人のいいマハラジャは、王宮の庭の天体観測機器が一望できる部屋を、俺のために用意してくれた。
それは 欧州の有名ホテルの最上等の部屋なんかより はるかに豪奢な部屋だったんだが、俺はマハラジャが用意してくれた その部屋に あまり有難味は感じなかった。
というより、俺は、その部屋のバルコニーから眺められる光景に、さほど価値を感じることができなかったんだ。

広い庭に点在する星占いのための大仰な観測機器――というか、観測施設。
その中には、高さ30メートルに及ぼうかという階段つきの日時計やら、地面を何メートルも椀状に掘って人間がその上を歩けるようにした半球状の天体図やら、不必要に大きな子午線通過時間計測機やらがあったんだが、それらはすべて、日光のない夜間には何の役にも立たないものだったから。
星座を観測するための道具が、星空の下では役に立たないなんて、馬鹿げた話だ。
陽の光、あるいは陽光に匹敵する明るさを持つ照明がないと、それらはただの武骨なオブジェに過ぎない。
実に矛盾した話だと、俺は呆れずにはいられなかった。

本当にこんなところにアテナの聖闘士がいるんだろうか。
いるとして、その人物は、いったい どの星座の聖衣をまとうべく運命づけられた聖闘士なのか。
すぐそこに天体観測機器があるというのに、その見当もつかない。
すぐそこに天体観測機器があることが、かえって、俺を苛立たせていたのかもしれない。
何の役にも立たない巨大な玩具群のある庭を不機嫌に睨みつけていた俺は、そうして 気付くことになったんだ。

ほぼ真円の、星の光をかすめるほどに明るい月。
陽光には遠く及ばないが、観測機器の影を作るほどには明るい月の光。
その中に不気味な形をさらしている天体観測機器が19基あることに。
サワイ・ジャイ・シン2世が作った天体観測機器は18あると、俺は聞いていた。
あの宰相も そう言っていた。
その記憶に間違いはない。
18という数を聞いた時、俺は肉眼星数が18の星座があっただろうかと、そんなことを考えたからな。
なら、俺の数え間違いだろうか?
そう思って月光の中の観測機器の数を数え直すべく目を凝らした俺は、夜の庭を横切る一つの人影を見ることになった。

星空の下では何の役にも立たない、星座観測機器。
それらの間を縫って歩いている人影。
怪しむなと言う方が無理な話だろう。
当然 俺は怪しんだ。
人影は、観測機器が並んでいる庭園の北の端に建つ高塔に向かっていた。
18基ある観測施設から少し離れたところにある19基目の塔。
俺は それを19基目の天体観測施設だと思っていたんだが、もしかしたら そうじゃなかったんだろうか。

俺がバルコニーから庭に飛び下りて その人影を追ったのは、人目を忍んで夜の庭を行く人影に見覚えがあったから。
その怪しい人影が、占いがすべてを決める この国のありようを 俺に憤ってみせた宰相のそれに似ているように見えたからだった。
一国の宰相が、深夜といっていい時刻に、供の一人もつけないで いったいどこへ行くというのか。
もしや、自由を欲していた あの宰相は、その地位を捨てて自由を求め、この城を、この国を脱出しようとしているのか。
それは、あり得ないことじゃない。
だが――。
『逃げ出すわけにはいかないからだ』
あの男には、この城を出ていくわけにはいかない事情があるようだったのに。

いずれにしても、宰相の行動は奇異で、腑に落ちない。
俺は、宰相が逃亡を図ろうが、陰謀を企てようが、そんなことには興味はない。
そもそも俺はイギリス人じゃないし、ジャイプルの国情がどうだろうと、ジャイプルがどうなろうと――人間が人間界ですることには首を突っ込まないのが、聖域とアテナの聖闘士が守らなければならない不文律だ。
それは人間たちが自力で解決しなければならないことで、俺たちの戦いの相手は 人智を超えた邪悪のみ。
それでも、俺は宰相のあとを追わずにはいられなかった。
ジャイプルの国情には興味はないが、あの黒髪の宰相には興味があったから。
つまり、俺は、個人的な好奇心を抑えることができなかったんだ。
いっそ聖闘士にしたいくらい、攻撃的なあの男への好奇心を。

人影は、俺が19番目の天体観測施設だと思い込んでいた高塔の中に入っていった。
その塔は他の18基の観測機器から少し離れたところにあって、俺はそれを他の観測機器を俯瞰するための施設なのかと思っていたんだが、どうやらそうではなかったらしい。
塔には、そもそも他の機器を観察できるような窓がなかった。
少なくとも、他の観測機器を見渡すことのできる南側には。
怪しい人影――それは、やはり、あの黒髪の宰相だった――を追って入った奇妙な高塔。
中に入ると、そこには、地下に続く階段と、上の階に続く階段があった。
どっちだ?
宰相が 上と下のどちらに進んだのかはわからなかったが、俺がどちらに行くべきなのかは、すぐにわかった。
当然、上に向かう階段だ。
塔の内部には小宇宙が充満していた。
そして、その小宇宙は塔の上から下の方へと拡散していた。
俺が捜している人がここにいる。
俺の心臓は鼓動を速めた。






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