「地上の平和と安寧のために長い戦いを戦い続けてきた私と私の聖闘士たちは、その戦いの最終局面を迎えていたわ。つまり、私たちは、いわゆるラスボスに対峙するところまで戦いのステージを進めていたの。そのラスボスというのは冥府の王ハーデス。大変なナルシストよ。ハーデスは、降り注ぐ陽光を遮って、地上世界を闇に包まれた死の世界にしようとしていた。私たちは彼の野望を挫くために 冥界に行き、ハーデスの部下である100余人の冥闘士たちを倒し、ついに彼に対峙したの。ところが、その大事な場面で、あなたがとんでもないことをしてくれたのよ」 「とんでもないこと?」 また、“とんでもないこと”か。 この俺をアテナの聖闘士とかいう奇天烈なものに仕立て上げることより とんでもないことが この世にはあると、この自称女神は言うのか? そんなことを考えながら問い返した俺に、自称女神が いささかの逡巡も感じさせない態度で、偉そうに頷く。 そして、彼女は言った。 「あなたはハーデスを見るなり、彼に向かって『すごい寝癖だな』と言ってくれたの」 「……」 それが俺のしでかした“とんでもないこと”なのか? 俺は ハーデスとやらに そんなことを言った記憶はないが、寝癖のひどい男に『すごい寝癖だ』と告げることの何が それほどとんでもないのか、俺には全くわからなかった。 「寝癖?」 一応、確認を入れてみる。 「ええ、寝癖」 「寝起きだったのか、そのハーデスとかいう男は」 「長い目で見ればね。でも、人間の日常レベルで見れば、決してそんなことはないわ。彼は長い眠りから目覚めたあと、たっぷり時間をかけて入念に身なりを整え、満を持して私たちの前に登場した。髪も 恰好よくセットしていたつもりだったでしょう。だから、あなたの正直な感想に、ハーデスは大激怒。あなたの髪も似たようなものだとか、所詮 人間は低俗すぎて神の崇高かつ高雅なセンスが理解できないのだとか わめきだして、あなたは あなたで言いたいことを言ってくれて、売り言葉に買い言葉の大喧嘩開始。文字通り 怒髪天を衝いたハーデスは、地上を滅ぼすことより あなたへの意趣返しを優先することにしたのよ」 たかが寝癖のことで、小さい男だ。 本気か冗談なのかは知らないが、そのハーデスとやらは、世界を滅亡させるという大望を持っていたんだろう? 世界の滅亡と寝癖を同次元で語るだけならまだしも、男子一生の大望より 寝癖問題の方を優先させるなんて、理解に苦しむ。 そんなことは大事の前の小事。 大事の前に、小事なし。 小事にかまけることなく 脇目も振らずに 大きな目標に向かって真っすぐ突き進むのが、男というものだ。 俺は、そのハーデスとかいう男とは一生 気が合いそうにないな。 「彼は、ちょうどあなたの弟に因縁があって――あなたを邪魔に思っていたの。それで、地上の平和と安寧を守るアテナの聖闘士である あなたに地上を滅亡させることで、意趣返しをすることを思いついたのね。ハーデスは、あなたに一つの賭けを持ちかけた。あなたの記憶を奪い、記憶を失った あなたが自分の弟を探り当てることができるかどうかという賭けを。記憶を失った あなたが、それでも あなたの弟が誰なのかを探り当てることができたなら、ハーデスは地上を死の世界にすることを断念する。あなたが あなたの弟を探り当てることができなかったら、グレイテスト・エクリップスを超ハイスピードで実行する」 「記憶を失った俺が 俺の弟を探り当てることができるかどうかの賭け?」 「ええ。ちなみに、グレイテスト・エクリップスというのは、惑星直列を起こすことによって、地上に永遠に太陽の光が降り注ぐことがないようにすること」 俺に弟がいる――のか? 「我々が賭けに乗らなければ、ハーデスは 当然、地上を死の世界にするべく動き出す。それならば、グレイテスト・エクリップスをやめさせられる可能性のある賭けに乗ってみる方が得策でしょう。私は賭けに乗ることにした」 『私は賭けに乗ることにした』って、俺の意思はどうなるんだ。 勝手にそんなことを決めるなっ! 俺は そう思い、思ったことを言葉にもした。 自称 知恵と戦いの女神は、そんな俺の抗議を華麗に無視してくれたがな。 そして、一人で勝手に話を続ける。 「で、ここにいるのが、あなたの弟候補たちよ。あなたの戦友でもあるわ。この四人も、あなた同様 記憶を奪われている。つまり、彼等も 自分があなたの弟なのかどうかを知らないというわけ」 そう言って 自称女神が左右の手を使って指し示したのは、俺と自称女神のやりとりを さっきからずっと脇で聞いていた四人の人物。 四人がずっと口をきかずにいたのは、こいつらが大人しい性分の人間だからではなく、要するに、こいつらも今 初めて事情を知らされたからだったらしい。 俺同様 記憶を奪われて、こいつらも途方に暮れていたんだろう。 それはともかく。 この中に一人、俺の弟がいる。 そう言われて、俺が最初に思ったことは、 「弟……? 女の子が一人いるようだが」 ということだった。 俺の向かって右手、金髪男の隣りに立っている文句なしの美少女。 同じ美少女でも、どこか ふてぶてしさを見え隠れさせている自称女神とは月とスッポン。 絵に描いたような清純系のこの子を 俺の弟候補というのは、彼女に対して失礼というものだろう。 ところが、似非美少女の自称女神は、 「女の子なんていないわ」 と、真顔で俺に言ってきた。 それはどういうことだと自称女神に問い返そうとした俺は、直前で そうするのをやめた。 清純系美少女が、ひどく傷付いているような目を俺に向けてくるのに気付いたから。 もしかしたら、そういうことなのか? この美少女は、俺の弟になれる性の持ち主なのか? だとしたら――もし そうなのだとしたら、この世界は まさに不思議と驚異で満ちているな。 「期限は24時間。明日の今頃、ハーデスはあなたが導き出した答えを確認するために、ここに来ることになっているわ。望むものは何でも準備させます。正しい答えに行き着いて、この世界を滅亡の危機から救ってちょうだい。世界の命運は、あなたの肩にかかっているのよ」 俺の肩に、断わりもなく変なものを引っかけないでほしい。 俺は 自称女神に そう文句を言おうとしたんだが、俺がそうしようとしていることを察したらしい自称女神は、俺の機先を制して 掛けていた椅子から立ち上がり、あっという間に どこかへ消えてしまっていた。 その素早さたるや、まさに神速。 俺は、その時 初めて、彼女が知恵と戦いの女神だというのは本当のことなのかもしれないと思ったんだ。 そして、のんきに そんなことを考えていたせいで、俺は、自称女神に文句を言うどころか、俺の方が文句を言われる立場に追い込まれてしまった。 |