その塔には――塔の中腹には――部屋がなかった。
塔の壁に沿って どこまでも螺旋階段が続き、塔自体は巨大な吹き抜けになっていた。
塔の最上部と思われる高みまで階段を登り切ったところで初めて、一つの部屋と、その部屋に続く扉が現われる。
空気の入れ替えでもしようとしていたのか、扉は半分開いていた。
室内から、ひどく頼りない灯りが洩れている。
部屋の中央に、華奢な子供が一人。
塔の内部を満たしている強い小宇宙は、その子供が生んだもののようだった。

俺は、身を隠すことも忘れて扉の前に突っ立つことになったんだ。
その子に見付からないように扉の影に隠れることは無意味だったろう。
その子は――俺の小宇宙に気付いた。
「誰っ !? 」
侵入者は俺の方なんだから、その子の誰何すいかは自然かつ当然のもの。
本当は、同じことを、俺もその子に問いたかったし、そうすべきだったんだろうが、俺にはそうすることはできなかった。
その子が生む小宇宙に圧倒されて――。

「この小宇宙は何だ……」
その子の小宇宙は、アテナのそれに酷似していた。
温かさも、強さも、広さも、深さも。
アテナのそれと違うのは、それが神の生む小宇宙ではないと感じられること。
その子の生む小宇宙は、強大だが、ひどく不安定で、むらがあった。
それは、どう考えても、人間の生む小宇宙だった。

「なぜ 貴様がここにいるんだ」
突然 背後から人の声――宰相の声――が響いてくる。
彼は、いったん地下に下りてから、この塔を登ってきたらしい。
宰相を追いかけているつもりで、俺は いつのまにか奴の前を進んでいたんだ。
「兄さん……兄さんの知っている人?」
「兄さん……?」
鈴が鳴るような――その子の声と言葉を聞いて、俺は驚いた。息が止まりそうになるほど驚いた。

漆黒の髪、漆黒の瞳――自分から自由を奪った人間たちを憎み、野性の獣のように攻撃的で、傲慢で居丈高な印象を持つ宰相。
その宰相を『兄』と呼んだ不思議な子供は、宰相に似たところが一つもなかった。
宰相が夜なら、妹は朝。
宰相が凶暴な肉食獣なら、妹は他者に攻撃する術を持たない植物。
宰相が燃え盛る炎なら、妹は優しい微風。
二人は、あまりにも違う生き物に見えた。
歳の頃は15、6。
純白のインド綿のクルタを身に着けた その子供は、淡いピンク色を帯びた白いジャスミンの花にも例えたい、熟睡していた人間も一瞬で目覚めてしまうような 見事な美少女だった。






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