『競技種目は何でも構わない』 それが彼等のスタンスだった。 野球、サッカー、バスケットボール、ラグビー等の団体競技でも、陸上、競泳、柔道、剣道、テニス等の個人競技でも。 やれと言われれば、ゲートボールだろうが、カバディだろうが、何でもするし、できる。 それが どんな競技でも、たかだか高校生がアマチュア精神にのっとって競う競技で、自分たちが人に後れをとることは絶対にない。 なにしろ こっちは生活が――つまりは命が――かかっているのだ、というのが。 “彼等”は、グラード学園高校のスポーツ特待生。 親はなく、中学までは児童養護施設から公立の学校に通っていた。 今は、学校法人(つまりは私立の)グラード学園高校の敷地内にある寮を自宅にしている。 学費、寮費は全額免除――正確には、グラード学園高校理事会から給付される奨学金で相殺。 その代償として、何らかの競技で(学園側はメジャーな競技を望んでいた)全国大会に出場し、優勝し、日本一の名誉と栄光を学園のために得て、グラード学園高校の名を全国に知らしめる。 表向きはどうあれ、それが彼等の義務だった。 もっと あからさまに言えば、“仕事”だった。 そうして その後、大学に進学するにしても、プロになるにしても、スポーツ以外の分野に進むにしても、大人の情けにすがらず頼らず、自分の人生を 自分の意思にだけ従って生き抜いてみせる。 それが彼等の決意であり、目的であり、必ず実現する予定の未来の姿だったのである。 幸い、彼等には生来の才能があり、また、体躯にも恵まれていた。 とはいえ、スポーツというものが人間の本能ではなく、人間が定めた規則にのっとって行われるゲームであるからには、天賦の運動能力や体躯だけで勝利を掴めるわけがない。 天に与えられたもの以上に、彼等は努力をした。 それこそ、血の滲むような努力を。 すべては、親のない子供が人生の敗北者、社会の敗残者にならないために。 彼等がその決意をしたのは、彼等が小学校に入る以前のことである。 彼等が身を寄せていた児童養護施設の責任者が変わり、そのために彼等の生活が一変した時。 新任の所長は ひどく暴力的な男で、しかも、自治体から交付される施設の維持運営費を 当然のごとくに搾取着服した。 経費節約の名目で、施設の職員の数を減らし、平然と 子供たちの食費までを減らしてのけた彼のモットーは、『子供は、生かさず、殺さず』。 実際に、彼の所長就任後、施設の子供たちは“生きている”とは言い難い生活を余儀なくされた。 そんな日々の中で、もともと身体が丈夫ではなかった一人の子供が肺炎で命を落とした。 享年 僅か3歳。 所長が その子供を医者に診せなかったのは、そうすることによって子供の栄養失調の事実が外部の人間に知られることを避けるため。 そんなことになっても 所長はいかなる責めも負わされず、哀れな子供の死が“回避不可能な不幸”で片付けられた時、彼等は現実というものを思い知ったのである。 愛し守り庇ってくれる親のない子供は、大人たちの気持ち一つで生かされもし、殺されもする。 子供の意思など無いも同然。 恵まれない者に対して、社会が いかに非情過酷なものであるかを身をもって知った彼等は、自分たちは人生の敗者にはなるまいと、幼な心に決意した。 いわゆる“成功者”というものの生き方を見て、大人たちの意思に左右されることなく生きていける存在になる道を模索し、最終的に、自分たちの唯一の財産である肉体を資本として 自分たちの命と尊厳を守る道を見い出したのである。 同じ誓いを誓い合った、星矢、紫龍、氷河、瞬、一輝の5人の中で、瞬だけが スポーツ競技ではなく 学業で身を立てる道を選んだのは、人と争うことが嫌いな気質と、知識をもって仲間たちをマネージメントできる者がいないと、いかに才能に恵まれた者でも勝利者・成功者にはなれないという現実的な事情を勘案してのことだった。 スポーツ競技を一つ ものにするにも、効率的なトレーニング方法の知識が必要であり、他を制して勝利を得るには 勝つための技術を知っていなければならない。 スポーツは、“心”“技”“体”、そして“知識”の4つが揃って初めて“ものになる”のだ。 そうして得た成果を 力や財に変えるにも“知識”“情報”に基づいた交渉力が必要になる。 現代社会は、情報弱者は損をするようにできているのだ。 法律を知らない者は、好んで自分を窮地に追いやっているようなもの。 馬鹿は馬鹿を見るのが、社会というものなのである。 仲間たちの進学する高校をグラード学園高校に選んだのも瞬だった。 特待生制度のある学校の情報を集め、調べ、奨学金や待遇、理事会の運営方針、リスクとリターンを考慮して、徹底した成果主義・実力主義を採用し 理事会の意思決定がスムーズな学校を選んだ。 瞬は、仲間たちの運命を決するといっていい その選択を 中学在学中に行ない、彼の仲間たちは瞬の決定に賛同したのである。 そうして――これまでは、ほぼ計画通り。 彼等は幼い頃に思い描いた、“大人の意思と利害に左右されない人生の実現”に ほぼ成功していた。 むしろ、大人の意思や利害を利用して、自分たちの自由を獲得していた。 大人や社会に虐げられないこと――大人に暴虐を許さない方法は、考えてみれば簡単なことだった。 自分たちが 大人にとって価値のあるものになればいいのである。 よほど愚かな人間でない限り、金の卵をどぶに捨てたり、金のなる木を切り倒したりする大人はいない。 我が身に価値を持たせること。 それが 大人に勝つ唯一の方法である。 彼等は、そのための努力をした。 生きるための目的がはっきりしていて、その目的のために努力することができ、信頼できる仲間がいれば、人は(子供でも)大抵のことができる。 道を誤ることもない。怠けることもない。 つらい時には、仲間が励まし、慰撫し、時には叱咤もしてくれる。 恵まれた環境にあるために、耐えることも努力することも知らず、それゆえ自分というものの存在意義を知らず、何者にもなれずにいる者たちに比べれば、自分たちは よほど幸福なのではないかとすら、彼等は思うようになっていた。 彼等には、明確な生きる目的があったのだ。 仲間のために 生きることが、自分のためになる。 自分のために 生きることが、仲間のためになる。 自分は孤独ではない。 そう思えることが彼等を強くし、彼等の生を充実させた。 |