Shun Mania






立秋が過ぎても涼しくならないのは例年のこと。
それでも季節は少しずつ秋に近付いている。
立秋は とうの昔にすぎているのだから“気が早い”とは言えないだろうが、城戸邸の庭のあちこちでは 早くも秋の虫が にぎやかに――だが、不思議に 静かに聞こえる鳴き声を響かせていた。

そんなふうに、平和で静かな夜だったのである。その夜は。
突然、城戸邸の内と外をピンク色に染めて瞬の小宇宙が盛大に燃え上がった その時、その瞬間までは。
ラウンジで、某昭和アニメ15夜連続一挙放映の8夜目第60話を鑑賞していた星矢は、泣く子と地頭も震えあがりそうな その強大な小宇宙を感じ取ると、ラウンジのテラスに置かれたテーブルで、5代目古今亭志ん生の名作選のCDを聴いている(はずの)紫龍の方に、一瞬 視線を走らせた。

「何だ !? 瞬の小宇宙 !? 」
「敵襲かっ!」
小宇宙は瞬のもの。その小宇宙が燃えているのは瞬の部屋の方角。
どう考えても瞬の身に何か起こったのだとしか考えられない。
星矢は、固く握りしめていたポテトチップスの袋を放り出し、紫龍はポータブルCDプレイヤーのイヤホンを引きちぎるように耳から取り外して、ここを先途とばかりに燃え盛る小宇宙の発生源に向かって駆け出した。

「瞬、敵襲かっ!」
勢いよくドアを開けて、踏み入った瞬の部屋。
残念ながら、そこに 瞬の姿はなかった。
瞬だけでなく、敵の姿も。
更には、そこでバトルが行われた形跡も。
「あれっ」
瞬の小宇宙の燃え具合いからして、ネビュラストリームの煽りを食らった家具が見る影もなく散乱している――くらいのことにはなっているだろうと思っていただけに、いつも通り整然とした瞬の部屋の様子に、星矢は思い切り気が抜けてしまったのである。
しかし、先程より勢いは弱まっているとはいえ、瞬の小宇宙は まだ燃え続けている。
いったい この小宇宙はどこで生じているのかと室内を見回した星矢に、紫龍は瞬の部屋の ある一点を指し示した。
「瞬の小宇宙の出どころは あそこのようだが」
紫龍が指し示したのは、あろうことかバスルームに続くドアだった。
「風呂ぉ !? 」

もちろん、バスルームで小宇宙を燃やしてはならないというルールはない。
敵が現われ、その敵と戦わなければならなくなったなら、そこがバスルームだろうがダイニングルームだろうが、聖闘士は そこで小宇宙を燃やさざるを得なくなるだろう。
だが、それは あくまでも、そこに敵が現われた時の話。
敵が現われたのだろうか? 瞬のバスルームに?
だとしたら、よりにもよって なぜバスルームなのか。
そして、敵襲があったのだとしたら、なぜ 瞬の部屋(とバスルーム)は こんなにも静かなのか。
いったい 瞬のバスルームで何が起こったというのか――。

別に遠慮するような仲でもなかったのだが、場所が場所だけに、さすがに勢いよく飛び込んでいくこともできなかった星矢は瞬の部屋のバスルームのドアを少しずつ押して、中の様子を窺おうとした。
脱衣所にもバトルの形跡はない。
ここまできたら、浴室の中の様子を確かめないわけにはいかない。
星矢は、脱衣所の先にある もう一つのドアを そろそろと押し開けてみたのである。
「おーい、瞬ー。何かあったのかー……」
3つ目のドアの先。
そこにあったのも、ごく普通の風呂場の光景だけだった。
赤銅色のアラベスク模様が描かれた八角形の白いタイルが、浴室の床と壁を覆っている。
家庭用のものにしては大きめの浴槽、シャワー、シャンプーやボディソープを置くための棚。
星矢の部屋についているバスルームと全く同じ設備、もちろん破壊された形跡もない。
お湯と湿気と湯の匂い。
極めて普通の風呂場の姿である。

浴槽の中には瞬がいた。
おそらく全裸である。
何らかの入浴剤を使っているらしく、お湯が濁っていて、本当に全裸なのかどうかまでは確かめられなかったが、普通の人間は衣服や聖衣を身に着けて風呂に入ることはないだろう。
そして、瞬は(アテナの聖闘士の中では比較的)常識人である。
ゆえに星矢は、浴槽の中の瞬は全裸だろうと推察した。
ちなみに、バスルームにいるのは瞬一人だけで、敵の姿はない。

強大な力を持つ敵が攻めてきたのかと 押っ取り刀で駆けつけて、見付けることができたのは、のんびり風呂につかっている仲間の姿だけ。
星矢は、思い切り 気が抜けてしまったのである。
安堵と憤りが入り混じったような息を鼻から吹いて、星矢は 浴槽内の瞬をバスルームの入り口から怒鳴りつけた。
「おい、瞬。おまえ、こんなところで裸で小宇宙 燃やすなんて、何の冗談だよ。何かあったのかって、驚いただろ!」
「星矢……。こ……ここ、2階だよね?」
瞬が珍しく『ごめんなさい』を口にしない。
事情はどうあれ、人様に ご足労をかけてしまったのだ。
そういう場合、たとえ 自分に非がなくても まず『ごめんなさい』の瞬が珍しいこともあるのだと思いながら、星矢は 瞬に頷き返した。

「そうだけど」
「誰かが、お風呂を覗いてた」
そう言って、瞬が指差したのは風呂場の窓だった。
城戸邸に起居する青銅聖闘士たちの部屋についているバスルームの窓は、そこが2階だということや、望遠鏡でも使わない限り外部の目は届かないという事実等を思量して、換気と採光を最優先させ 比較的大きな窓がついている。
入浴中 空や庭を眺めることができるように、型ガラスや擦りガラスは使用されていない。
窓に はめこまれているのは、極めて透明度の高い強化ガラスだった。
当然、窓の前に立てば、浴室内は丸見えである。
だが、ここは2階なのだ。

「誰かが風呂を覗いてたぁ !? 」
瞬の小宇宙大爆発の訳を知らされて、星矢は素頓狂な声を浴室内に響かせた。
生じた木霊が消える前に、
「氷河はどこだ?」
と、紫龍に確認を入れる。
「うん……? そういえば……」
これほど強大な小宇宙の燃焼に、氷河が気付かないはずがない。
まして、それが瞬の小宇宙となったら なおさら。
もし彼が2階の自室にいたのなら、1階のラウンジにいた星矢たちより先に ここに駆けつけているのが自然である。
にもかかわらず、この場に氷河の姿はない。
これは奇妙なことだと、星矢が訝るのは当然のことだったろう。
噂の主がその場に現れたのは、星矢が口にした名の持ち主の姿を求めて 紫龍が後ろを振り返った、ちょうど そのタイミングだった。






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