「おい、今の小宇宙は何だ」 なぜ こんな場所に星矢たちが入り込んでいるのかを怪しんでいるような顔で、氷河が仲間たちに尋ねてくる。 星矢は、問答無用で そんな氷河を睨みつけた。 「わざとらしく遅れて来やがって。そりゃあ、おまえにも色々と事情ってもんがあるんだろうさ。その辺りのことは俺も斟酌しないわけじゃない。でもよ、仮にもアテナの聖闘士が風呂場覗きなんて、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間として、俺は情けないぞ!」 「何のことだ」 「しらばっくれるんじゃねえ! おまえ、瞬の風呂場を覗いてただろ!」 「ここは2階だ」 氷河が取り乱した様子も見せず 冷静に答えてくるのは、彼が事前に答えを用意していたからか、それとも 真実 彼が無実だからなのか。 もちろん前者に決まっている。――と、星矢は思った。 そして 星矢は、自らのその判断に僅かな疑念も抱かなかった。 「そう。2階だ。だから、アテナの聖闘士かスパイダーマンくらいじゃないと、この風呂場は覗けないんだよ」 「俺はそんなことはしない」 「口では何とでも言えるよな」 「俺は そんなことはしない。どうしても見たくなったら、俺は正々堂々と、『おまえの裸を見せてくれ』と、瞬に頼む」 それは正々堂々と仲間たちの前で断言していいようなことだろうかと、星矢は まず氷河の人間性を疑った。 そもそも 恥を知り 常識を知る真っ当な人間が、同性の友人に そんなことを正々堂々と頼めるものだろうか――と。 普通、恥を知り 常識を知る真っ当な人間は、同性の友人に そんなことを 正々堂々と頼むことはできない。 それは 確実である。 この場合、問題なのは、氷河が 恥を知り 常識を知る真っ当な人間ではないということだった。 氷河なら、確かに『おまえの裸を見せてくれ』と、正々堂々と瞬に頼むこともしかねないのだ。 その事実のために、星矢の自信は 少し ぐらつくことになった。 「で……でもよ。俺は紫龍とラウンジにいたから、互いのアリバイを証明できる。それ以前に、俺たちは瞬の裸を見たいと思わねーし、見る必要もない。瞬の裸を見たいのって、おまえだけだろ」 「だとしても、覗きは俺じゃない。アテナの聖闘士かスパイダーマンでなければ この風呂場を覗けないというのなら、犯人はスパイダーマンなんだろう」 コ○ンビア映画か ソ○ー・ピクチャーズ辺りに 名誉棄損で訴えられそうなことを言ってから、ふと思いついたように、氷河は もう一人の犯行可能者に言及してきた。 「アテナの聖闘士なら もう一人いるだろう。覗きの犯人は 一輝ということも考えられるぞ」 と。 自身の嫌疑を晴らしたいがためとはいえ、ここで瞬の兄の名を容疑者候補に挙げる氷河に、さすがに星矢は呆れた顔になったのである。 「フツー、ここで一輝を持ち出すか? なんで 一輝が今更 瞬の裸なんか見る必要があるんだよ。奴は、それこそ 毎日 瞬のおむつを替えて、瞬をここまで育てた、言ってみれば瞬の育ての親だぞ。おまえが見たいものなんて、一輝はガキの頃から見慣れてんだよ」 だから一輝は瞬の風呂場の覗き犯にはなり得ない――というのが 星矢の主張だったのだが、その主張に異見を示してきたのは、氷河ではなく紫龍だった。 「しかし、それは 子供の頃の話だろう。容疑者から除外する理由としては弱いのではないか。それでいったら、俺たちも子供の頃は皆 一緒に大浴場で入浴させられていたからな。氷河も 既に瞬の裸を見たことのある人間の一人だと言えば言えないこともない」 「紫龍、おまえ、氷河の肩を持つのかよ!」 紫龍の異見に星矢が口をとがらせることになったのは、紫龍の発言内容そのものに誤りがあると考えたからではなかっただろう。 星矢はただ、氷河を瞬の風呂場覗きの犯人と決めつけているだけだった。 それ以外の結論を、星矢は望んでいなかったのだ。 予断に満ち満ちている星矢をたしなめるように、紫龍が、別の視点と可能性を提示する。 「俺は、覗きの犯人が氷河ではないと言っているわけじゃない。氷河でないという可能性もあると言っているだけだ。論拠は他にもあるぞ。瞬はチェーンでの攻撃より 生身の拳の方が段違いに強力だ。その事実を、氷河は知っている。そんな氷河が、どれほど切羽詰っていたにしても、生身の拳を使うしかない状態の瞬の入浴を覗くことを ためらわないはずがない。一応は ためらうだろう。とはいえ、おまえの言う通り、覗き犯が一般人ということは考えにくい。覗き犯は 案外、瞬がチェーンを持っていないところを狙って、瞬の入浴を覗いたのかもしれない。つまり、覗き犯は、瞬が チェーンでの攻撃より生身の拳の方の方が強い聖闘士だということを知らない非一般人である――という可能性もあり得る。その可能性を、俺は言っているんだ」 「んー……」 紫龍の言うことには、一理があった。 チェーンを持っている瞬と、持っていない瞬。 そのどちらかと戦えと言われたら、星矢も前者を選ばないわけにはいかなかったのだ。 「確かに、チェーンなしの瞬を襲うなんて、命知らずとしか言いようがないよな。でなけりゃ、よっぽど自分の力に自信を持ってる奴か……」 言いながら、星矢が氷河に一瞥をくれる。 氷河が瞬の力を見誤っているとは、星矢には考えにくいことだった。 氷河は、『クールに戦う』という自らの決意を数分後には綺麗さっぱり忘れられるという稀有な特技を持つ男だが、それは自分のことだから忘れるのであって、氷河は 彼にとって大切な人間に関することに対しては 凄まじいまでの執着と記憶力を示す男だった。 その筆頭が、彼の母親と瞬である。 氷河は、瞬に関することを忘れるような男ではない。 ――というのが、氷河に対して星矢が抱いている人物像だったのだ。 「絶対に俺じゃない。俺はまだ瞬に 好きだと告白もしていないんだぞ。俺は まだ死ぬわけにはいかないんだ!」 星矢の迷いを更に深めるセリフを、氷河が力強く主張してくる。 瞬の生身の拳が、歴戦の聖闘士の命を絶つほどの力を持つものだという事実を、やはり氷河は忘れてはいないようだった。 とはいえ、星矢は、それでも 氷河に疑いの目を向けるのをやめることはできなかったのである。 何といっても、動機の問題がある。 氷河は、星矢が知る限りにおいて、瞬の裸を見て得をする(?)唯一の非一般人だったのだ。 星矢は、そこを衝いてみようとした。 が、そこに。 「ね……ねえ、星矢。僕、できれば お風呂からあがりたいんだけど……。これ以上、この中にいたら 湯あたりしそう」 「ん? ああ、そうか」 既に30分以上 肩まで お湯につかっている瞬が、氷河の告白(告白未満)のせいか、あるいは長湯のせいなのか、真っ赤になって訴えてきたので、星矢は この場での覗き犯の追求を とりあえず諦めることにした。 「だとさ、氷河。こっから出てけ」 「できれば、星矢と紫龍も出ていってくれると助かるんだけど……」 「えー、別に俺たちになら見られたっていいじゃん。俺と紫龍は、氷河と違ってキヨラカだし」 「そういう問題じゃないの……!」 『では どういう問題なのだ』と問い詰めていたら、瞬は本当に倒れてしまいかねない。 そうなれば、氷河は、目の色を変えて瞬を介抱したがるだろう。 その危険なシチュエーションを避けるために、星矢は しぶしぶ 自らも瞬の風呂場から退散することにしたのだった。 |