日が沈み、日中の暑さも和らぎ出した宵の口。
弓張り月だというのに、今夜もジャイプルの王宮の庭の上の月は 驚くほど明るかった。
マハラジャと、王宮付きの占い師たち30名超、ずらりと並んだ護衛の兵と、瞬の兄を始めとする役人たち。
全員 合わせれば250人くらいはいただろうか。
これだけいれば、証人の数は十分。
何が始まるのか知らされていない彼等は、自分たちが何のために そこに立っているのか わかっていない顔で沈黙を守っている。
彼等の前で、俺は、俺の恋を実らせるための大演説に取りかかった。

「貴殿等の不安を消し去るために、最初に結論を述べさせていただきます。尋常では考えられない この事態は、神の怒りではなく、星界からの忠告です。占いに慣れ親しみ、占いを日々の生活の指標としている貴殿等なら、星座占いはバビロニア発祥のものであることはご存じでしょう。それはやがてギリシャ式出生占術ヤヴァナジャータカとして体系化され、インドに伝わり、インド占星術が生まれた――」
イギリスの軍人が突然何を言い出したのかという顔で、皆が(特に占い師たちが)俺を見詰める。
奴等は俺に何か物言いたげだったが、俺は、委細構わず話を続けた。
「私は、イギリスの さる高貴な方のつてで この国にやってきましたが、実はギリシャから貴国の占いの誤りを正すためにやってきた占星術師です。当然、天文学者でもあります。貴国の偉大なマハラジャ、サワイ・ジャイ・シン2世が、この王宮の庭に天体観測施設を作ってから半世紀後、今から約20年ほど前、星座占いに大きな影響を及ぼすある出来事が星界に起きました。その出来事が、サワイ・ジャイ・シン2世の作った観測機器に ずれを生むことになった。おそらく貴殿等が 国民の出生時天体配置図を作る際に用いている現在の基本資料には10分から30分のずれがあります。そのずれは、星の歳差運動のために起こったものなのですが、最新型の望遠鏡での観察によって、間違いのない事実と確認されました」

澄ました顔で俺がそう言うと、占い師たちの間に ざわめきが起こった。
思うに、マハラジャや宰相の決定をさえ覆す権限を持った この占い師たちは、自分で物事を研究したり、自分で何かを生み出したことがないんだろう。
そして、自分がしていることに疑念を抱いたこともなかった。
こいつらは、既にある天体配置図に個々人のデータを当てはめて、それを占いの結果として提示することしかしたことがなかったんだ。
これが1キロの米が入る升だと手渡された入れ物に 何も考えずに米を入れて、これが1キロの米だと人々に言うことしか。
その升が、実は500グラムの升だったと俺に言われて、今 大いに慌てているわけだ。
30人の占い師たちが揃って狼狽する様は、なかなかの見物だった。

「まさか……。我々が使っている天体配置図は、1000年以上の長きに渡って使われてきたものだ。その間、星は、1分1秒のずれもなく 正確に その運動を繰り返してきたのだ」
「私は、それが誤認だったと言っているのです。とはいえ、もちろん皆さんには何の責任もありません。これは いわば、想定外の星の動きのずれによるもの。星が本来の軌道からずれた、イレギュラーな出来事です。1000年に1度――いや、5000年に1度 起きるか起きないかという、極めて稀有な出来事なのです。神ならぬ身の人間にはどうしようもないことでした」

自分たちに責任はないと言われ、占い師たちは安心したようだった。
そして、どうやら、俺を自分たちの味方だと認めるに至ったらしい。
味方どころか、奴等は俺を 自分たちを救いにきた救世主と思ったのかもしれない。
つくづく こいつ等は、“責任”という言葉の意味を知らない奴等だ。
それは決して、他人に押しつけるべきものではないというのに。

「貴殿等が信じられないのも無理のないこと。では、その事実をここで証明してみせましょう。おそらく、天なる存在は、そのために貴国の偉大な施設を凍りつかせたのです」
「証明とは、どうやって……」
この占い師たちには序列というものがあるんだろう。
だが、今は非常事態。
序列を無視し、長老たちを差し置いて俺に そう尋ねてきたのは、30人の占い師たちの中でもかなり歳の若い男だった。

「貴国に、16年前の9月9日、午前10時20分から30分の間に、北緯26度53分32秒、東経75度5分20秒の地点で生まれた人間がいるはずです。その人間に証明してもらいます」
俺の発言に、占い師たちの約半数が、その顔を強張らせた。
その半数が、俺が言った日時場所がこの国に災厄をもたらす者の誕生時・誕生地だということを知っている者たちというわけだ。
「おそらく、その人間は、誤った天体図によって、国に災厄をもたらす者と占われたはず。ですが、正しい天体図で占えば、その者は、この国を国難から救う救国の士と占われる。その人間なら、この凍りついた天体観測施設を救うことができるはずです。その人間は、この国を救うために生まれてきた者なのですから」

占い師たちは、俺の言ったことに疑念を抱いてはいないだろう。
抱くわけがない。
何といっても、俺の言い分を認めれば、自分の占いの誤りの責任をとらなくていいわけだからな。
悪いのは自分たちではなく、イレギュラーな動きをした星の方――というわけだ。
占い師たちの最長老らしき男が、マハラジャを差し置いて 兵に瞬を連れてくるように命じ、その命令は速やかに実行に移された。

「あの……これは いったい……」
塔の外――大地に立つのは、もしかしたら瞬は8年振りだったのかもしれない。
なぜ外に出ることが許されたのかを訝っているようだった瞬は、18基の数十メートル規模の天体観測施設が巨大な氷の棺に納められている様を見て、目をみはった。
そして、そこに俺がいるのを認め、嬉しそうな、だが当惑の混じった眼差しを俺に向けてくる。
俺は、瞬の側に歩み寄り、その耳許に小声で囁いた。

「説明はあとだ。瞬、融かせるな?」
「え」
「融けろと念じろ。おまえにならできる」
「で……でも……」
瞬の 心許ない様子に、俺は少々不安を覚えたんだ。
ほんの一瞬。
そんなのは全くの杞憂だったが。
黄金聖闘士にも融かせない(ことになっている)俺の氷の棺は、瞬に見詰められると 見る間に融け出して――この氷の棺には俺と同じ心が宿っているのかと、俺は疑いたくなった。
まあ、瞬に見詰められたら、絶対零度の氷も融けるし、数億度の炎だって ランタンの灯り程度に大人しくなるだろう。

「――ということです。この者は、この国を救うために生まれた者。国に災厄をもたらす定めを持つ者ではない」
俺の詐欺で詭弁の大嘘の大演説は、その結論を告げるためのものだったんだが――占い師たちは 肝心の結論を ろくに聞いていなかった。
瞬が国に災厄をもたらす者ではないということが証明されるなり、奴等は浮足立って 大騒ぎを始めやがったんだ。
「何ということだ。すぐに 全国民の出生時天体配置図を見直して、本物の災厄者を探し出す作業に取りかからなければ」
とか何とか わめきながら。
本当に こいつ等は“責任”という言葉の意味を知らない奴等だ。
責任っていうのは、自分の為した言動に対して自分が負うもの、他人に押しつけるものじゃない。
占い師たちは、瞬の次の犠牲者を――要するに、自分たちの誤りの責任を転嫁する相手を――探す算段を始めていた。
瞬に詫びも入れずに。
俺はむかむかしながら、王宮の中に戻ろうとし始めた占い師たちを引き止めたんだ。

「待て。その必要はない」
「その必要はない? しかし、国の災厄を引き受ける者がいないと、いざという時――」
いざという時、責任転嫁できる人間がいないと、あんた等が困るのか?
そう言ってやりたかったさ、俺は。
目一杯 嫌味たらしく。
だが、その衝動を、俺はかろうじて耐えた。
一時の感情で本来の目的を見失うことはできない。
俺の目的は、不愉快な奴等をやり込めることじゃないんだ。

「まず、誤解のないように。正しい天体図を用いれば、占いが外れることはありません。何度も繰り返しますが、これは、貴殿等の誤りでもなければ、星座占いの無効を訴えるものでもない。サワイ・ジャイ・シン2世が作った この巨大な天体配置図も、黄道座標と赤道座標を少々ずらせば これまで通りに使い続けることができます」
こんな奴等の立場を守るために 働いてやらなければならないとは腹立たしい限りだが、それもこれも すべては瞬のため、瞬の自由を取り戻すため、俺の恋を実らせるため。
そのために――絶対に無責任な馬鹿共のためじゃないぞ――俺は俺の演説を続けた。

「今回の誤りが生じたのは、星のイレギュラーな動きのせいです。そして、これからも そういうことは起こり得る。だが、それが1年後に起きるのか1000年後に起きるのかは誰にもわからない。星は――天体図は刻一刻と変化するのです。占いの正確を守るためには、毎日北極星の位置を確かめ、正確な星の運行を把握し、新しく生まれる星、寿命が尽きて消えゆく星を確かめなければなりません。私は、そのための道具を持参しました。欧州で使われている天体望遠鏡です」
「テンタイボウエンキョウ? これがそうなのか?」
俺が その場に運んできていた望遠鏡に、マハラジャが興味深げな視線を向けてくる。
どんな星が天にあるのかにも、星座占いの起源や歴史にも、自国の民が何年間も理不尽を強いられていたことにも関心がなく、俺の大演説も上の空で聞いていたマハラジャは、だが 見慣れぬ奇妙な品物には興味津々らしい。
占い師たち以上に無責任な王への腹立ちを押し隠しつつ、俺は早速 最新式の全長1メートル超の大型反射望遠鏡で、マハラジャに宵の明星を見せてやったんだ。
サワイ・ジャイ・シン2世と違って 天文学を学んだこともなく、占い師たちが提示してくる占いの結果を承認することしか したことがなかったマハラジャは、手をのばせば掴めそうなほど近くに見える金星の姿に驚いて、子供のような歓声をあげた。

マハラジャが新しい玩具に浮かれ 歓声をあげている隙に、俺は占い師たちの最長老らしき男に こっそり耳打ちしてやったんだ。
「占いが外れたら、星に不規則な変化があったと言えばいい。マハラジャにあの望遠鏡を覗かせて、適当な説明をすれば、マハラジャはすぐ 説得されるだろう。すべては星の気まぐれのせいだということにすれば、責任を押しつける人間は不要になる」
都合の悪いことが起こるたび その責任を瞬に押しつけて、自分で責任を取ることに慣れていない占い師たちは、俺の卑劣な提案に不快感を示してこなかった。
奴等の心は、態度に出さないだけで、金星の姿に興奮しているマハラジャより浮かれていたに違いない。
占い師たちが 俺の卑劣な提案を受け入れるつもりでいることを確認すると、俺はさっさと この茶番を終わらせることにした。

「私は私に課せられた務めを果たすことができました。ジャイプルに星の祝福あれ。マハラジャ、今宵は この美しい星の界と、サワイ・ジャイ・シン2世の偉業の復活を讃える祝宴を催されてはいかがか」
「おお、それは良い考えだ。貴殿と 貴殿が私に贈ってくれた望遠鏡を主賓に、盛大な宴を――」
俺が贈った望遠鏡、ね。
俺はそれを貴様にくれてやるとは、まだ言っていないぞ! ――と言うのは我慢だ、我慢。

「いや、私は遠慮しましょう。私の中に今あるのは、自分の務めを果たし終えた安堵と、重要な知らせを貴国に知らせるのが遅れた申し訳なさだけです。せめて、あと10年早く知らせることができていれば、この者も誤った占いに人生を翻弄されずに済んだでしょうに……」
貴様が無能で無責任な王だったせいで何が起こったのか、瞬がどれほど つらい思いをしたか、少しは反省しろと、嫌味のつもりで俺は そう言ったんだが、王は俺の言葉を言葉通りに受けとめて、遅れてきた俺が悪いのだと考えたらしい。
マハラジャは、厚顔にも、
「あまり自分を責めぬように」
と、俺に王らしい慈悲を示してきやがった。
今度は この男を氷の棺に閉じ込めてやろうかと本気で思ったぞ、俺は。
まあ、マハラジャの無責任は 今の俺には都合がよかったから、俺はその慈悲を有難く受け入れたが。

「すべては私の遅参が招いたこと。私は、私の遅参のために いわれのない汚名を耐えてきた この者に事情を説明し、詫びたい。この者に自由を許してよろしいか」
「それは無論。占い師たちも異存はあるまい」
異存? そんなものがあるなら、言ってみろ!
――と言葉にはせず、俺は占い師たちを ぐるりと見回した。
もちろん、確実な責任逃れの術を手に入れて欣喜雀躍している奴等から、“異存”は一つも出てこなかったがな。

「もう貴国は大丈夫です。占いは正確なものに正されるでしょう。とはいえ、星は気まぐれなもの、時に思いがけぬ動きを見せて、占い結果に誤りを生じることもあるかもしれません。が、誤りは正せばいいだけのこと」
「そ……そうか。私は星のことはよくわからないのだが、ともあれ、父祖の観測施設が守られてよかった。望遠鏡も手に入ったし、もう何も心配することはないのだな」
「そうです。何も心配はいりません」

保障と安心を求めるマハラジャに、俺は無責任にも太鼓判を押してやった。
それは本当に無責任な“口から出まかせ”というやつだったんだが、俺は罪悪感なんか これっぽっちも感じなかった。
マハラジャはこの国の王だ。
王の権利として、贅沢な生活を享受している。
ならば、国の王として国政の責任を負うのもマハラジャであるべきだ。
それは瞬の仕事じゃない。
マハラジャが王としての権利を放棄して逃げ出したら、その責任は、この男にマハラジャの地位を許したイギリスが負うべきだろう。

そう、今 このインドを支配しているイギリスが。
『権力や地位の保持には責任が伴う』
『貴族が義務を負うならば、王族は より多くの義務を負わなければならない』
いわゆるノブレス・オブリージュの思想が一般化しているイギリス。
万一の時には、イギリスが その誇りにかけて正しい対応をするだろう。
それが支配者というものだ。
もしイギリスが正しい対応をしなかったなら、イギリスはインドの支配権を失うだけ。
それが当然。そして必然。
ジャイプルが、インドが、イギリスが、世界が、運命が どう動くのか、俺は聖域で瞬と仲良く見守っているさ。






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