俺のマハラジャとの面会希望は 気が抜けるほど あっさり受け入れられたが、実際にマハラジャに会う前に、俺はジャイプルの宰相による面通しを受けなければならなかった。
面倒な話だが、それくらいの恰好つけは許してやるべきなんだろうな。
ジャイプルにも、立場面目というものがあるだろうし。

氷河ヒョウガとは、おかしな名だな。マハラジャに会いたいというのは貴様か」
ジャイプルの宰相――ジャイプルの国務の実質的最高責任者と言っていいだろう――は、一目でインド・アーリア人種ではないとわかる人物だった。
彫りは深いが、どこか東洋的なところのある黒髪の若い男。
イギリスとジャイプルの立場は承知しているんだろうが、宰相は、宗主国イギリスの人間である(ことになっている)俺に媚び へつらう様子は全く見せなかった。
一国の宰相としての面目矜持を守るために虚勢を張っているというより、自らの権力にも地位にも執着がなく、それゆえ宗主国を恐れる気持ちもないゆえの傲慢――そういう口調と態度。
宗主国の人間を恐れるどころか――彼は、俺に対して極めて威圧的、いや、攻撃的と言っていいくらいだった。

「マハラジャとの面会の目的は」
宰相は、俺が本当のことを答えるとは考えていない顔で、質問してきた。
だから、俺は 本当のことを答えてやったんだ。
「人捜しだ」
――とな。
「人捜し?」
それは宰相にとって、意外な答えだったらしく――奴は、俺の返答を復唱し、僅かに眉をひそめた。
まあ、妥当な反応だな。
インドにやってくるイギリス人が求めるものは富。
より正確に言うなら、富の種――金儲けのネタ。
宝石や陶磁器、あるいは、まだ欧州に紹介されていない何か価値のあるものを探し出し、それを二束三文で買い叩いて本国に持って帰り、一攫千金を狙うこと。
それ以外にはあり得ないという先入観が、彼の胸の中にはあったに違いない。

「俺が仕えている主人が、インドのピンク色の壁の町に、自分に仕えるべき運命を負った人間がいるという夢を見たんだ。その人物は、我が主人の積年の願いを叶えるために必要不可欠な力を持つ人間で、その人物を得ることで、我が主人は大いなる喜びを得る――。俺は その人物を探し出し、我が主人の許に連れ帰らなければならない」
ここがインドではなくアフリカだったなら、俺はジャイプルの宰相に、過酷な労働に耐え得る頑健な身体を持った奴隷を探しにきた奴隷商人と思われていたかもしれない。
今が19世紀でなく18世紀だったなら、姿形の美しいメイドを求めてインドにやってきた人身売買のブローカーと思われていたかもしれない。
ここが プランテーションの労働力として多くのアフリカ人奴隷が運ばれてきたインドだったから、今が 奴隷販売禁止の気運が高まっている19世紀だったから、俺はそんな誤解を受けずに済んだんだろう。
『人捜し』という俺の返答を聞いても、宰相は、俺が人身売買のために この国にやってきたのだとは考えなかったらしい。
奴は、全く別のことに引っかかりを覚えたようだった。

「夢? イギリス人は、我々より はるかに強力な武器を持ち、それゆえ自分たちを文明人だと信じ、インドの文化を侮っているのだと思っていたが……イギリス人もインド人と大差がないな。夢を信じて、人捜しとは」
宰相が、イギリス人とインド人の両方を憎み軽蔑しているような口振りで 言う。
ジャイプルの宰相が、武力に物を言わせてインドを支配下に治めたイギリスとイギリス人を憎むのは自然かつ当然のことだが、彼自身が統治している国の民を憎むのは奇妙なことだ。
黒髪の宰相は、見るからにプライドの高そうな男で――『欧州が 文明の片鱗もなく 野蛮人たちの闊歩する荒野に過ぎなかった4000年前、この地では高い文明が栄えていたのだ』くらいのことを考えていても不思議ではないように見えるのに。
俺は、宰相の態度を奇異に思った。
「イギリス人もインド人と大差がないとは、どういう意味だ」
イギリス人とインド人を等しく非科学的な非文明人だと言う宰相に、その理由を尋ねる。
宰相は、吐き出すように、自身の考えの根拠を俺に語ってくれた。

「この国では――インドでは、すべてを占いで決める。国の未来も、人の未来も。夢占いではなく星座占いで だがな。この城に、星座占いのための巨大な天体観測施設があることを知っているか」
「ああ、聞いている。先々代のマハラジャ、サワイ・ジャイ・シン2世が作った、極めて精密な観測機器だそうだな」
ジャイプルの巨大天体観測施設――ヤントラ・マンディル――のことは、俺も噂で聞いていた。
それらのものを作るために、ジャイプルの先々代のマハラジャ――当時、イギリスはまだインドの直接支配には及んでいなかった――サワイ・ジャイ・シン2世は 世界中から天文学の専門書を取り寄せ、研究を重ねたとか。
その努力と執念に、俺は(一応)敬意を表してみせたんだが、宰相は、先々代マハラジャの功績(?)を ほぼ無価値なものと考えているようだった。

「精密だが、時代遅れな代物だ。黄道12宮の星座の位置を そ確認できる観測器やら、高さが数十メートルもある離角度や視角度の測定器やら日時計やら、星の軌道を表わす線が縦横無尽に描かれた天球を模したドームやら――無意味にでかくて邪魔な玩具が全部で18基、このパレスの庭に鎮座ましましている。あれらの観測器は、確かに星の位置や運行を正確に把握できるが、欧州では、あんな大仰な計測器に頼らずとも、小さな天体望遠鏡一つで 同じ情報を即座に得ることができるそうではないか。あの観測施設は、言ってみれば、ネズミ1匹を退治するために、象を連れてきたようなものだ。同じことを、欧州では 小さな毒団子一つで済ませるというのに。あんなものを有難がっている奴等の気が知れん。夢で見たことを事実と信じ込むイギリス人も、俺には理解し難いがな」
ジャイプルの宰相は、夢占いも星座占いも信じない、ある意味 唯物論者的な文明人らしい。
そして 宰相は、夢占いなどという非科学的なものを信じる主人の命に従って わざわざインドまでやってきた俺をも軽蔑しているようだった。

「この国では、その巨大な星占いの道具で、国の行く末を決めるのか」
「そうだ」
文明人である宰相が、世界中の非文明人たちに苛立っているような顔で俺に頷く。
この男は、自分の現実的実際的な職務や政策を、星座占いに妨げられたことがあるのかもしれない。
だから こいつは非文明を憎んでいるんだろう――と、俺は察したんだ。
その推察は、全く的外れなものではなかったらしい。
まあ、正鵠を射たものでもなかったようだったが。
「そもそも、異国から流れてきた孤児にすぎなかった俺が この国の宰相になる羽目に陥ったのは星座占いのせいだ。今日、マハラジャが貴様に会うことを決めたのも占い師たち。まあ、マハラジャが貴様に会うのは星の導きだということにしておけば、マハラジャがイギリスの力に屈したことにはならず、王としての面目は保たれるから、この決定に関しては俺も異論はないがな」

確かに それは、ジャイプルにとっても、イギリスにとっても都合のいい占いだ。
この国では、占い師たちが為した占いの結果が 宰相の行動を制限し、その意思決定に優越するらしい。
宰相の憤りは至極尤もなものと、俺は奴に同情した。
が、そんなことよりも。
「星座占いで宰相になった?」
俺は、宰相のその言葉の方が気になった――驚いたんだ。
宰相が、更に苛立ちを募らせたように顎をしゃくる。

「この国では、子供が生まれると、誕生年月日、誕生時刻、誕生地を当局に届け出ることが義務づけられている。生まれた子供の誕生時の天体配置図を作成するのに必要な情報だ。俺が10歳になった時、王宮から迎えが来た。俺が この国で最も国を栄えさせる運命に生まれついた人間だと占いに出たとかでな。それまでの俺は 日々の食事にも事欠くような貧しい孤児だったんだが、その占いのせいで、俺は この王宮に連れてこられ、ここから一歩も外に出ることを許されず、厳しい教育を受け、それから6年後、正式に宰相に就任した。俺の意思など関係ない。問答無用だ。占いにそう出たんだからな」
「それは幸運だったな。宰相という地位は、国政の実務上では国のトップの地位なんだろう? なりたいと望んでなれるものじゃない。イギリスでは考えられない大抜擢だ」
俺は本当はイギリス人じゃない。
ただの騙りだ。
だが、だからこそ、俺には、流動性を大いに欠いたイギリスの階級社会の弊害が よく見えている。
占いの非科学性非論理性はともかく、一介の孤児が一国の宰相になり得るインドのダイナミックさは、俺には括目に値することだった。

「幸運?」
俺の感嘆を、だが、黒髪の宰相は鼻で笑いやがった。
「俺は、この国の王マハラジャに次ぐ地位にあり、貧しい孤児だった頃に比べれば夢のように贅沢な暮らしができている。この国の実質的支配者で、国民は皆、俺の命じる通りに動く。だが、俺に自由はない」
自由。
なるほど、自由ね。
人間というものは、つくづく 足るを知らない生き物であるらしい。
一国の王に次ぐ権力を持ち、贅を尽くした生活が保障されているというのに、更に自由までを求めるとは。
今現在 この男が手にしている地位と財が、この男が自らが望んで得たものではないという事実も影響しているのかもしれないが、だとしても、一国の宰相という地位は、多少の不自由を我慢するだけの価値がある地位だろう。
俺には、宰相の望みは かなり贅沢なものに思えるんだが、それは俺が今 自由な立場にある人間だからなんだろうか。
どうしても自由が欲しいのであれば、現在の地位を捨てればいいだけのことなのに、俺なら そうするのに、この男には そうする考えはなさそうだった。

「自由が欲しいなら、今の地位を捨てて、ここから逃げ出せばいいじゃないか」
「そうはいかん」
「宰相の地位が惜しいのか」
「惜しくはない。逃げ出すわけにはいかないだけだ」
「それは愛国心とやらのためか」
「愛国心? ふん。いや……そう、愛のためだ」
「……」

個々人の資質も考慮せず国政に関わる人事を星占いで決めるとは 乱暴極まりない話だ。
だが、占いがそう・・と示したからといって、おそらく学校にも通ったことのないような孤児を連れてきて 宰相の地位に据えるなんて、欧州では考えられない。
だが、その孤児は、今現在、極めて難しい状況にある藩王国の国政をこなせているんだから、占いは完全なハズレではなかったということになる。
実際、黒髪の宰相は無能な人間には見えなかった。
一介の孤児を宰相に育て上げるだけの教育体制が確立しているゆえに実現した現状なのであれば、それは すべての国民に公平に教育の機会を与え人材育成を図ることの有意義を物語るものだろうが、それでも人間の資質というものは無視できない要素だろう。
同じ教育を受けたからといって、その者たち全員が 宰相の職責を果たせるとは限らない。
この国は、国のために自身の自由を犠牲にすることに耐え得る人間を選んだのか、作ったのか。
義務と権利、個人と国。
なんとも判断の難しい問題だな。

いずれにしても、インド社会の仕組みは、欧州のどの国とも異なっている。
俺にわかったのは それだけで――だが、今の俺が それ以上のことを理解する必要はないだろう。
俺がわざわざイギリス人を装って、ギリシャ聖域から このインドまでやってきたのは、稀有な小宇宙を持つ者が この国にいるというアテナの言のため。
俺の同志同胞たるアテナの聖闘士を捜し出すため。
俺は、何よりもまず その務めを果たさなければならないんだ。






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