「5日くらい前かな。氷河と一緒に入ったカフェでね、僕は、え……と、桃とバニラムースのタルトを食べて、アイスティーを飲んでたんだ。タルトを食べ終わったらね、氷河が 遠慮しないで2つ目を頼んでいいぞって言ってくれて、それでメニューを持ってきてもらったの。僕がメニューとにらめっこしてる間に、ストローとデザートフォークが消えてたんだ。氷河のアイスコーヒーのストローは そのまま そこにあった」
「氷河が一緒だったんなら、盗んだのは氷河だろ。いくらメニューと睨めっこ中だったとしても、おまえに気付かれずに そんなことができるのは一般人じゃないだろうし」

他に、どんな推理が成り立つというのか。
『あるのは 状況証拠だけで、物的証拠もなく、目撃者もいない』と反論されても、星矢には、『目撃者がいないこと自体が、“氷河=窃盗犯”の証左になり得る』と主張することができた。
聖闘士である瞬に気付かれぬよう、すぐそこにある食器を盗むようなことは、それこそ 聖闘士でなければできない芸当なのだ。
しかし、瞬は そう思っていないらしい。
動機という観点から、瞬は、星矢の推理に物申してきた。
「そんな……氷河が そんなもの盗んでどうするの」
「そりゃ、活用方法はいくらでもあるんじゃねーの? キヨラカな俺には 皆目 見当がつかねーけどさ」
「確かに状況的には氷河が盗んだのだとしか思えないが、しかし、そんなふうに 自分が いの一番に疑われる状況で、盗みを働く人間がいるか? いくら氷河でも、そこまで浅はかではないだろう。そもそも、氷河は、そんなことをするくらいなら、カフェの人間に『いくらでも金は出すから、その食器を譲ってくれ』と、恥知らずにも正々堂々と申し出る男だ」
「む……」

確かに氷河なら、それくらいの非常識は平気でやってのけるだろう。
こそこそと卑劣な犯罪を犯すより、正々堂々と恥知らずな真似をしてのけるのが 氷河のやり方、氷河という男。
犯罪現場の状況は、その何もかもが氷河を窃盗犯と示しているのだが、その手段・犯行スタイルが 全く氷河らしくないのだ。
その点には、氷河を犯人と決めつけている星矢も違和感を覚えないわけにはいかなかった。
とはいえ、氷河以外の誰になら、それだけの――ある意味 鮮やかな犯罪を成し遂げることができるというのか。
食器を盗まれた被害者は、冬場の蚊を目で追うこともできないような のんびりした一般人ではなく、光速の拳を見切ることもできるアテナの聖闘士なのである。
星矢の推理は、そこで完全に行き詰まってしまった。
そんな星矢に代わって、紫龍が、どこか不本意そうな様子で口を開く。

「フォークとスプーン、ストローにデザート用フォークが盗まれて、ナイフが盗られていないということは、窃盗犯の狙いは 瞬の口が触れたもの――ということか」
「――ジョギングのあとに、タオルがなくなってたこともあった。それから、スマホをいじられた形跡が残ってたことも……」
「スマホ?」
「うん……。とは言っても、僕のスマホ、個人情報とかは ないようなものなんだけど……。登録してあるのは、城戸邸の連絡先と星矢たちのナンバーとメールアドレスくらいで、それも ほとんど使ったことはないから。他には、氷河からもらったメールのログが何十通かあるくらい」
「おまえら、メールのやりとりなんかしてたのかよ。おんなじ家に住んでんのに」
その手の機器と、その手の機器を使ってのコミュニケーションが死ぬほど嫌いな星矢が、半分 責めるような口調で瞬に言う。
瞬は一度 星矢に頷き、それから首を横に振った。

「そんな重大なことじゃなく、他愛のない内容なんだよ。綺麗な花を見かけたから 一緒に見に行こうとか、新しいケーキ屋さんを見付けたから 一緒に出掛けようとか、氷河、そんなメールを写真つきで送ってくれるんだ」
他愛のない内容と言いながら、瞬は やたらと嬉しそうである。
重大ではない内容のメールを何十通も消さずに残しておいているというのなら、実際 瞬は氷河からのメールを喜んでいるのだろう。
「ふぇー。氷河、おまえ、結構 こまめに瞬にアプローチしてたんだな。普段のおまえからは想像できない勤勉さだ」
「確かに他愛のない内容だが、メールのアドレスやログというのは究極のプライバシーだ。この件の犯人は、やはりストーカーの類なんじゃないか。そういう人種なら、自分の目的を果たすために聖闘士並みの力を発揮することもあるかもしれない」
「ストーカーなんて、わざわざ横文字にすんなよ。要するに、ヘンタイの泥棒だろ。助平な痴漢だ。何たって瞬の風呂場を覗きやがったんだからな」

ヘンタイの泥棒、助平な痴漢。
星矢は、それらの言葉を氷河を指して言っているつもりだったのだが、氷河には それらの単語は 自分以外の何者かを指す言葉であり、かつ、到底 心穏やかに聞いていられるものではなかったらしい。
それらの言葉に神経を逆撫でされたのか、氷河は こめかみをぴくぴくさせて、
「俺が見張りに立つ」
と、仲間たちに宣告してきた。
「見張り?」
「四六時中というわけにはいかないが、入浴中と就寝中と外出時には、俺が瞬をガードする。ストーカーだか痴漢だかかは知らんが、そんな下劣な奴を瞬に近付けてたまるか!」
「おい、氷河」

氷河の中では、それは既に決定事項になってしまっているらしい。
氷河の気持ちは わからないでもないのだが、仮にもアテナの聖闘士である瞬が、仲間に護衛されることをよしとするだろうか。それは戦士としての瞬のプライドを傷付ける行為ではないのか。
――とは、瞬当人の前では さすがに尋ねにくい。
仕方がないので、紫龍は、
「氷河。おまえは日本語を間違えているぞ。入浴中と就寝中と外出時以外は、瞬は大抵 俺たちと一緒にいるから、入浴中と就寝中と外出時に おまえが瞬をガードしていたら、結局 おまえは四六時中 瞬に貼りついていることになる」
と突っ込みを入れ、星矢は、
「おまえに瞬の風呂場の見張りなんて、そんな危険な真似させられるわけねーだろ。泥棒に留守番 頼むようなもんだ」
と言って、氷河を牽制したのである。
残念ながら、紫龍の突っ込みも 星矢の牽制も、氷河の耳には届いた気配もなかったが。

「何があっても、俺が必ず おまえを守ってやるからな。おまえは大船に乗ったつもりで風呂に入ればいい」
白鳥座の聖闘士によるアンドロメダ座の聖闘士の護衛を決定事項にし、その決定を翻す気もないらしい氷河に、紫龍は嘆息した。
「しかしな、氷河。そう簡単にいくかどうかは わからないぞ。やっていることは痴漢行為、窃盗行為だが、その やり口は とても一般人の仕業とは思えないし、かといって これがアテナや聖域に敵対する者による攻撃の一環だというのなら、なぜ風呂場覗きや窃盗なのかがわからない。正体が不明なら 目的も不明。得体が知れない。『彼を知り、己れを知れば百戦あやうからず』というが、俺たちには敵の情報が全く与えられていないんだ」
「なんだか、気持ち悪い……」
紫龍の指摘を受けて、瞬は不安の色を その瞳に浮かべた。

今 星矢は、だが、得体の知れないストーカーに風呂場を覗かれ、食器を盗まれる瞬よりも不安だったのである。
氷河を 瞬の入浴や就寝の見張りに立たせるなど、危険すぎて、絶対に容認できない。
“毒をもって毒を制す”というやり方は、二つの毒が同程度の強さを持っている時には 両者の毒が相殺され 有効な問題解決法になり得るが、一方が強すぎた時、それは一層強力な毒にしかならないのだ。
星矢としては、瞬を そんな危険の中に置くことは、天地がひっくり返っても許せることではなかったのである。

星矢は、だから、提案したのだった。
「なあ、いっそ聖域に避難するってのはどうだ? 日本脱出しちまうんだよ。もし助平でヘンタイな痴漢の泥棒が氷河でないなら、それで一連の騒動は収まるし、聖域に行っても続くようなら、ヘンタイストーカーは やっぱり氷河だったってことで一件落着するじゃん」
と。
氷河が犯人ではないと信じている瞬は、それで 一連の不気味な事件に終止符が打たれると考えたのか、星矢の提案に乗り気だったが、氷河は、星矢の提案の主目的が“白鳥座の聖闘士に瞬の入浴の見張りをさせない”であることが感じ取れるせいか、かなりの不満顔だった。
それでも、瞬に、
「僕たちが聖域に避難すれば、誰かに これ以上変なことをさせずに済むね。氷河、一緒にガラクトブレコを食べに行こうよ!」
と 笑顔で言われ、彼も最後には星矢の日本脱出計画に賛成することになったのである。






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