そういうわけで、俺は、場所を聖域の中にある闘技場に移し、俺の弟候補四人の体力運動能力テストをしてみることにした。
日本国 文部科学省体育局が1999年に定めた運動能力調査。
その内容は、50メートル走、握力測定、反復横跳び、ソフトボール投げ、立ち幅跳び、1500メートル持久走、上体起こし、長座体前屈の8種目。
その8種目をすべて やり終えてわかったことは、俺の弟候補は四人が四人共、常軌を逸した化け物並みの体力と運動能力の持ち主だということ。
可憐な美少女の瞬でさえ、その例外ではなかった。
運動能力調査の種目を定めた際、50メートルを1秒以内で走る人間の存在を 文科省が想定していたかどうか、俺は はなはだ疑問に思う。
見てるだけじゃ退屈だったんで、試しに俺もやってみたら、俺も化け物の一人だったんだが、これでは甲乙のつけようがない。
「全員、俺の弟としての合格ラインには達しているようたな」
俺としては、そう結論づける他にできることはなかった。

「で、次は? 学力テストでもやるのかよ?」
そんな俺に、面倒なことはせず じゃんけんか あみだくじで世界の存亡を決してしまいたいらしい星矢が、不毛なテスト結果に うんざりしたような顔で訊いてくる。
星矢は それを冗談のつもりで言ったらしかったが――実際、俺も、学力テストで世界を滅亡の危機から救えるなら苦労はないと思ったんだが――まもなく俺は考え直した。
文科省が頼りにならないことは運動能力テストで嫌になるほどわかったから、文科省の全国学力学習状況調査の問題を採用する気はないが、漢字の読み取り調査は やってみる価値がある――と、俺は思ったんだ。
何といっても、俺の弟なら 漢字は得意なはずだからな。

俺は早速、アテナ神殿(俺が 自称女神によって 俺の弟候補たちに引き会わされた あの建物を、そう呼ぶらしい)に学習机を運び込み、漢字の読み取りテストを実施した。
試験問題を作っている時間が惜しいから、俺がホワイトボードに漢字を書き、弟候補たちが解答用紙に その読みがなを書くという形式で。
俺特製の漢字百題。
その結果は、紫龍と瞬が100点、星矢と氷河が0点という、極端すぎるほど極端なものになった。
満点をとった二人はさておくとして、氷河と星矢のそれは――特に氷河のそれは――点数より その解答内容に他意があるとしか思えないもので、俺は奴の解答を見て 思い切り不愉快な気分になったんだ。

氷河の解答は、『鳳凰』に『ばか』、『不死鳥』に『あほう』、『麺麭』に『ぶりおっしゅ』、『蒲公英』に『ししのは』――といった調子で、これに他意や悪意がなかったら、この世界に他意や悪意は存在しないだろうと断言できるような代物。
星矢の解答は、『鳳凰』に『しょうゆ』、『不死鳥』に『やきとり』、『麺麭』に『まんじゅう』、『蒲公英』に『かばやき』といった調子で、まあ、これはこれで 奴なりに懸命に考えた結果なのかもしれないが、お粗末にすぎる――としか言いようのないものだった。
星矢はともかく、氷河は どう考えても わざと誤答を書いているだろう。
俺だって あんな憎たらしい弟は欲しくはないし、俺の弟になりたくない氷河の気持ちはわからないでもないが、奴はいったい世界存亡の危機を何だと思っているんだ。
もう少し真摯な気持ちで 自分の人生を生きようとは思わんのか、この毛唐は!

「次は、IQでも測るか? 適性検査、エントリーシートの提出、あるいは個別面接という手もあるが」
漢字の読み取りテストの結果を見て渋面を作っている俺に、そう言ってきたのは紫龍だった。
こいつは、その時の感情や対峙する相手への好悪の感情を あからさまに顔に出す氷河と違って、基本の顔が“くそ真面目”らしく、その発言が冗談なのか本気なのか、ふざけているのか真面目なのかの判断が実に難しい。
一見真面目なのはいいんだが、その真面目が“一見”でしかなく 底意の見えないところが極めて不気味。
弟としての愛嬌に欠け、 兄への敬意なんてものが微塵も感じられないのが難だ。
とはいえ、誰だって氷河よりはましだがな。
しかし、IQ測定はともかく、個人面接というのは いいかもしれん。
俺の弟選抜のための面接なんて、本当なら星矢と紫龍にだけ実施すればいいんだろうが、一応 氷河も面接対象に入れてやれば、一方的に解答を提出されるテストとは違って、こっちも言いたいことを言えるわけだし。

「そうだな。では、次は個別面接でもしてみるか」
そう言って顔を上げた俺は、その段になって初めて、氷河が超ド級の ふざけた振舞いに及んでいることに気付いた。
あの阿呆は、自分の0点の解答用紙を恥ずかしげもなく瞬に見せて、その正答を瞬に教えてもらっていたんだ。
額が触れ合うほど瞬に接近して、俺はガイジンだから漢字が全く読めないとか何とか、平気で大嘘をついている。
日本人そのもののイントネーションで日本語を話していて、漢字が全く読めないなんて、そんなことがあり得るか!

『麺麭』に『ぶりおっしゅ』という読み仮名を振るためには、『麺麭』を『パン』と読むことと、『パンがなければブリオッシュを食べればいい』という名言(?)を知っていなければならず、『蒲公英』に『ししのは』という読み仮名を振るためには、『蒲公英』を『たんぽぽ』と読むことと、タンポポの英語名『 dandelion 』がフランス語の『 dent-de-lion(獅子の歯)』に由来することを知っていなければならない。
そして、『鳳凰』に『ばか』、『不死鳥』に『あほう』という読み仮名を振るためには、鳳凰座の聖闘士フェニックス一輝が 賢明かつ聡明で 渋い男前だということを知っていなければならん。
知っているくせに知らない振りをして、自分の無知を瞬にべたべたするための方便にするとは、卑怯卑劣愚劣の極み。
一応 あれは 世界の命運を左右する読み取りテストだったというのに ふざけやがって、ああっ、あの馬鹿野郎、瞬の肩に手をまわしやがった!

「次! 面接をするぞ。氷河、貴様からだ!」
とにかく、瞬を邪悪の徒の魔の手から守らなければならない。
俺は、瞬から氷河を引き剥がすべく、瞬に接近を図っている氷河を怒声で呼びつけた。
言葉の上では『面接する』だったが、実際の意味は『瞬のいないところで話をつけようじゃないか』という果たし合いの申し込み。
俺の語調で それがわからなかったはずはないのに、あの馬鹿野郎は、
「今、取りこみ中だ」
の一言で、俺からの果たし状をあっさり無視してくれやがった。
それだけでも十二分に礼を失した惰弱な振舞いだっていうのに、その上に 氷河の野郎は憎まれ口まで追加してくる。

「面接なんて無意味だ。俺が貴様の弟のはずがないだろう。貴様と俺とでは、そもそも顔の出来が違う。面接なんて、時間と労力の無駄だ」
「そんなことはわかっている! 貴様のような弟なぞ、こっちから願い下げだ!」
「なら、やめよう。俺と瞬は除外。どうせ、貴様の弟は、そっちの二人のどちらかだろう。こんなに可愛い瞬が貴様の弟であるはずがない」
その意見には 俺も完全に同意するが、少しは自分と言葉を交わしている相手の方を見たらどうなんだ。
貴様の ねばりつくような視線にさらされ続けていたら、瞬が汚れるだろうが!
こうなったら、面接なんて綺麗事(?)を言うのはやめて、はっきり果たし合いを申し込み 決着をつけるしかなさそうだ。
世界が破滅を免れても、瞬が邪悪の輩に汚されてしまったら、世界が存在する意味がないからな。

――俺がそう決意した時。
紫龍が、例の“基本は くそ真面目”な顔で、突然脇から口をはさんできた。
「いや、しかし、事実は小説より奇なりというぞ。ミステリーでは、最も怪しくない者が犯人と相場が決まっている。瞬が一輝の弟である可能性が皆無とは言い切れないのではないか」
紫龍の言うことには一理ある――と、俺は思ったんだ。
瞬が俺の弟である可能性は、数学的には確かに25パーセントあり、ミステリーの常道で考えれば その可能性は50パーセントくらいにまで跳ね上がることになるだろう。
しかし、地に足をつけて現実的に考えれば、その主張には かなり無理がある。

「こんなに可憐で可愛らしい瞬が、こんな暑苦しい顔をした男の弟だということがありえると、貴様は言うのか! 冗談も休み休み言え!」
氷河の言う通り、瞬が俺の弟である可能性は、現実的には限りなくゼロに近いものだと思う。
その点では、確かに俺は氷河の意見に賛成だ――賛同せざるを得ない。
だが、氷河の発言は、いちいち俺の癇に障る。
奴の意見に賛成か反対かと問われれば『賛成』と答えるしかないから なおさら、俺の神経を逆撫でするんだ、こいつが口にする言葉は。

「いや、さすがに俺も、現実がそこまで荒唐無稽だとは思わないが……」
紫龍も、そこのあたりの感覚は俺と同じらしい。
賛成か反対かと問われれば『賛成』。
「貴様がまともな判断力を有しているようで安心した。まあ、貴様か星矢だろうな」
だから、氷河の野郎が図に乗るんだ。
言っていることは正しくても、言い方に問題があるんだということに気付きもせず、自覚もせずに。






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