翌日、瞬が 鈴木さんと田中さんとの待ち合わせ場所に向かったのは 午後2時半過ぎ。まもなく おやつの時刻という頃だった。
「やっぱ、心配だぜ。瞬がマリちゃんミキちゃんの誤解を知って ショックを受けて落ち込んでたら、それを慰めてやるのは 瞬の仲間の務めだよな」
そう言って、野次馬根性丸出しの星矢が 瞬のあとを追って城戸邸を出たのは、きっちり3時、おやつの時刻。
その星矢が一向に帰ってこないことを懸念した紫龍が城戸邸を出たのが、その1時間後。
駅前の“フルーツ & スイーツの店 シェ・チューリップ”の前に 顔を強張らせて突っ立っている星矢の姿を、紫龍が見付けたのは、それから更に15分が経ってからのことだった。

『夏のフルーツフェア開催中』というメニュープレートが出入り口の脇に出ている その店は、歩道に面した壁が 透明なガラスと水色の磨りガラスを格子状に組み合わせたガラス張りになっていて、外から店内の様子を確認できる造りになっていた。
その店内の一点を見詰め、星矢が蒼白になっている訳を、紫龍はすぐに理解したのである。
店のフロアのほぼ中央にある丸テーブル。
瞬と同じテーブルに着いているのは、二人の若い男だったのだ。

紫龍が城戸邸を出たのは、星矢が城戸邸を出てから1時間後。
まさか1時間の長きにわたって、星矢は ここに突っ立ち、瞬が見知らぬ男たちと笑顔で歓談している様を、芸もなく眺めていたのだろうか。
だとしたら、星矢は いつにない辛抱強さを発揮したといえる。
そんなことを思いながら、紫龍は星矢の肩に声をかけた。

「瞬が、若い男といるようだが、これはどういうことだ?」
「俺の方が聞きてーよ! 瞬は、年上のお姉様二人と会うんじゃなかったのかよ!」
背後に仲間がやってきていたことに気付かないほど自失していたわけではなかったらしい星矢が、紫龍の声に驚いた様子もなく、あまり大きくない怒声を返してくる。
瞬が若い男と同席しているからといって、星矢が腹を立てる いわれはないのだが、こういう場面を目撃することになった星矢が上機嫌でいられない気持ちは、紫龍もわかるような気がしたのである。

嘘のつき方など知らないような瞬が、嘘をついていた。
瞬は、仲間たちの前で堂々と嘘をついた。
それが 手っ取り早く氷河から外出許可をもらうために必要な嘘だったというのなら、それはそれでも構わない。
だが、そうであるならば、せめて氷河以外の仲間たちには 本当のことを言っておいてくれてもいいではないか――。
星矢は、瞬の事情は理解しつつも、結果的に 自分までが瞬に嘘をつかれてしまったことに 釈然としないものを感じているのだ。
とはいえ、基本的に瞬の味方である星矢は、どちらかといえば、瞬の水臭い嘘よりも、瞬に嘘をつかせた氷河の狭量の方に、より大きな非があると考えているようだったが。

「瞬の奴、やっぱ、氷河の焼きもちが鬱陶しくて、こんな嘘をついたのかな……」
「それはまあ……口では、瞬の自由を尊重していると言いながら、氷河は口出しすべきでないところにまで口出しをしているからな」
「瞬が浮気してるとは思わねーけど、でも、あの瞬が嘘をついてまで――」
「氷河が知ったら、大変なことになるな」
「えっ」

瞬が仲間についた嘘。
瞬に嘘をつかせた氷河。
そんなことばかりに気を取られ、星矢は、その可能性にまでは考えを及ばせていなかったらしい。
氷河以外の男と会うために、瞬が嘘をついた。
“事実”はそれだけなのだ。
しかし、その“事実”を、あの独占欲の強い氷河が知ったら どうなるか。
星矢は、巨蟹宮の壁に浮かび上がる無数の死人たちの顔を踏んづけてしまった時よりも、ぞっとしてしまったのである。

「な……内緒にしとこう。俺たちは何も見なかった。もちろん、夏のフルーツフェアも覗かなかった。お……俺は まだ死にたくねー。それも、オトコの焼きもちの巻き添えなんかで……!」
それは、紫龍とて同じこと。
男同士の恋愛における嫉妬などのためにアテナの聖闘士が命を落とすようなことになったなら、それは末代までの恥。
神話の時代から続く聖闘士の歴史に、我が身で恥辱の歴史を刻むことになる。
「う……うむ。瞬は 町内会の活動に熱心なだけで、決して浮気をしているわけではないだろうしな。これは わざわざ氷河の耳に入れるほどのことではあるまい」

論語に曰く、
『礼にあらざれば見るなかれ。礼にあらざれば聞くなかれ。礼にあらざれば言うなかれ。礼にあらざれば行なうなかれ』
そういうわけで、星矢と紫龍は、孔子の教えに従い、この件に関しては『見ざる、聞かざる、言わざる』を通すことを固く約し、強張った顔と心で城戸邸に帰還したのである。
――のだが。

こっそり城戸邸に帰還したところを、不運にも氷河に見付かり、その こそこそした様子を不審に思ったらしい氷河に、
「なんだ、おまえら」
と問われた星矢が、
「いや。俺たちは別に、瞬がおまえに隠れて男と会ってたとこなんて見てないぞ」
と答えてしまったのは、はたして『見ざる、聞かざる、言わざる』の誓いを守ったことになるのか、破ったことになるのか。
いずれにしても、星矢に そんな間抜けな言葉を吐かせたものは、『瞬の嘘を 氷河に知られてはならない』という気持ちが強すぎたから。
そして、『見ざる、聞かざる、言わざる』の戒めを 星矢が意識しすぎていたからだったろう。






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