「初来日で注目を集めていた世界的有名人HYOGAさんが、日本での仕事をすべてキャンセルし、大騒ぎになっています。滞在していたホテルも引き払い、その行方は ようとして知れません。彼の代理人も詳細は知らされていないらしく、『事故に巻き込まれたのではない』というコメントを発表したきり、沈黙。世界的大スターの姿を じかに見られると喜んでいたファンは悲嘆し、各業界の関係者も困惑している模様。世界各国にある自宅やオフィスにも帰った様子はなく、実質 行方不明状態です。はたしてHYOGAさんはどこに消えてしまったのか。アガサ・クリスティ失踪以来の大事件と、騒ぎは大きくなる一方です――」

安いチューナーを取りつけて地上デジタル放送の電波を受信している古いブラウン管テレビ。
ワイドショーのリポーターもかくやとばかりに HYOGA失踪事件を報告するニュースキャスターに、
「大スターなら、ここにいるぜ」
という星矢の声は届かなかったらしい。
画面は、来日時のHYOGAの姿を映した映像に切り替わり、キャスターは HYOGAのこれまでの経歴の説明を開始した。

スズキ司祭を卒倒させた翌晩には、氷河はホテルを引き払い、身のまわりの荷物をまとめて、この養護施設に転がり込んできていた。
駐車場代、宿泊費、壁紙の修繕代という名目の口止め料を1000万円ほど 丁重に寄付されてしまったスズキ司祭は、彼を追い返してしまうことができなかったのである。
スズキ司祭の困惑も世間の喧騒も意に介したふうもなく、氷河は可能な限り 瞬にまとわりつき、崇め奉っていた。

「瞬様は、今はどのような お暮らしをなさっておいでなのですか」
「ふ……普通の高校生です。学校に行って勉強してます。この施設の子供たちの世話や、星矢のチームの試合がある時には 売店のバイトをさせてもらったり――。あとは、地域のボランティアとか。僕は、僕みたいに家族を失った子供たちの力になれる仕事に就くのが夢なんです」
「転生されても、瞬様のお優しいお心に変わりはないのですね。俺――私にできることがあれば、どのようなことでも お申しつけください。私は瞬様の お力になりたい。お側にいて、お仕えできたなら、これ以上の喜びはございません」

つい数日前には、マスコミとお取り巻きを引きつれて傲然と顔を上げていた世界的大スターが、今は 子供たちのクレヨン画が壁一面に張られた狭い集会室で、生き別れになっていた飼い主の許に万里の波涛を乗り越えて辿り着いた飼い犬もかくやとばかりに、『瞬様』に尻尾を振っている。
世界的大スターの敬語と忠義忠誠の態度に弱りきり、瞬は ひたすら身体を小さく丸めているばかり。
巨大な犬に懐かれて押しつぶされそうになっている瞬に、星矢は同情を禁じ得なかった。

「瞬サマのお力って言ってもさー。あんた、まさか、瞬を担ぎ出して天下統一をやらかそうとかいうんじゃないだろーな」
「そのようなことは考えておらん。瞬様はそのようなことは望まれん」
「あ、それはわかってるんだ」
ならば最悪の事態だけは考えずに済みそうだと、星矢は ほっと安堵の息をついた。
氷河が その手の野心野望を抱いていないのであれば、現状は、高額の生活費を入れてくれる居候が施設に一人 転がり込んできただけ――ということになる。
氷河は瞬様の命令には絶対服従のようであるし、さしたる問題は生じないのではないかと、星矢は思ったのである。
が、『氷河に天下統一の野望がなければ無問題』で済むのは、星矢だけだった。
忠犬ハチ公のように氷河にかしずかれる瞬には、氷河の行動は問題と支障だけでできているものだったのだ。

「氷河さん。その『瞬様』というのをやめていただけませんか? ご自分のことを『私』と呼ぶのも――『俺』の方が楽なら、そちらの方で構わないんです」
「そのような難しい ご注文は ご容赦ください。『俺』どころか、私は瞬様の前で つい『それがし』と言ってしまいそうになるのを耐えているのです」
「そ……それがし……?」
「えーっ、それがし、いいじゃん、それがし。いっそ、拙者や吾輩でもいいぜ。天下布武とか言い出しさえしなけりゃ、一人称なんか何だって」
「星矢!」
無責任な茶々を入れる星矢を、瞬が睨みつける。
どうやら瞬が『それがし』を歓迎していないことを認め、氷河は自身の一人称は『私』で通すことに決めたようだった。

「瞬様こそ、『氷河さん』を おやめください。私のことは、以前のように『氷河』と。でなければ、お返事ができません」
「でも、氷河さん。氷河さんは僕より年上で――」
「……」
途端に口を一文字に結んで、氷河が恨めしそうに瞬の顔を見詰める。
巨大忠犬は、どうやら かなり融通の利かない犬のようだった。
瞬が溜め息混じりに、
「氷河」
と呼ぶと、巨大忠犬は巨大な尻尾を ゆさゆさ振って、
「はい!」
と、嬉しそうに答えてくる。
ここまでくると、星矢は笑うしかなかったのである。

「世界の大スターが これだもんなー。いっそ この姿をビデオにでも撮って、どっかのテレビ局に送りつけてやろーか」
「星矢……!」
「じょーだんだよ。これ以上の面倒事はたくさんだ」
天下統一の野望さえなければ大きな問題はないといっても、瞬の登下校の送り迎えをしたがったり、氷河の姿を見かけた近所の住人が怪しんだりと、小さな問題は頻発していたのである。
氷河に いつまでもここにいられては困るという状況は、氷河が この施設に押しかけてきた時から、何も変わっていなかった。

「で、あんた、いつ帰るんだよ」
星矢が氷河に そう尋ねたのは、決して意地悪などではなく――瞬やスズキ司祭が訊けずにいることを 星矢が代わりに問うてやっただけのことだった。
それを察することができないほど愚鈍なわけでもないらしく、氷河は 星矢からの問い掛けの答えを彼の主人である瞬に返した。――反問という形で。
「ずっと ここに置かせていただくことは無理でしょうか。ここで働かせていただくことは――」
問われた瞬が、困ったように眉根を寄せる。
「そんなことをしていただいても、僕はあなたに何のお礼も返してあげられないんです」

「礼など不要です。お側に置いてくださるだけでいいのです。私は、あの時――大聖寺城落城の折、瞬様をお救いできなかった。瞬様はまだ15歳になったばかりだったというのに、瞬様の死を見詰めていることしか……。その未練、後悔――私は、かつての私の無力を償えるとは思ってはおりません。ただ、私は、かつての瞬さまが望んでいらしたように、戦のない世、人が他者を傷付けることなく生きていける世で、瞬様が お心安らかに生きていけるよう、力を尽くしたいだけなのです。そんな瞬様を見守っていたい。それが私のただ一つの望みです」
“瞬様”の側にいられるのなら他には何も望まない――という氷河の言葉に嘘があるとは、星矢には思えなかった。
おそらく瞬も、その言葉を疑うことはなかっただろう。
400年前、山口家で瞬に仕えていた頃の彼ならともかく、現在の彼は 既にすべてを持っているのだ。

「僕は、氷河さ……氷河に、僕のためではなく、自分のために生きてほしいんです」
「私は、たった今も自分と自分の幸福のために生きております。そして、幸福です。瞬様のお側にいられるのですから」
その言葉に嘘はないと思えるから、氷河の忠義心は厄介だった。






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