「なぜ、この俺の弟が魔法を使えないのかは、俺にもわからん。もしかしたら、俺が瞬の分の力を奪ってしまったのではないかと――だから、俺の力は異様に強く大きいのではないかと思う……」 一輝と瞬が暮らす小さな家。 大貴族が住む館とは思えないほど こじんまりとした、ささやかな田舎家。 その小さな家の、食堂と居間と客間を兼ねた部屋の木製のテーブルに両肘をつき、苦悶の表情で 一輝は氷河王子に言いました。 彼が星矢と紫龍の同席を許したところを見ると、彼等も その重大な秘密を共有する仲間なのでしょう。 奇跡の世代の魔法使いと呼ばれる三人が協力し合って、これまでずっと瞬の秘密を守り続けてきた――ということのようでした。 魔法を使うことができない者は、その無力ゆえに国の役に立たないもの、生きて存在する意味のないものとして無為人の島に送られる。 それは、ノーワンダーランドという国ができた時には既に存在した、ノーワンダーランドの全国民が従わなければならない重大な決まりでした。 ノーワンダーランド建国当初は そういう人間が幾人もいたらしく、流刑地に送られた者の記録が相当数残っています。 その決まりを厳格に守ってきたからこそ、ノーワンダーランドからは“国の役に立たない者”が一掃され、確か ここ2、30年ほどは無為人の島に送られた者はいないはず。 氷河王子は、カミュ国王から そう聞いていました。 「俺たち、ノーワンダーランドの国とノーワンダーランドの民のために一生懸命 働いて、偉くなって、いつか無為人の島送りの法を撤廃しようって思ってたんだ。せめて、瞬だけでも流刑を免除してもらえるようにって。こんなこと言ったら いつも 呆れるほど明るく元気で屈託のない星矢が、今日は珍しく しおれ気味。 仲間たちとテーブルに着いた星矢は、瞬が(魔法ではなく瞬自身の手で)いれたお茶にも、瞬が(魔法ではなく瞬自身の手で)焼いたのだろう焼き菓子にも手をつけようとしません。 そんな星矢の様子を訝ったのは、氷河王子だけではありませんでした。 「星矢?」 瞬が心配そうな目をして、ひどく落ち込んでいるらしい友人の顔を覗き込みます。 星矢は、瞬のために何とか笑顔を作ろうとしたようでしたが、それは あまりうまくいきませんでした。 「ほら、俺たち、普段は力を抑えてるだろ。俺なんか、へたに全力出すと、土砂崩れの土砂を取り除くつもりで、取り除かなくていい土までどけて 巨大井戸を作っちまう羽目になったりするから。だから、人のいない無人島に渡って、全力出す特訓してきたんだけどさ。どういうわけか、この俺が 小山ひとつ動かせなかったんだぜ。一輝も 岩一つ燃やし尽くせなかった。手加減ばっかりしているうちに、ほんとの力の使い方を忘れちまったのかなあ……。それとも、テュポーンは いい時に目覚めてくれたなんて喜んでた罰が当たっちまったのかな……」 星矢は、これまで 自分が悪いことをしているという意識を持っていなかったのでしょう。 すべては、心優しく清らかな瞬を守るため。 テュポーン覚醒を その絶好の機会と捉え、彼は 張り切って特訓に出掛けていったに違いありません。 なのに、思うように力を使いこなすことができなかった。 かつてない試練が世界に襲いかかろうとしていることを喜んでしまった自分を悔いる気持ちと、自分たちには瞬を守り切ることができないのではないかという不安。 その二つの思いのせいで、星矢の表情は曇っているようでした。 「星矢と一輝だけでなく、俺も、跨いで渡れるほどの小川の水を逆流させることができなかった。こんなことは初めてだ」 星矢と同じ不安を、水を操る魔法に長けた紫龍も感じていたのでしょう。 普段は 星矢ほど あからさまに感情を表に出すことのない紫龍も、今は 傍目に はっきりわかるほど、その眉を曇らせていました。 そして、溜め息混じりに、窓の向こうに見える井戸に向かって顎をしゃくります。 紫龍は、どうせ今の自分は強い力を使えないのだと決めつけて、少々 投げ遣りに井戸の水に向かって ちょっとした魔法の力を投じた――だけのつもりだったのでしょう。 ところが、紫龍が顎をしゃくった途端、一輝の家の庭の井戸からは、龍が天に昇るような途轍もない勢いを持った巨大な水柱が立ったのです。 その水柱は、それこそ 雲を突きぬけて太陽まで届くのではないかと思えるほど凄まじい勢いと水量を持った、まさに逆流する滝でした。 「ん? いつも通り力が使える……? 力が戻ったのか……?」 紫龍が作った 星にも届きそうな水柱を見た星矢が、 「ほんとだ。紫龍、おまえ、力が戻ってるじゃん」 と弾んだ声で言い、木のテーブルを ぴんと人差し指で弾きます。 途端に、家全体が大きく揺れたのは、星矢の魔法の力によって、一輝の家が庭ごと 宙に浮かんでしまったからのようでした。 「星矢、やめて! 畑のトマトが死んじゃう!」 「あ、悪い」 星矢が再び 指でテーブルを弾くと、宙に浮かんでいた家と庭は、それこそ山津波のような音を響かせて元の位置に戻りました。 自宅の着地を確かめた一輝が、続いて指を鳴らすと、今度は空に太陽のような炎の塊りが出現します。 「兄さん! テュポーンが目を覚ます前に世界を焼き尽くすつもりなの……!」 瞬が兄を制止する言葉を言い終える前に、一輝は彼が空に作った小太陽を消し去りました。 そうして すべてが元に戻った一輝の家の食堂と居間と客間を兼ねた部屋で、三人の奇跡の世代の魔法使いたちは 言葉もなく ぽかんとすることになったのです。 強すぎる魔法の力は 本当に傍迷惑。 兄と友人たちの乱暴な所業のせいで 半分泣き顔になっている瞬に、星矢は慌てて、気まずい顔で弁解を始めました。 「いや、嘘じゃなくて、まじで ほんとに、俺たち 全然 力が使えなかったんだぜ。わざわざ 俺たちが全力を出しても人様の迷惑にならないとこにまで出掛けていって、力を解放したっていうのに」 それが人に迷惑をかけることがなければ、瞬も、兄たちの強すぎる力を責めるつもりはなかったのでしょう。 星矢の弁解を聞くと、瞬は すぐに その表情を 元の やわらかく優しいものに戻しました。 「特訓に行ったのが無人島っていうのがよくなかったんだよ、きっと。星矢たちはこれまでいつも誰かを助けるために力を使ってきたでしょう。人の気配のないところでは、本来の力を出せないのかもしれないよ。でも、テュポーン退治は世界中の人のためになることなんだから、きっと大丈夫」 「そ……そっかなー。でもよかった、力が戻ってる!」 見失いかけていた希望の光を再び見い出すことになった星矢は、笑顔全開。 不安が消えた途端に空腹を覚えたのか、星矢は早速 瞬が用意してくれた焼き菓子に手をのばそうとしました。 そして、一輝と紫龍の 到底笑顔とは言い難い渋面に気付き、今は 力が戻ったことを能天気に喜んでいる場合ではないことを、星矢は思い出したようでした。 一輝と紫龍、そして星矢と瞬。 今 この場には、重大な秘密を共有していた四人の他に、局外者が一人いたのです。 それが自分であることに、氷河王子は ちょっと きまりの悪い気分を味わうことになってしまいました。 瞬が魔法を使えないことを、おそらく これまでは一輝が巧みに ごまかしていたのでしょう。 必要な時には、一輝が自分の力を駆使して、彼の弟が魔法を使っているように見えるよう装ったこともあったのかもしれません。 瞬を一人 この家に残してテュポーン退治に向かい、その間に瞬が魔法を使えないことが誰かに ばれてしまうことを恐れて、一輝は瞬を危険な旅に同道させようとしていたに違いありませんでした。 瞬を守る三人の奇跡の世代の魔法使いたち。 彼等の側が、瞬にとって最も安全な場所なのです。 その三人が、局外者の出方を窺うように、氷河王子を見詰めていました。 もし ここで氷河王子が『瞬を法に委ねるべきだ』と言っていたなら、氷河王子は、星矢によって宙に放り投げられ、一輝によって その身体を焼かれ、その灰は紫龍によって どこかに流されてしまっていたかもしれません。 強大な力を持つ三人の魔法使いは、そうすることも辞さない決意の眼差しを氷河王子の上に注いでいましたから。 氷河王子は、彼等にそんな目を向けられることは大いに不本意だったのです。 この国の王子が、可愛い瞬を地獄の島に送るようなことをするわけがないではありませんか。 氷河王子は、瞬のために罪を犯す覚悟を決めているらしい三人に、大きな声で言いました。 「そんな事情があったなら、もっと早く言ってくれればよかったのに。もちろん、瞬を無為人の島に送ったりすることなどできるわけがない。みんなで瞬を守り抜こう!」 “みんな”には、もちろん氷河王子も含まれます。 氷河王子のきっぱりした宣言に、星矢と紫龍は安堵の胸を撫で下ろしたようでした。 瞬も、もちろん 安堵と感謝の眼差しを氷河に注いできます。 ただ一人 瞬の兄だけが、妙に張り切っている氷河王子を 胡散臭いものを見るような目で 無言で睨み付けていました。 |