「おまえに その気はないんだろ? 毅然とした態度でいれば、氷河もそのうちに諦めるさ。あいつは今、失恋神の呪いのせいで正気じゃないんだ。でも、いつかは目が覚める」 氷河の無遠慮な 熱い視線攻撃にさらされ 居心地が悪そうにしている瞬に、星矢がそう言ってやったのは、まず何よりも瞬のためだったが、それは同時に氷河のためでもあった。 氷河が(ある意味では)正気も正気、大正気なこと。 あるいはまた、氷河は アポロンの力によって正気を失うことになったのではなく、実は氷河は以前からずっと正気でなかったこと。 それらのことを瞬に知らせれば、瞬は今以上に氷河への対応に困ることになるだろう。 だが、現在ある状況のすべてをアポロンのせいにしておけば、瞬を困らせているのは 氷河ではなくギリシャ随一の失恋神アポロンということになり、少なくとも氷河がすべての元凶として瞬に憎まれることはなくなるのだ。 瞬も、『アポロンの力が消えれば、氷河は正気に戻ってくれる』という希望を持つことができる。 その希望が空しい希望だということは わかっているのだが、偽りの希望でも 少しは瞬の心を軽くするために役立つことはあるだろう――。 それが星矢の考えだった。 「それに、俺たちにはアテナがついてる。どうしても氷河が正気に戻らないようだったら、沙織さんにどうにかしてもらえばいいさ」 「うん……」 悪いのは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間ではない。 アポロンの力は永遠に有効ではないだろうから、いつかは氷河も正気に戻る。 そして、アテナの聖闘士には、女神アテナという最強の守護神がついている。 それだけの楽観的希望的好材料を並べ立てられたなら、瞬も少しは気を安んじることができるようになるだろう。 そう 星矢は期待したのだが、瞬の返事は ひどく力ないものだった。 それはそうだろう――と、気弱に顔を伏せる瞬の前で 星矢は思ったのである。 可愛い女の子になら ともかく 可愛くも何ともない男に、日に一度くらいなら ともかく四六時中、熱い視線を送られ続けている瞬。 それで憂鬱にならずにいられたら、瞬は極端な悪趣味か、精神的マゾヒストである。 星矢は、瞬への同情を禁じ得なかった。 「とにかく、おまえは、氷河にはしばらく近付かない方がいい。また押し倒されたりなんかしたら、おまえは氷河に応戦しなきゃならなくなる。それは さすがにまずいだろ」 「うん……」 希望も明るさも、何より力というものが全く感じられない瞬の声、表情。 『どうしても氷河が正気に戻らないようだったら、アテナにどうにかしてもらえばいい』と瞬に言った翌日に、早くも星矢が最後の切り札であるアテナに現状打破の相談に及んだのは、生気が全く感じられない今の瞬では、もし氷河に押し倒されるようなことがあっても応戦すること自体が困難なのではないかと案じたからだった。 |