「瞬、馬鹿な真似はやめろ! なぜおまえが、こんなヘンタイ野郎の犠牲にならければならないんだっ」
「氷河さん……。僕一人の命で この世界に生きている多くの人の命が救えるのなら、それは 僕には とても嬉しいことです」
清らかな瞳で毅然と、瞬が 頓珍漢なことを言っている。
その勘違い振りは もはや救いようがないが、しかし、その姿は崇高で美しく、そして力強かった。
可愛くて大人しくて素直で従順なだけの子だと思っていたのに、何という強さ、豪胆、そして健気だ。

清らかと助平の中間にいて、今いち目の前で展開される瞬たちのやりとりの意味がわからず 混乱していたらしい星矢が、さすがに黙っていられなくなったのか、瞬とハーデスの間に割り込んでいく。
「瞬だけに、んなかっこいい真似させられるかよっ。俺だって、命の一つや二つ、世界を守るためになら くれてやるぜ!」
「俺ももちろん」
紫龍が星矢に続くに及んで、氷河の怒りは迷走することになったらしい。
奴は、その憤怒を、ハーデスだけでなく星矢や紫龍に対しても撒き散らし始めた。
「貴様等までっ。冗談じゃないぞっ。瞬は、俺と一緒に生きるんだっ! そして、二人で幸せになるんだっ!」
何が『二人で幸せになる』だ、勝手に決めるな、このド助平!

自分(と瞬)のことしか考えていない氷河の身勝手に、俺は呆れ果てるしかなかった。
本当に、こいつには全くブレというものがない。
終始一貫、ただ一つの目的に向かって まっしぐら。
ある意味、潔いと言ってもいいのかもしれない。
どっちにしても、ただの助平野郎だが。
そして、終始一貫・ブレがないというのなら、それは瞬も氷河と大差なかった。
一途に清らかに、瞬は瞬の道を突き進む。
「氷河さんの おっしゃる通りです。僕が命をかけて守った世界を、星矢さんたちは生き続けて守ってください」

勘違いなのに、大いなる誤解なのに、瞬の健気で一途な自己犠牲の精神は、その決意は、何よりも 気高く美しい。
誰が瞬をこんな勘違い人間に育てあげたのかは知らないが、そんなことは今はどうでもいい――そいつを責めるのは あとでいい。
俺は――俺は、瞬を 俺の身代わりの犠牲になどできない。
絶対にそんなことはできなかった。
深呼吸を一つ。
よし、声は出る。

「瞬、氷河、星矢、紫龍」
俺は、俺の弟候補たちの名を呼び、四人を制止し、その上で改めて 正面から冥府の王に向き直った。
そして、奴に言う。
「ハーデスとやら。神の約束は必ず守られると言ったな。ならば、最初の約束を守れ。俺が俺の弟が誰なのかを言い当てれば、世界を滅ぼす計画を中止するという約束を」
「そなたに わかるわけがない」
ハーデスが、侮蔑と憐みの入り混じった目で俺を見る。
奴の言う通り、俺はわかっていなかった。
もちろん、わかっていなかった。
誰が俺の弟なのかということは。
だが、俺が今 ここで何を言うべきなのかは わかっていた。
俺は、俺にとっての真実だけは わかっていんだ。

「俺の弟は瞬だ。それ以外に考えられない。違っていたとしても、俺は他に弟などいらない」
それが、俺の辿り着いた俺の真実。
俺の答えを聞くと、ハーデスはぎくりと身体を強張らせた。
そして、大きなショックを受けて正気を失いかけている人間のように、何やら ぶつぶつ口の中で呟き始める。
「馬鹿な……そんな馬鹿な……なぜだ……絶対にわからないと思っていたのに……絶対に間違うと思っていたのに……馬鹿な……ありえん……わかるはずがない……」
ハーデスは完全に呆然自失状態だった。
ぶつぶつと同じ繰り言を繰り返しながら、虚ろな目をして虚空を見詰めている。

どうやら、俺にとっての真実は 客観的事実でもあったらしい。
それは、俺自身にも到底 信じられないことだったが。
確信があったわけじゃないんだ。
俺はただ、瞬が俺の弟なら、兄として誇らしいと思っただけ。
ただ それだけ。
だが俺は、実際 俺の弟を誇っていい幸運な兄だったらしい。

「これで一件落着かしら?」
それまで無責任にも ただの見物人になっていたアテナが、実に機嫌がよさそうな声と口調でハーデスに尋ねる。
自分と同じ神であるアテナの呑気な発言に、侮辱の響きを敏感に感じ取ったのか、ハーデスはそれで正気を取り戻したようだった。
正気を取り戻すなり、ハーデスは 改めて(?)その顔を怒りと屈辱で歪め 引きつらせた。
そして、憎々しげに、彼の同胞である女神アテナを睨みつける。
しかし、既に勝敗は決し、アテナの言う通り、一件は落着していたのだ。
この場にこれ以上留まっていると、更なる醜態をさらすことになる。
ハーデスはそう考えたんだろう。
腐っても、寝癖が取れなくても、神は神。
ハーデスは、自分の引き際は心得ているようだった。

「ええいっ、余は冥界に帰るぞ。アテナ! こたびは約束通り 矛を収めるが、次の聖戦がどうなるか覚悟しておれよ!」
見事なまでに お約束通り。
典型的な捨て台詞を残し、ハーデスがその場から姿を消す。
その瞬間、俺は すべてを思い出した。






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