ともあれ、そういう経緯で、秘密を共有する者たちの旅は始まったのです。 とはいえ、無論、瞬の秘密(弱み)を握ったからと言って、氷河王子は瞬や仲間たちに強く出たり、威張ったりするようなことはしませんでしたよ。 瞬を流刑地なんかに送られてしまったら、困るのは氷河王子の方でしたからね、 綺麗で可愛くて清らかで優しい瞬に、氷河王子はすっかり心を奪われてしまっていました。 その上、いったいどうしたことでしょう。 旅に出てから、氷河王子は やたらと調子がいいのです。 一言で言うなら、まさに絶好調。 それまでは せいぜい小さな泉を凍らせるくらいのことしかできなかったのに、駄目元でやってみたら、氷河王子は ノーワンダーランドのある大陸からシチリア島までの海を凍らせることまでできてしまったのです。 氷河王子は、自分で自分の力に仰天してしまいました。 これは、奇跡の世代の魔法使いたちの力に触発されたからなのでしょうか。 奇跡の世代の魔法使いたちと旅に出てから、氷河王子は、奇跡の世代の魔法使い並みに強力な魔法を使えるようになっていたのです。 本当は、瞬以外の四人は空を飛んでシチリア島に渡ることもできたのですが、怪物テュポーンの覚醒の時が近付いてから、テュポーンの身体を押さえ込んでいるエトナ山は間断なく噴火を続けていて、シチリア島と その周辺に危険なガスを撒き散らし、空を行くのは とても危険な状態でした。 凶悪な怪物のいる島に渡るために漁師たちに船を出してもらうわけにもいきません。 ですから、氷河王子の氷の魔法はテュポーン退治の一行を大いに助けることになったのです。 これだけ強力な氷の魔法の使い手がいたら、怪物テュポーンを凍らせて動けなくすることも簡単にできてしまいそうでしたしね。 「氷河、おまえも奇跡の世代の魔法使いだったんだな」 氷河王子が作った長く巨大な氷の橋を渡りながら、なぜ今まで その力を隠していたのかを不思議に思っているような目をした星矢に そう言われ、氷河王子は答えに窮してしまいました。 氷河王子は自分の力を隠していたつもりはなく――突然 魔法の力を増した自分に いちばん驚いているのは、実は氷河王子自身でしたから。 「いや、俺は瞬に――」 「瞬に?」 「瞬にかっこいいとこを見せたくて頑張ってみたら できてしまったってだけで、本当は俺自身も驚いているんだ。俺に こんな力があったなんて」 氷河王子は正直に事実を口にしただけだったのですが、その事実が一輝の気に入るわけがありません。 長く巨大で透き通った氷の橋には、こめかみを ぴくぴくと引きつらせている一輝の姿が映ることになりました。 本当はこんな正直な男は 今すぐ火だるまにでもしてやりたかったのですが、氷河王子が 足手まといどころか立派な戦力になるとわかった今、一輝は自分の怒りのままに振舞うわけにもいかなかったのです。 「兄さんも星矢も紫龍も氷河王子様も 本当にすごいよ。みんな、ノーワンダーランドのために――ううん、世界中の人のために、自分の力を役立てることができているんだもの」 絶好調の氷河王子は、可愛い瞬にそう言ってもらえて得意の絶頂。 思わず、顔がほころんでしまいました。 けれど、氷河王子は、そこで浮かれるべきではなかったでしょう。 「なのに、どうして僕は……」 氷河王子の強大な力は、可愛い瞬を悲しい気持ちにするものでもあったのです。 しょんぼりと肩を落としてしまった瞬。 氷河王子は慌てて、瞬を励ましました。 「魔法なんか使えなくても、おまえは誰より可愛いし、誰より優しい。おまえの側にいるだけで、俺は力が湧いてくるぞ。俺の力が急に強くなったのは、きっと この旅が おまえを守るための旅だからだ」 「氷河王子様……」 「だから、俺のことは『氷河』と呼んでくれ。『王子様』はいらない」 何が『だから』なのでしょう。 氷河王子の言っていることには、脈絡というものがありません。 二人のやりとりを聞いている一輝の こめかみの“ぴくぴく”は一層激しくなり、血管が浮き出るほど。 氷河王子を火だるまにしてしまえない一輝は、それこそ怒りの絶頂に達しかけていました。 世界のために、そして 最愛の弟のために、一輝はなんとか氷河王子を排斥したい衝動を耐え抜きましたけれどね。 そんなこんなはありましたけれど、そんなこんなで、テュポーン退治の一行は、怪物テュポーンが封じ込められているエトナ山のあるシチリア島に 難無く渡ることができました。 いよいよ本格的に、命がけの危険なテュポーン退治の始まりです。 ――と思うでしょう? 誰だって、そう思います。 それが英雄譚の定石です。 ここから クライマックスに向かって盛り上がるのが 普通のヒロイック・ファンタジーなのです。 けれど、物語のクライマックスであるべき怪物テュポーンとの壮絶な死闘を語ることは誰にもできません。 なぜなら、彼等のテュポーン退治は、それこそ あっという間に終わってしまったから。 考えてみれば、それは当然のことだったでしょう。 隕石を燃やし尽くし、滝を逆流させ、山を動かし、海を凍らせることのできる奇跡の世代の魔法使いが四人も揃っているのです。 寝ぼけている怪物の目に無常の果実の汁を垂らすなんて、それこそ 瞬きをするだけの時間があればできる仕事。 その仕事を成し遂げるために必要なのは、巨大で不気味な怪物テュポーンに近付くことを恐れない勇気だけ。 そして、奇跡の世代の魔法使いたち四人は皆、その勇気を持ち合わせていたのです。 もっとも、氷河王子の場合、それは勇気ではなく、“可愛い瞬に いいところを見せたい”という見栄 もしくは虚栄心の類だったかもしれませんけれど。 あまりに あっさり終わってしまった怪物テュポーン退治。 奇跡の世代の魔法使いたちは、正直、いくら あっというまにテュポーン退治が終わってしまったからといって、このまま即行でノーワンダーランドの都に帰るのはまずいのではないかと心配するほどでした。 ですが、彼等がテュポーンの目に無常の果実の汁を垂らした その瞬間から 既に大地の揺れは鎮まっていましたし、テュポーン退治に苦労した振りをするめたに わざと遅く帰国するのも無意味なこと。 仕方がないので、テュポーン退治の一行は、あっというまにテュポーン退治を済ませた その足でノーワンダーランドに帰ることにしたのです。 もしかしたら、テュポーン退治に向かう時よりも その心身を緊張させながら。 なにしろ、彼等にとっては、命がけで超危険な(ものになるはずだった)テュポーン退治より、テュポーン退治のあとの ご褒美要求の場面の方が より重要で、それこそ持てる力のすべてをかけて臨まなければならないものでしたからね。 テュポーン退治の成功報酬としてカミュ国王に約束させた“たった一つのちょっとした願い”を カミュ国王に履行させることの方がずっと、彼等にとって大事なことだったのです。 |