そんなふうに、すべては予定通りに進んでいたのである。

目的は明快。
そのために努力することは喜び。
乗り越えることが困難な壁に出会った時には、仲間が力を貸してくれる。
仲間のために 生きることが、自分のためになる。
自分のために 生きることが、仲間のためになる。
自分は孤独ではない――。
一つの誓いを誓い合った5人の前途は洋々たるものだった。
そう見えていた。

事件が起こったのは、そろそろインターハイの地区予選が始まるという7月の後半。
それは、彼等にとっても飯の種を奪われるような重大事だった。

「暴力沙汰? 怪我? 何だよ、それ!」
理事長室から戻ってきた瞬の口から、思いがけない言葉を聞かされて、星矢は辺りに巣頓狂な声を響かせたのである。
寮のラウンジには 今は特待生4人以外の生徒はいなかったのだが、そこが他の寮生も自由に出入りできる場所だということを思い出し、すぐに声をひそめる。
「暴力沙汰って、誰と誰がだよ」
「高体連事務所に投書があったんだって。氷河が、他校の生徒に怪我をさせたって」
「いつ! どこで! 誰に!」

瞬を問い質す星矢の口調が、なぜか妙に調子よく歯切れのいいものになる。
星矢は別に、事件発生を喜んでいるわけではなかった。
それが あまりに思いがけないことだったため、文章を作れないほど動転し、単語を羅列することしかできなかっただけで。
星矢とは対照的に頼りなく あやふやな口調で、瞬が呻くように言う。
「よく わからないんだけど、多分、半月前のことだと思う……」
「半月前? 『のことだと思う』? おまえ、その時、氷河と一緒にいたのかよ?」
「あ、うん……。二人で ちょっと外出した時に、変な人たちに絡まれたんだ。あの人たち、とても高校生には見えなかったけど、そうだったのかな……」

隠し事を抱えている人間のように、偽証を強要されている被告人のように、瞬の答えは、ひどく不明瞭で歯切れが悪い。
そんな瞬の返答に焦れたように、暴力事件を起こした(ことになっている)当人が、明瞭かつ端的に、その時の状況を仲間たちに説明してくれた。
「瞬とデートをしていたら、不細工で馬鹿そうな奴等が絡んできたんだ。だから、すみやかに お帰り願った」
「瞬とデートぉ !? 」
“不祥事”より更に一層 思いがけない言葉を聞かされて驚いた星矢が、鸚鵡返しに その言葉を繰り返す。
瞬が慌てた様子で、氷河と星矢の間に割って入ってきた。

「ち……違うよ! 星の子学園の子たちを引率して、商店街の夏祭りに行っただけ。駅前の広場に大きなテントを張って、お化け屋敷をやってたの。あの子たちが、一度 お化け屋敷に入ってみたいっていうから。恐がって 星の子学園に残った子どもたちのために お土産のアイスを買って、戻ろうとしてたときだよ。大通りを曲がって、人通りの少ない通りに入ったら、どこからか変な人たちが5、6人 湧いてきて――」
「ガキ共の引率は名目で、俺は おまえとデートをしていたつもりだったが」
「もう、氷河は黙っててってば!」
「おまえら……」

真っ赤になって氷河を黙らせる瞬を見て、星矢は青ざめてしまったのである。
これは、捨て置けない事態だった。
「おい、まじかよ……」
血の気の引いた星矢の頬を見て、瞬が いたたまれない様子で頷く。
「その人たち、氷河に乱暴されたせいで怪我をしたって言ってるんだって。高体連事務所に、病院の診断書を8人分 送りつけて、治療費を請求する――って」
「はめられたんじゃないか? そんなもの、氷河個人か、うちの学校に送りつければいいものを、わざわざ高体連事務所に送るなんて、不自然に過ぎる。そもそも“5、6人の変な人たち”がどうやって8人に増えるんだ」

紫龍の疑念は、瞬の疑念でもあった。
彼等はなぜ、高体連事務局にそんなものを送りつけたのか。
その点を考慮すると、いつのまにか怪我人の数が増えているのも、怪我の治療費を脅し取るためとは思えない。
彼等が欲しいのは金銭ではなく――彼等は、おそらく この暴力事件を大ごとにしたいのだ。
となれば、当然、この件は治療費を払うことでは解決に至らないことになる。
瞬は、眉を暗く曇らせた。
もちろん、この事態を憂えているのは 瞬と紫龍だけではない。

「そいつら、別に 死んだわけじゃないんだろ? なら、んなこたどうでもいいって。んなことより、瞬とデートなんて、氷河、おまえ、一輝に知れたら、殺されるぞ!」
「星矢。これは、相手が死んでいなければいいという問題じゃない。心配するポイントがずれているぞ。これが氷河に非のある暴力事件とみなされて、氷河のインターハイ出場が認められなくなったら どうするんだ」
「へ……」
何事も、命あっての物種。
案じるべきは、生きているチンピラの命より、これから殺されることになるかもしれない仲間の命。
そういう考えでいた星矢は、これが命の有無とは全く次元の違う問題をはらんだ事件だということを知らされて、瞬時 間の抜けた顔になった。

「子供たちがいなかったら、僕と氷河だけで さっさと逃げてたんだけど……。あの人たち、確かに 計画的だったのかもしれない。なんていうか――氷河を怒らせて、氷河に先に手を出させようとしていたような気がする。子供たちを盾にして、その……僕に変に絡んできて、変なこと言ったり――」
「変なこと?」
「俺たちと付き合わないかとか、そんなこと」
「あの馬鹿共は、俺より自分たちの方が瞬を満足させてやれるとか何とか、ふざけたことを ほざきやがったんだ。身の程知らずにも 程がある……!」
その時のことを思い出したらしい氷河が、眉を吊り上げ、吐き出すように言う。
瞬の兄と違って、相手が取るに足りないチンピラだからこそ――そんな輩に侮辱された氷河の腹立ちは 激しいものになるのかもしれなかった。

「そりゃ、氷河が切れても仕方ないだろうけど……」
「子供たちを巻き込んで、証言させるわけにもいかないし――多分、彼等の内の何人かが怪我をしたのは事実だよ。でも、元はといえば、あの人たちが訳もなく絡んできたのが悪いんだよ。自分たちに非のあることを、どうしてこんなに堂々と公にできるの。彼等は、自分たちが虚偽告訴や脅迫の罪に問われる可能性を考えていないの……」
瞬は、彼等の無謀で軽率な振舞いが信じられなかった。
チンピラたちの無謀を信じられずにいる、いってみれば常識というものを持ち合わせている瞬に、紫龍が気の毒そうな視線を向けてくる。

「まともな計算のできない奴は、世の中には五万といる。気に入らない者を破滅させられるなら、自分が損をしても構わないと考える者たちだな。自分の利害だけを考える輩の方が、はるかに扱いやすい」
「……そうだね。いくらでもいたね」
優しさ、愛、思い遣りといった事柄だけでなく、常識や道徳、損得等の意味すら知らないような振舞いをする大人たちは、瞬たちが以前いた養護施設の内にも外にも いくらでもいた。
正義や道徳、他者への思い遣りといったものが、教育の目標に掲げられている学びの園での生活に どっぷりと浸っていたせいで、瞬は冷酷で非情愚劣な大人たちの世界のことを忘れかけていた――のかもしれなかった。

「内々で済ませるのは無理そうだな。処分を決めるのは高体連だ。氷河がもしインターハイ出場停止になったりしたら、氷河が特待生でいられるかどうかも怪しくなる」
「ん……。うちの理事長は、こういうことで圧力をかけたり、隠蔽工作をしたりするのは嫌いだから、すべてを高体連の判断に任せると思う」
紫龍と瞬のやりとりを聞いて やっと、星矢も事態の深刻さを認識するに至ったらしい。
幼い頃に、皆で誓い合った誓い。
その誓いの維持と実現の危機に、自分たちは直面しているのだ――と。






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