーワンダーランド第10王朝初代の王は、テュポーンの子といわれるヒュドラがノーワンダーランドを襲った時、その怪物を凍りつかせて王に選ばれた魔法使い。
一輝の発言は、その英雄の末裔である氷河王子には 大変な侮辱だったのです。

氷河王子が 以前から ノーワンダーランドの王子としての重責や堅苦しさを嫌って、あわよくば奇跡の世代の魔法使いの誰かに王位を押しつけようと考えていることを知っていた一輝は、実は氷河王子と あまり仲がよくありませんでした。
それでなくても二人は 炎の魔法使いと氷の魔法使い、もともと そりが合わなかったのです。
おまけに、氷河王子が王位継承権を放棄したがっている理由が理由でしたからね。
一輝自身も国王なんて面倒なものにはなりたくないと思っていたのですが、現に今 一国の王子という立場にある者が そんなことを考えるなんて無責任の極みと、一輝は氷河王子を軽蔑してさえいたのです。
国王や重臣列席の場で 突然 険悪な空気を生み始めた一輝と氷河王子の間に、まるで秋の空を横切るトンボのように すいっと割り込んできたのは、奇跡の世代の魔法使いの一人、紫龍でした。
奇跡の世代の魔法使いたちの中では比較的 穏やかな性質の彼は、いきり立つ二人の男たちを恐れる様子もなく、笑顔で彼等をなだめ始めたのです。

「一輝、落ち着け。こんなところで無駄な力を使うんじゃない。氷河の提案は、そう悪いものではないぞ」
「なに?」
いったい紫龍は何を言い出したのか。
微弱な魔法しか使えない者をテュポーン退治の旅に同道させ 足手まといになられるだけならまだしも、無能な同道者のせいでテュポーン退治の任務に失敗するようなことがあったらどうするのか。
紫龍の真意を測りかね 眉をひそめた一輝に一瞥をくれ、紫龍は氷河王子に言いました。
「王室の一員として、この任務の成り行きを確かめたいという おまえの希望は尤もなものだ。その希望を俺たちは受け入れよう。だが、交換条件がある」
「交換条件?」
「そうだ。俺たちの他に もう一人、テュポーン退治のパーティにメンバーを増やしたい」
「メンバーを増やす?」

紫龍の言う交換条件の内容を聞いて、氷河王子が最初に考えたこと。
それは、奇跡の世代の魔法使いが もう一人いるのではないか――ということでした。
おそらく命がけの危険なものになるだろうテュポーン退治の旅に参加させたいというのなら、その者はかなりの力を持つ魔法使いのはずですからね。
もしそうなのであれば、四人目の奇跡の世代の魔法使いは、一輝たちとは また違った系統の魔法の使い手なのに違いありません。
紫龍が わざわざ そんな交換条件を持ち出してくるからには、四人目の奇跡の世代の魔法使いは テュポーン退治に必要不可欠な力を持った者なのでしょう。
氷河王子としては、奇跡の世代の魔法使いは三人より四人いてくれる方が好都合でした。
何と言っても、それは、王位を押しつけられるかもしれない者が一人増えるということでしたから。

「おまえたちが そうしたいなら、俺はもちろん構わないが、誰なんだ。おまえたちが 危険な旅に同行させたい魔法使いというのは」
氷河王子の質問に答えてきたのは、紫龍の交換条件の意味を今は理解したらしい炎の魔法使いでした。
「俺の弟だ」
「おまえの弟? おまえに弟がいたのか?」
「ああ」
頷く一輝の顔が妙に暗く不安げでさえあるように見えるのは、いったいなぜなのか。
その訳は氷河王子にはわかりませんでしたが、そもそも一輝に弟がいたなんて話自体が初耳だったので、氷河王子は少なからず驚くことになったのです。

一輝たち、奇跡の世代の魔法使いが貴族に叙されて王宮に出入りするようになって、既に1年以上。
もしかしたらノーワンダーランドの次の王朝の祖になるかもしれない人物の家族肉親は、極めて重要な存在です。
魔法使いの力の強弱の決定要因は、生まれついての才能5割、経験が5割。
一輝の弟なら、相当の力を有する魔法使いのはず。
それを今の今まで国王にも王子にも隠し通してきたなんて、よほどの事情があるに違いありません。
「何か……よくない魔法の使い手なのか。死を司る魔法とか、闇を司る魔法とか」
真顔というより 心配顔で尋ねた氷河王子に、一輝は黙して答えを返してきませんでした。
一輝の代わりに、三人目の奇跡の世代の魔法使い星矢が 明るい声で答えてきます。

「そうじゃないんだ。瞬は そんな悪い力の魔法使いじゃなく、なんつーか、一輝の弟にしては普通すぎるくらい普通で――そう、瞬が いちばん得意な魔法は、花を咲かせる魔法なんだ。他には ろくな魔法を使えないんだけど、料理が滅茶苦茶 うまくてさー」
「う……うむ。そうだ。星矢の言う通り、瞬は ごくささやかな魔法しか使えないんだが、瞬が作る料理は絶品なんだ。俺たちは隕石を壊したり、海を動かしたり、山を動かしたりすることはできるが、飯は作れない。だから、旅には瞬の同道が必要なんだ」
「そんなことにならないことを祈るが、今回の旅は命がけの危険な冒険になるだろう。万一 命を落とすようなことになった時、たった一人の肉親には側にいてほしいじゃないか。俺と星矢には肉親はないが、一輝にとって瞬は 大切な たった一人の肉親だ」
「それに、瞬は すごい寂しがりやなんだ。一人で都に残されたら、毎日 泣いて暮らすことになるに決まってる。そんな後顧の憂いを抱えてたら、一輝だって思い切ったことができなくなるだろ?」

「……」
命がけになるだろう この試練の前に、奇跡の世代の魔法使いが揃いも揃って何を寝とぼけたことを言っているのでしょう。
絶品料理を作れるにしても、花を咲かせる魔法しか使えないような者を危険な旅に同道させるなんて、正気の沙汰とは思えません。
魔法で食べ物を出せないというのなら、大量の干し芋でも背負っていけばいいのです。
偉大な魔法使いたちの呆れた言い草に、氷河王子は それこそ心底から呆れかえってしまいました。
「花を咲かせる魔法しか使えないような者を、化け物退治の旅に同道させるなんて危険すぎるだろう。いくら料理がうまくても、足手まといになるのが目に見えている。そんなに、その瞬とやらが心配なら、この城で預かろう。ここは、この国で最も安全な場所だ」
「瞬の いちばん安全な場所は、俺たちの側なんだよ!」

「……」
足手まといになることがわかりきっている者を、どうしても危険な旅に同道させたいと言い張る奇跡の世代の魔法使いたち。
氷河王子は、何やら そこに秘密の匂いを感じ取ってしまったのです。
一輝の 寂しがりやで料理上手の弟には、何か大変な秘密があるに違いない――と。
「わかった。そこまで言うのなら……。だが、俺も同道するぞ。いいな」
「ああ。瞬を一人にしておかずに済むのなら、何だってOKだぜ。な、一輝、紫龍」
「ああ」
「うむ」
一輝の弟―― 一人にしておくと、何かまずいことになるらしい一輝の弟。
いったい それはどんな人物なのか。
氷河王子は興味津々でした。

ともあれ、これで交渉成立。
明日一日で旅の準備をし、奇跡の世代の魔法使い三人と氷河王子、そして秘密の匂いのする一輝の弟で構成される旅のパーティは、明後日の早朝、怪物テュポーンが埋められているエトナ山に向かうことになったのでした。






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