「この お二人なんだ。明日、僕が会いたいのは」
“鈴木さん”と“田中さん”の真面目で誠実な人柄を示すことで、氷河に 明日の外出の許可を得ようとした瞬の苦労(?)は報われた。
つまり、瞬は無事に目的のものを手に入れることができたのである。
「まあ、いいんじゃないか。企画が具体化して、人手が必要だったら 俺も協力しよう」
という、氷河からの外出許可を。
「あ、ありがとう! じゃあ、明日、僕、ちょっと行ってくるね!」

瞬は、氷河が町内会活動の有意義を認め、“鈴木さん”と“田中さん”に好感を抱いたから 外出許可を発行する気になったものと思っているようだったが、実はそうではないということが 星矢にはわかっていた。
町内会のサイトに自己紹介文を載せていた“鈴木さん”のフルネームは鈴木真里、“田中さん”のフルネームは田中美貴。
氷河は、町内会活動の有意義を認め、“鈴木さん”と“田中さん”に好感を抱いたから 瞬に外出許可を発行する気になったのではない。
昨日 仲間たちの前で『自分は、瞬の自由と自立を認めている』と言った手前、瞬にそれを与えたのでもなく――氷河は、町内会のサイトの自己紹介文に寄せられていた二人の名前を見て、瞬に外出許可を与えたのだ。
氷河の表情を窺い、その視線の動きを追っていた星矢には、それがわかった。

そして、星矢にとって、その事実は、氷河が瞬の外出を制限することより 興味深い事実だったのである。
「マリちゃんにミキちゃんね。氷河、おまえは 瞬が会う相手が女だったら、奉仕の精神にあふれた人徳者でも、焼きもち発動させないのかよ」
星矢が興味津々の(てい)で そう尋ねると、
「女に焼きもちを焼いても始まらん」
氷河は、意外や あっさり その事実を認めてきた。
これは実に全く興味深い現象である。

「瞬は一応 男だぞ。普通は 女に取られることの方を心配するもんじゃないか? おまえの焼きもちって、ほんっと よくわかんねーな」
氷河は、自分の判断と言動に矛盾はなく、特段おかしなところもないと考えているようだったが、星矢には、氷河の対応は矛盾にまみれているように思われた――思えてならなかった。
もともと瞬の性的志向はノーマルである。
氷河に強引と言っていいほど積極的に迫られ、その熱意、もしくは迫力、もしくは脅し――に負ける形で、瞬は氷河と わりない仲になった。
となれば、嫉妬心が強く 独占欲の塊りのような男が 何よりも案じ 防がなければならないのは、瞬を女性に奪われることのはずである。
にもかかわらず、氷河の焼きもちは女性に対しては発動しないらしい。

こういう焼きもちの焼き方、氷河の妬心のあり方を、瞬は いったい どう思っているのか。
ちゃんと(?)『氷河はおかしい』と考えているのか。
その点を確認するために、星矢は瞬の方に視線を巡らせた。
そこにあったのは、星矢の期待通りに、この事態に得心できないでいるような瞬の顔。
しかし、残念ながら、瞬が引っかかっていたのは、氷河の焼きもちの内容ではなく、星矢が口にした言葉の方だったらしい。
『氷河(の焼きもち)は おかしい』ということに関して合意を得られるものと思っていた星矢に、瞬が、
「ねえ、星矢。『一応 男』って、どういう意味?」
と尋ねてくる。
「えっ? あ、いや、それは その……」
どうやら 自分が、藪を突いて蛇を出してしまったらしいことに気付いて、星矢は大慌てに慌てたのである。
だが、『一応 男』の説明を求められても、星矢には答えようがなかった。
まさか、『一応 男』の前に『どう見ても、女の子だけど』という前置きを省略したのだと、本当のことを言うわけにはいかない。

星矢は、わざとらしく 視線をあらぬ方向に泳がせ、
「あー、町内会な。大事だぜ、町内会」
とか何とか、意味のないことを口にして、瞬の追求を逃れようとした。
星矢の失言を、瞬が見逃してくれたのは、星矢の発言の意図を追及しても、それこそ意味がないと、瞬が判断したからだったろう。
一瞬間だけ、軽く星矢を睨んでから、瞬は話題を変えた。

「いつもなら、町内会のミーティングは区役所の会議室を借りてするんだけど、明日のミーティングは、若手三人だけの事前相談だから、駅前のカフェでやろうって。今、その お店、夏のフルーツフェアを開催中なんだけど、そろそろ終わりが近付いてるから、そこで ピーチパフェやイチジクタルトを食べながら話し合おうっていうメールが来たんだ」
『一応 男』発言への憤りを忘れたように、にこにこしながら そう言う瞬を見ているうちに、星矢の中に 素朴な(しかし、重大な)疑問が生まれてくる。
その疑問を解明せずにはいられなかった星矢は、考えようによっては『一応 男』発言より危険な質問を、瞬に投げかけてしまったのである。
すなわち、
「マリちゃんミキちゃんは、おまえが男だって知ってんのかよ」
という質問を。

瞬は、
「もちろんだよ!」
と即答してきた。
「春に、町内の未就学児のお父さん お母さんたちの親睦を図るために、イチゴ狩りのイベントをしたことがあったでしょ。あの時、鈴木さんと田中さんも、お勤め先のNPO法人主催のイベントのお手伝いで同じイチゴ農園に行ってて、その時 僕を見掛けたんだって。参加者の世話で手が離せなくて声は掛けられなかったけど、顔は憶えてるから、お店で見付けたら 声をかけるって、メールに書いてあったもの」
「……」
星矢が我知らず唇を引き結んだのは、今 瞬に何かを言ってしまったら、自分は瞬を怒らせることしかできないと考えたからだった。

「夏のフルーツフェアでピーチパフェやイチジクタルトを食べながら――とは、まるで女子会の乗りだな」
星矢が作った沈黙の間隙を埋めるように、紫龍がそう言ったのは、星矢が沈黙で隠した本音を、紫龍は言葉で覆い隠そうとしたからだったろう。
要するに、星矢と紫龍は、『おまえは絶対に、鈴木さんと田中さんに、女の子だと思われている』と言うことができなかったのである。
彼等は、藪を突いて 出した蛇を、コブラやハブに変身させたくなかったのだ。
猛毒を持つ蛇に噛まれる事態を避けるため、彼等は 彼等の本心を ひた隠し、
「めでたく、氷河の許可も出たことだし、頑張って いいプランを練ってきてくれ」
と言って、瞬を激励することしかできなかった。






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